JINSEI STORIES
退屈日記「寂しい夜に、不意にお招きを受けて、あたたか幸福家族の仲間入り」 Posted on 2022/09/04 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、夕方は献立を考えないとならない。
さて、夕飯はどうしたものかな、と悩み始めていた。
冷蔵庫には茄子とかチキンが残っていた。お蕎麦かなぁ、・・・。でも、鳥天ぷらは、自分1人のためには、ちょっと面倒くさいしなぁ。
冷蔵庫を覗き込んでいると、「ひとー、予定ないなら、ご飯食べにおいでよ」と友人のミハからSMSが入った。
朝、ぼくは彼女の夫のチャールズに「ビルボードライブ」の動画を送っておいたのだ。
「あれ、レストランないの?」
近くの街で、人気レストランを経営するご夫婦。
「チャールズは仕事だけど、私は子供たちの面倒をみているのよ。ひとさん、何食べるか悩んでいるなら、うちで、辛いものでも食べない? そのうち、チャールズ、帰って来るから」
なんとなく、寂しかったし、ビクトリアちゃんとオスカル君がぼくに懐いてくれているので、ぬくもりを求めることにした。
タクシーを呼んで、三四郎と彼らの家へと向かった。
子供たちがぼくを出迎えてくれた。
ビクトリアがうちによく出入りしているニコラと同じ年で、オスカルはもっと小さい。
二人はぼくにすっかり懐いている。でも、やっぱり、ニコラはニコラ、オスカルはニコラとは違う。なんでだろう、と思った。
ああ、そうか。ニコラのところはご夫婦が仲たがいの末に離婚をして、だから、行く場所がないからうちに救いを求めてきた。
オスカルやビクトリアには温かい家庭があり、子煩悩な両親に育てられている。
ニコラとマノンにとってぼくは避難所なのだ。うちの息子もぼくと生きないとならなくなった頃、急に喋らなくなった。ニコラの寂しさが十斗にはわかった。
オスカルとビクトリアからは悩みは一切感じない。子煩悩で教育熱心なミハ、そして、愛が溢れ、いつも子供たちとスポーツや料理を教えるチャールズ。
ビクトリアの誕生日会の時、ビクトリアの学校の同級生たちがチャールズの腕にぶら下がって遊んでいた。
「チャールズ、チャールズ、チャールズ!」
子供たちに親しみを込めて呼ばれるこの料理人は、絵に描いたような模範的な父親なのである。
チャールズのお父さんは地元の名士だし、子供たちの行く末も明るい。しかも、ここは危険が渦巻く大都会ではない。競争もない、穏やかなフランスの田舎町なのだ。
オスカルがギターを持ってきた。
ぼくがビクトリアの誕生日会の時にあげたクラシックギターであった。
ぼくはそれを掴んで、歌った。おーしゃんぜりぜ~、ぱらっぱらっぱん~。
ビクトリアとオスカルがやって来て、微笑みながら、聴いている。
ミハがキッチンで料理をしている。彼女は韓国系フランス人なので、今日は、韓国風家庭料理なのだ。(というか、いつもキムチとかトッポギとかが出される)
ア・ターブル。(さあ、ごはんよ!)
料理がテーブルに並んだ。ぼくらは着席をした。すると、オスカルが大音響で音楽をかけた。ビルボードのライブであった。オスカルがほほ笑んでいる。みんな、笑顔になった。
「ムッシュ、朝、パパと一緒にビデオ見たよ、エネルギッシュで驚いた」とオスカー。
「あはは。エネルギッシュな姿を隠しているんだよ」
「私もムッシュみたいに、歌手になりたいわ」とビクトワール。
「それはいいアイデアだ。何か一曲、好きな曲のギターを覚えて、歌い始めたらいいよ」
ご飯を食べながら、話が弾んだ。
三四郎? 彼は家の中を走り回っていた。オスカルが三四郎の担当だった。動物、音楽、料理、笑顔、そこには幸福しかなかった。
ふと、息子はどうしているかな、と思った。今日は、バイトの日だったかな。昨日、業者が洗濯機を取り付けに来ているはずであった。連絡がない。どんどん連絡がなくなっていくのだろうなぁ、と思った。
そこに、チャールズから着信、ビデオ通話だった。
「やあ、ひとさん、ミハの辛い料理、どう?」
「うん、最高に美味しい。アジア飯が食べたかったから、盛り上がっているよ」
「うちのレストランでは食べないくせに!」
チャールズが笑った。
「今日はまだアメリカ人のグループが来てないから、遅くなる、また今度ね」
「うん。またレストランに行くね」
ぼくら4人は厨房にいるチャールズに手を振った。
僅かな時間だったが、幸福のおすそ分けをもらった父ちゃんであった。
いろいろな幸せがあるものだ。
帰りがけにミハが言った。
「ひとさん、あなたは家族同然だから、いつでもうちに来てね」
家族同然、という響き、有難いものである。
三四郎を抱きかかえ、ぼくはタクシーに乗り込んだ。
つづく。
ということで今日も読んでくれてありがとう。
不意にお招きを受けて、幸せな父ちゃんでしたよ。子供たちが相手をしてくれるので、三四郎も大喜び。人の家の中をぐるぐると走り回って、サンシーにもわかるんだね~、幸福のにおい。この子は、でも、ずっと幸せに生き続けるのでしょう。