JINSEI STORIES
滞仏日記「不意にキレイになったシダリアが、ぼくに授けた若返りエナジー」 Posted on 2022/08/28 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、近くのスーパーに買い物に行った。
すると、いつも店番をしているオーナー(名前はシダリア)が変貌していたので、びっくりした。つまり、めっちゃキレイになっていたのであーる。
そのスーパーには、シダリアの娘と息子も働いている。
もう、結構、大きなお子さんたちで、30歳前後かな、家族経営のスーパーなのだ。
シダリアは、普段はとっても地味な目立たない恰好をしていて、でも、頭のいい人で、何気ないやり取りの中に、へー、と思わせる知性が迸っている。
一度、この近所では有名な浮浪者の男性が店に入って来た時、みんなが怪訝な顔を浮かべたのに、シダリアは彼に近づき、今日はどんな日でしたか、と聞いていた。
何か、悟った人のような顔で、彼の心の中にある気持ちを吐露させていた。
最後に、
「今日は何が必要ですか?」
と訊いたのである。
浮浪者の男性は、ハムだったか、バナナだったかを要求し、シダリアはそれを笑顔でとりに走り、手渡していた。(これは、別の店員のロミさんもやっているのを目撃したことがある。つまり、この店の方針のようだ)
浮浪者の男性はハムやバナナを持って、そこを出て行った。
でも、意識してみなければ、彼女がそういう社会奉仕をしていることにも、気づかないような、さりげない一瞬の出来事であった。
ぼくは素晴らしい瞬間に出会えたことを、喜んだ。
フランスが全土でロックダウン下にある時期も、シダリアは休まず、街の人たちのために働いていた。
凄い人だな、と思ったことが何度かあった。
でも、普段は地味な服を着て、目立たない。化粧もしないし、洗いざらしに近い髪形で、とても、見られていることなど気にしてないという風貌であった。
ところが、その日は、黒いワンピースを着ていて、胸元はさすがに見えないまでも、肩とかデコルテの辺りまで、シダリアにしては露出が激しい恰好をしていた。
だから、二か月ぶりのパリに戻って、最初に会った人だったので、シダリアだと分かっても、何か、違うな、と違和感に付きまとわれ、声をかけられずにいた。
ところが、翌日も、その翌日もシダリアの服装は、いつもの地味な日々に埋没するようなものではなく、華やかな主張があった。
ぼくは福岡で買った「博多カステラ」のお土産をシダリアに手渡した。
「え? いいの? いつも本当にありがとう、ムッシュ」
と感謝された。社会奉仕のお礼である。
でも、聞けなかった。なんか、綺麗になられましたよね、とは・・・。
今日、一人暮らしを始める息子のために掃除セット(シートやスプレーなど)を買いに立ち寄ると、シダリアの横に、ムッシュがいた。
二人は、ぼくのことを見ていた。そして、ムッシュが、ぼくに笑顔を向けたのだ。
「美味しかったです。シダリアからぼくも分けてもらったので、日本のカステラ」
そういうことを中年のムッシュは言った。
ぼくはすぐに気が付いた。シダリアの彼氏なのである。
ああ、そういうことか、なるほど・・・。
確かにキレイになったのには理由があったのだ、とぼくは思った。
地味なお母さんだったシダリアが、恋をしたことで、見違えるようにキレイになっていた。今日は短めのスカートを穿いて、おお、膝小僧が見える・・・。
「あ、いいえ、喜んでもらえたならうれしいです。いつもシダリアにはお世話になっているから」
その人は、初めて見る顔だったが、レジの中にいた。オレがこの店を守るんだ、みたいなマッチョな感じの頼もしい男性であった。
横でシダリアはとっても嬉しそうにしていた。いいな、と思った。
この変貌はぼくを幸福にさせた。
恋のエネルギーが彼女を若返らせたのである。
で、今日、ぼくは息子のアパルトマンまでテーブルを届けた。
ついでにお掃除セットやすぐに必要な生活用品を袋に詰めて、運んだのである。
その帰り道、古いダンスホールの前に差し掛かると、90歳くらいのおばあさんを二人の女性が両側から抱きかかえ、横断してきた。
ぼくは車を停めて、彼女らが渡り切るのを待った。
びっくりしたことに、身体が思うように動かない高齢のおばあちゃんなのに、真っ赤なドレスを着ている・・・。
そして、たぶん、娘と孫なのだろう。二人の女たちがその人を抱えていた。
何か、そのダンスホールで、催しがあるのに違いない。
まさか、踊ることはできないだろうが、おばあちゃんは、モデルさんかと思うばかりのおめかしをしている。
目の焦点もあやふやな感じなのに、娘さんたちがおばあちゃんに若い頃の美しさを取り戻させていた。
若い頃はきっと物凄く美しい人だったに違いない。あ、膝小僧が露出しているじゃないか!!! ナイス!!!!
心なしか、おばあちゃんの足は、地面を蹴っていた。
これは、シダリアの話にも通じることだろうが、いくつになっても、キレイでいようと思う心がその人の一生を輝かせているのかもしれない。
いいなァ、と父ちゃんはハンドルを握りしめて、感動を覚えていたのである。
三人が渡り切った後、ぼくはアクセルを踏みこみながら、ぼくだって、キレイな服を着て、がんばらなきゃ、と思っていた。
「サンショウウオは、自分の年齢のことなどは考えない。だから、いつまでも長生きをするのじゃないか」
助手席にいる三四郎に向けて、ぼくは呟いた。
62歳だから、もう、いいんじゃねー、と思えば、62歳が決定してしまうのが、人間なのである。
年齢とか時間に束縛されない一生を生きられたら、長生きが出来るんじゃないか、と考えたら、思わず、サンショウウオが、口をついて飛び出してきた、えへへ。
その発想が父ちゃんらしい、とおかしくなった一瞬でもあった。
「サンシー、お前にだけは言っておく。よく覚えておけ」
つづく。
今日も読んでくれて、ありがとうございます。
キレイになって、いつまでも、自分を捨てないでいる人に出会うと、なんか、励まされますね。ぼくも、もうちょっと頑張ってみようかな、と思ったところ。あはは・・・。諦めるのは簡単だけれど、諦めないことの中に、若さの秘訣があるような、・・・。