JINSEI STORIES
退屈日記「ノーマスクのパリで、ぼくはフランス人に裏箸を教えた」 Posted on 2022/08/25 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリは今、観光客だらけである。
ロックダウンの時期が思い出せないくらい、長閑で穏やかなパリが戻って来た。
感染者数が激減したことで(なぜ?)、まず、マスクをしている人をみない。
コロナがゼロになったわけではないのに、きっと、また感染がぶり返したら、みんな慌てて付けるのに違いない。
普段から付けて予防をしようという考えはフランス人にはない。
友人と食事をするためにオペラ地区に出かけたが、すれ違う人は99%、ノーマスクであった。
コロナ禍を忘れ去ったかのような世界がそこに広がっていて、ちょっとびっくりした。
ぼくは職業柄、罹るわけにはいかないので、用心をしながら、人込みを避けるようにして、「国虎屋」を目指した。
※ 超古い日本語のメニューが飾られてあった。この店は昔、日本人のたまり場だったのだけど、今は、日本人観光客はいない。
なのに、なぜか、店の入り口に置かれた日本語メニューが、いったい、誰にむけてのアピールなのか、・・・。おいら???
東京から戻ったばかりのぼくには、2020年3月(最初のロックダウン)以前の世界がそこには広がっていた。
オペラ大通りを闊歩する人たちの頭の中に、もはや、コロナの文字はなかった。
交差点に立ち、周囲を見回した。フランス語はもちろんだけれど、英語、中国語、ロシア語、イタリア語、スペイン語、などが飛び交っていた。確かに、ロシア語が聞こえた。
オペラ地区は漫画文化の影響で、日本好きな人たちが集う「サンタンヌ通り」がある。
ここには有名なラーメン店、和食店、日本のパン屋、日本食材店、などが軒を連ねる。
もっとも、最近は韓国系、中国系のレストランも増えて、一大アジア食堂街となっている。20年前は日本人しかいなかった。
日本のスナックとか、カラオケとか、高級クラブなんかが賑わっていたが、日本企業の欧州離れの影響で、そのような店は激減し、日本の企業戦士の姿も消えた。
日本人街と呼ばれていた時期が懐かしい。今、ここで日本人を探すのが難しくなった。
日本の漫画好きなちょっとオタクなフランス人たち、韓国アイドル好きな若いフランス人たちが集まって、独特の文化圏を形成している。
友人の野本の店もここにあるが、もちろん、日本人はいない・・・。
ぼくはフランス人の友人、ブノワさんと美味しい和食に舌鼓をうった。
かつおのたたき、から揚げ、ヒラメの梅昆布じめ、蛸ぬた、マグロの刺身などなど、日本となんら変わらない料理を堪能した。
フランス人のお客さんらも上手に箸をつかって、食べている。
ブノワさんは「蛸ぬた」がとっても気に入ったようだ。
今日は「裏箸」の使い方を教えた。コース料理の国だし、取り分けて食べることを嫌うフランス人だが、最近は、日本通が増えて居酒屋スタイルの「とりわけ」が出来るようになってきた。
しかし、コロナだし、じか箸でつつきあうのは、やはり不衛生なので、日本には裏箸という文化があることを教えたのだった。
「おお、それは素晴らしい。裏側で取り分ければ衛生的だね」
ブノワさんは、満足そうに、言った。
けれども、食事会の最後の方で、彼はどっちが裏か表かわからなくなり、困っていた。そこで、「とり箸」を注文して、それで取り分けることを教えてあげたのだった。
創刊する、ジャパンストーリーズで「とり箸、うら箸」の特集を組んでもいいな、と思った父ちゃんであった。楽しい夜であった。
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
フランスは不意に暑さが戻って来て、今日は38度もあったのだとか。(ブノワ情報)。寝苦しい夜なので、時差ぼけもあって、変な時間に目が覚めてしまい、今、これを書いている父ちゃん・・・。息子はパリ行きの飛行機の中のようです。日本を堪能したみたいで、パリに帰りたくない、というメッセージが届きました、・・・ふふふ。
※ なんとなく、中目黒商店街的な佇まい・・・。これもパリの一部です。