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退屈日記「戦争やコロナにも負けない、毎日を丁寧に生きる、というぼくのスタンス」 Posted on 2022/08/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくの口癖は「小さな幸せをかき集める。欲張らずに生きる」である。
とくにコロナ禍がはじまってから、それしかない、と自分に言い聞かせて生きてきた。
毎日を大事に生きることの中に、ぼくはささやかだけど豊かな喜びを見つけ出している。いや、出そうとしているのだ。
朝起きたら、まずコーヒーを淹れることから一日をスタートさせる。
落ち着くものから、はじめる、ということである。お風呂でもいいし、紅茶でもいいし、犬の散歩でもいいのだ。
できれば、空気の入れ替えをして、気持ちを昨日から今日へと切り替える。
好きな音楽をかけて、掃除をする。
一日が始まるよ、という気分の入れ替わりがある。
たいしたことじゃないけれど、人間にとってとっても大事な瞬間でもある。
それから午前中をだらだらしないということがとっても大事で、お昼までのあいだに、片付けとか仕事とか、仕事ならばエッセイを一本書いたり、メールやラインとかで仕事関係者とやり取りをする。
出来るだけ、笑えるような楽しいことを考え、気分をアップさせ、心を整え、一日のウオーミングアップをやる。
なんでもいいのだ。運動でもいいし、お裁縫でもいいし、掃除でもいいし、自転車で町内を一周したっていい。

退屈日記「戦争やコロナにも負けない、毎日を丁寧に生きる、というぼくのスタンス」



毎日、ランチとディナーはやはり重要なイベントでもあるので、11時過ぎから、ランチ作りに気合いを入れる。
ぼくは、ちょっとだけ、手の込んだものを作るのが好き。
美味しいものは、それなりに時間がかかるし、そのかかる時間こそが楽しいじゃないの~。
自分で選んだココットの中で、コトコト、と煮込まれていくトマトソースとか、最高なのであーる。
無駄を出さない、食品ロスをしない、という心のルールを決めておくのも、日々を丁寧に生きるコツかもしれない。
ランチはパスタに、ディナーは煮込みハンバーグとか?  
直前まで決めない。お楽しみはとっておく。
仕事は仕事、忙しくても、忙しいとは、口にしない。
「忙しい」という言葉は気を付けないとならない。
この言葉のせいで暗示にかけられる可能性がある。
「別に、忙しくても、ぼくは変わらない。これをやり遂げたら、ご褒美にケーキでも食べようか」
こうやって、自分を追い込まず、丁寧に生きるのだ。
その慌ただしさの中にも、張り合いを見つけるのがまた人生の醍醐味だからである。

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節約をするのも、楽しい。
なんでも楽しい。何でもおいしい。
そう思うと日々が癒される。心の持ちようなのである、人生とは。
ランチの時はカヴァとかスプマンテなどの軽い泡を飲んで、満腹になったら、30分ほどベッドでごろごろするのが父ちゃんの日々の極楽であーる。
テレワークの醍醐味と言い換えてもいいだろう。
起きたら、買い物に行く。だいたい2時半過ぎから5時半くらいまでのあいだは、ライブに向けての体力づくりのランニング&歌の練習。おっと、腹筋も・・・。
ランニングは皇居一周のような結構ハードな運動をしている。
食後は、いつものように、旅先であろうと、どこであろうと、近所に買い物に行く。
買い物はいい気分転換になるので、うきうきしながら出かけるのが、よろしい。
食材に向かって、ほお、かわいいやつじゃのー、とか呟いている自分、愛おしい・・・。

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しかし、出来れば、毎日、ちょっとずつ買い物をしたい。
なぜなら、買い物は大事な目的になるから、買い過ぎないように、少しずつ買っている。
愉しみは、小出し、が人生の鉄則である。
毎日のルーティーンの中に、今日も買い物に行くんだ、という心のハリを持つことが出来る。
それが、毎日の励みにもなる。
よっこらしょ、と言いながら、スーパーの五時からセールに並ぶのであーる。
「日々を丁寧に生きる」
こんなに素晴らしい人生なんだから、毎日、いちいち感動し、いちいち大笑いをし、いちいちふて寝をすればいいのである。
明日が必ずやってくる。

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