JINSEI STORIES
滞日日記「今日は息子たちと4人でランチをしたのであーる」 Posted on 2022/08/11 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子くん、日本に到着するなり、昨年末に急逝した父ちゃんの秘書、菅間さんのお墓参りに行った。
ぼくは聞かされていなかったので、お墓の前で手を合わせている写真が送られてきて、ちょっと、びっくりした。
え? 伊勢原まで行ったの???
いとこのミナちゃんの家族と一緒に車でお墓参りに行ったようであった。
菅間さんとミナが仲良しだった。
そして、菅間さんは十斗の日本での先生だった。
日本語の先生であり、日本文化の先生であり、日本の常識を教える先生でもあった。
菅間さんは我が子のように、十斗の長年の教育係でもあった。
だから、菅間さんが死んだ時、ぼくは十斗のことが心配だった。
死んだんだよ、と言ったら、十斗は、オッケー、と一言言っただけ・・・。
驚くでもなく、泣くでもなく、・・・・オッケー。
オッケーの重みは大きかった。
彼は子供の頃から、「さよなら」が嫌いだった。
でも、毎回、来日をすると、ぼくの父親のお墓参りも欠かさない。
不義理な息子のぼくがお墓参りをすることは滅多にないが、十斗は黙って九州まで行く。
お花をかえたり、お墓を洗ったりしているらしい。
弟がそれを教えたのであろう。
それが息子にとっては日本と繋がる一番大事なことのようであった。
ある意味、彼はめっちゃ日本人なのであーる。
その息子の教育係であり、一生懸命めんどうをみてくれたのが菅間さんだった。
息子が(まだ小中学生の頃)一人で日本に向かう時、ぼくにかわって、息子を空港までお迎えに行くのも、空港から送り出すのも、菅間さんだった。
忙しいぼくにかわって、ディズニーランドや水族館、キティランドに連れて行ったのも菅間さんだった。
全部、菅間さんだった。
お墓の前で手を合わせる息子の後ろ姿は、フランスで生きるぼくにとって、とっても日本的な心に響く、原風景であった。
お墓参りのあと、一同は海に行き、海面を照らす月を見ながら、菅間さんのことを語り合ったのだという。
きっと、菅間さん、雲の上から、微笑んで見ていたんじゃないかな。
そして、今日、十斗と十斗のお兄ちゃんとそのお嫁さんの四人で食事をした。
ミナが十斗をホテルまで連れてきた。
息子夫婦も車でやって来た。
ホテルの近くの中華レストランで、ぼくらは美味しいラーメンや飲茶を食べた。
お嫁さんがムードメーカーなのである。
男三人で会う時は、会話がほぼないのだけど、というかぼくが一人で気を使わらないとならないのだけど、お嫁さんがいると、場は和み、自然になり、会話に拍車がかかる。
「なんか、あるでしょ、二人ではなし」
とふってくれるので、
「そうだよ、兄弟でもっと話さなきゃ」
と、なーる。
くすぐったいけど、嬉しい、父ちゃんであった。
日本に戻って来ると、家族が増える。これは幸せなことである。
「かわいいね」
お兄ちゃんが、弟のことを、そう言った。
会った時から、お兄ちゃんと弟はお兄ちゃんと弟なのであった。
ぼくは、ただ、微笑みながら、ラーメンを食べていた。
静かな、落ち着いた、雰囲気で、向かいあった四人・・・。これは間違いなく、幸せ、というものなのであろうなぁ、とその時、ぼくは思っていた。
ぼくはこの年齢で、まさか「こんな素晴らしいご褒美」を頂けるとは思ってもいなかった。
みんな、嬉しそう、であった。
多くは語れないけれど、ささやかだけれども、確かな喜びが四人を繋いでいた。
ぼくらはジャスミンティーで乾杯をした。
心の中で、その瞬間、あらゆる方向に向けて、ぼくは手を合わせていた。
今、この瞬間を与えてくれた、すべてのご縁に、感謝であった。
もうすぐお盆なので、父さんにも、感謝であった。
日本はいいね。
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
ということで、こんな時代なのだけど、18歳と26歳の息子たちが幸せに生きられる世界でありますよう、父ちゃんも父ちゃんの居場所で、微力ながらがんばらないとならないなぁ、と改めて、思ったのでした~。
はい、明日はいよいよ、ビルボード横浜のライブですねー。気合い入っていますよー。体調も万全なので、必ず、いいライブになる、予感!!!
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