JINSEI STORIES
滞日日記「ぼくに生きる指針を与えてくれた享年92歳のとある人物について」 Posted on 2022/08/07 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日はゲネプロだった。明後日(明日、8/8)の大阪ビルボードのライブのための最後の通し稽古である。
思えば、2019年10月、台風直撃でオーチャードホールでのコンサートが中止、その後は、コロナ禍で2回、やはり、オーチャードホールが中止になった。
会場費やミュージシャンやスタッフへのギャラを支払うことになり、主催者もぼくも結構厳しい状況におかれた。
主催者の中原氏は、今年、オーチャードホールでのライブを断念し、ビルボードでの4回のライブを提案してきた。
ビルボードはギャラ制なので、主催者の不安は減る。
ぼくはビルボードでの経験がない。楽しみだけれど、実際に立つまでは全貌が分からない。
ただし、かなり広い会場だというし、逆に客席数は少ないので、ゆったりと見ることが出来るようだ。
レストランとコンサート会場が一体化したような場所なのだ。コロナ対策もしっかりしているし、いいライブが出来そうだ。
コロナ禍でたくさんの夢を諦めてきた。
今日、ゲネプロをやりながら、(実は)3年前の同じスタジオで、思った。
あの後、まさかの台風直撃で、ライブ前日に、中止が決まったのだった。
その後、2回、コロナで中止になり、苦汁をなめた。あまりに苦かった。でも、仕方がない。
この3年、ぼくは、「期待しない、諦めること」を覚えた。
何度も挫折を味わったので、今回もゲネプロは終わったけれど、当日が無事に終わるまで、ぼくはぼくに言い聞かせている。
「期待するな、何がおこるか最後までわからない。最善を尽くせ」
ミュージシャンにもスタッフにも、関係者全員に、最大限のコロナ対策をお願いしている。
ぼくは毎日、抗原検査をしている。最強FFP2のマスクをつけ、食事に行く以外は人とも会わないようにしている。
ちなみに、ぼくはコロナに感染したことがない。
あの厳しいロックダウンを3回もフランスで経験した。
周囲で人が死んでいったが、ぼくは罹らなかった。
思えば、もう10年くらい、風邪もひいたことがない。
それなりに最大限の注意を払ってきた。
ミュージシャンたちはみんな同じ思いだ。彼らはコロナのせいで仕事をなくしてきた。自殺をした人もいる。人を喜ばせる仕事なのに、何とも残酷な話である。
だから、ミュージシャンたちは誰よりも神経をとがらせて頑張っている。
それでも感染をする人がいるのは事実だ。
今回のぼくのバックをつとめてくれる、パーカッションのノブさんは70代、キョンさんもぼくより年上で、ベースのトキエさんだけが、年下という、かなりの高齢者バンドである。
昔はみんな若かった。えへへ。
「えええ、ノブさんって、70歳過ぎなんですか?」
「うん、そうなんだよ」
ぼくは失礼かと思ったけれど、何歳まで頑張るおつもりですか? と訊いた。(ごめんなさい)
それは、つまり、ぼくも自分にも言い聞かせていることであった。
大先輩であるノブさんの意見は、ぼくの指針にもなる。
「あと10年はやりたいね。毎日、筋トレ、やっているんだ」
何気ない会話だったけれど、感動的なやりとりであった。
あと10年、ということは、ぼくはあと20年はできるじゃないか。
実は、ぼくが一番最初に買ったシングル盤はシャルル・アズナブールの「シェルブールの雨傘」であった。「イザベル」「アヴェ・マリア」も持っていた。
そのアズナブールは92歳で亡くなった。
ぼくは彼が死ぬ一週間前、ベルサイユ宮殿で開催された日本の皇太子殿下(現、令和天皇)をお招きする食事会で、同席させて頂いた。
日本公演を行った直後(?)のことで、それで彼はそこにいらっしゃったのかもしれない。
隣のテーブルだったが、アズナブールがいる、と誰かが言った。感動的な瞬間だった。
92歳まで2時間近いステージを歌いきる、そのエネルギーがどんなにすごいことか、ぼくはまがりなりにも歌手だからこそ、理解ができる。
風邪もひけないし、コロナなんてもってのほか。毎日、身体を鍛え、体力を維持しなければ歌など歌えない。小説も大変だけれど、歌手はもっと大変だ。
※ ノブさんの鍵たち、これも楽器です!
ぼくは62歳だから、アズナブールまで頑張るとしたら、あと30年も歌い続けることが出来るわけで、おおお、そういう先輩たちに背中を押されているのである。
毎日、ストイックに生きてきた。
それもこれも、すべてはライブをやるためである。多くはないけど、いつも応援してくれるファンの人たちに自分の音楽を届けるため、なのである。
コンディションは最高で、内容も素晴らしい。
このままいけば、ぼくは間違いなく、ビルボード大阪の舞台に立つことが出来る。
何が何でも、這ってでも上がらないとならない。
ピアノのキョン、ベースのトキエ、パーカッションのノブ、いい人たちと出会った。
彼らが紡ぐ音楽は間違いなく、今、ぼくが日本で創造できる最高の布陣だと思う。
みんな若くはないが、コロナを恐れているし、最高の経験を積んだ日本最高峰のミュージシャンたちである。
最高のライブを大阪のファンの皆さんに届けることが出来るのじゃないか、と思う。ぼくはただ、歌いに行く。でも、それはただのライブではない。
シャルル・アズナブールは皇太子殿下をお招きしたマクロン大統領の宴の翌週、自宅で転んで他界した。
ぼくは自分の生涯の中で、尊敬する歌手に、その死ぬ一週間前にお会いできたことを忘れることができない。自分が歌い続ける人生の中の大きな指針になった。
いいゲネプロだった。
ぼくは期待せず、8月8日を迎えてやりたい。よし、
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
ひさしぶりに大阪に行けるのがうれしくてしょうがないでーす。行きたい場所がいろいろとありますが、横浜のライブまでおとなしくしています。今回は遠い親戚の家の離れに泊まって、最善を尽くします。また、ご来場される皆さん、コロナ禍ですから、お手紙など、贈り物など、今回はどうぞご遠慮ください。申し訳ございません! また、当日はアンプラグド的なライブになります。心の中で総立ちみたいな、・・・よろしくね。笑。