JINSEI STORIES
滞福日記「敵が多い人に読んでもらいたい、今日、父ちゃんが思ったこと」 Posted on 2022/07/20 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、福岡は昨夜から今日の午前にかけて、大雨と雷のせいで出歩けない状態となった。
ところが午後から快晴になり、猛烈な日差しが照り付け、同じ一日とは思えない激しい落差に見舞われたのであった。
今日は、外で仕事があったので、傘をさしたり、汗をぬぐったり、雨宿りしながら、様々な人と会わなければならなかった。
この気まぐれな天気に負けないくらい、幅の広い人間の性格というものが存在する。
ぼくは一人一人と向き合い、自分の意思を伝えないとならなかった。
社会というものは、そうやって成り立っている。
人のよさそうな人でも、ちょっとしたことで気難しくなることがある。
いつもぶすっとしている人でも、ある瞬間、打ち解けることが出来たりする。で、すごくいい奴じゃん、と思うこともある。
その逆も当然あって、ニコニコ笑顔で近づいてきて、持ち上げられて、おだてられて、綺麗ごと並べられて、でも、ある瞬間に豹変して、梯子を外され、都合が悪くなると責任感などかなぐり捨ててとんずらする人だって、結構いるのだ。
自分はどの辺の人間なのだろう、と思いながら、おおざっぱに括るけど、人間たちと距離を保って生きていた。
否定する気も、肯定だけするつもりもない。
あるがまま受け止めて、人間と向き合っている。
いつも、人間にくたくたにさせられ、いつもその人間に救われ、この繰り返しなのである。
今日の目まぐるしく変化する天気は、まさに人間模様のごとくであった。
※ 博多で食べた美味しいもの、ひつまぶし。弟と二人でこっそり、母さんには内緒で・・・えへへ。
朝、仕事に向かう途中、ぼくは傘をさして歩きながら、「ぼくの人生はそういえば敵だらけだったなぁ」というようなことを思った。
なぜ、そう思ったのかははっきり分からないのだけど、ふっと思い付いた。
「思い付く」というのは、まさに読んで字のごとく、思いが付くわけだ。
理由なんてないのかもしれない。
あるいはぼくを動かすこの世界が共時的にぼくに何かのインスピレーションを与えようとしているのかもしれない。
その瞬間、傘をさして、誰もいない福岡市内を歩いている時に、敵だらけだったなぁ、と思ったのである。
次の瞬間、そのおかしな表現の仕方に困惑もした。
ちょっと自戒も含めて過去を振り返ってみたのだけど、それまで仲良かった人間が自分を攻撃している側にいたりすることもよくあった。
はっきりとぼくは意見を言う方なので、そもそも、うまくいかなくなることが多い。
うやむやにするのが苦手なので、社会の中でバランスを保つのがへたくそなのである。
おべっかが苦手だし、だからよく「生意気な奴め」と言われた。
目の敵にされたこともあるのだけど、だいたい、ぼくは自分が間違えてないのに謝ることが出来ない不器用な人間でもあり、相手をとことん怒らせてしまうようだった。やれやれ。
気が付くと、味方はどんどん消え去り、孤立することが多くなっていた。
それでも、自分が間違えていないのに自分を曲げることが出来ないので、問題が収束することもない。気が付くと、フランスで暮らすようになっていた。
フランスでもいろいろと問題があった。どこも一緒。
ただ、言葉が通じない分、こちらも謝らないで済むから、なんとなく20年もこの地で生きながらえてしまったのである。
※ 博多で食べた美味しいもの、抹茶クリームのスコーン。250円でした。
今日は、6歳から66歳くらいまでの人たちと目まぐるしく変わる天気の中、一緒だった。
20代も30代も40代も50代もいて、まさにそこには社会が存在した。
ぜんぜん意見も違うし、生きてきた世界も異なるのだけど、ぼくは一人一人の名前を覚え、彼ら一人一人と、出来るだけ、たくさんの言葉を交わすように心掛けていた。例のボランティアの仕事である。
世代が異なるのだけど、同じ人間だと思うことが大事であった。
若い人も、年上の人も、偉い人も役職のない人とも、出来るだけぼくはいつもフラットに向かいあうようにしている。
礼儀として、名前を覚え、名前で呼ぶようにしている。
今日、覚えた新しい人は、しょうた君、こうや君、よしき君、だった。
何人くらいいたのかわからないけど、大勢の人たちを前に、この人たちはぼくにとって味方なのだろうか、と思ったりした。
まだ、敵でも味方でもない人たちであった。
なるほど、そういう人たちがこんなに世の中にはいるんだ、と思ったら、不思議な気持ちになった。
よしき君は23歳なのだけど、よくできた子で、小さな子たちにアドバイスをしていた。
それをぼくはちょっと離れたところから見ていた。
その時、再び、ぼくの心の中に、思いが付いた、のである。
「あ、そうか、敵が多いと思って、敵のことばかり気にしていたけれど、逆を言えば、どっちでもない(仲良くなるかもしれない)人間がこんなにいるんじゃないかって」
この思い付きは半端なかったので、ぼくはその瞬間、思わず笑いだしてしまったのだった。どうしたんですか、辻さん、と傍にいた女性を驚かせてしまった。
雨が上がって、福岡市内は光に包み込まれていた。
「まてよ、敵が多いということは、その分、味方も多いということじゃないのか」
これもすごい思い付きであった。
そこいた6歳から66歳までの人たち、ほとんどが初対面に近い人たちだったが、ぼくが嘘をつかず、ぼくが彼らを利用せず、ぼくがこの人たちのことをちょっと考えて、ぼくがこの人たちを好きでいるならば、この人たちはぼくの味方になる可能性がうんとある、と思ったのだった。
敵とか味方だけではない、もっと広義な中立的な人たちのことを忘れてはいけない、と思ったのだった。
人生は勝ち負けだけじゃないし、人生は敵味方ばかりでもないのである。
そう、思ったら、嬉しくなった。
いや、ただ、そのことを言いたかった。
快晴の福岡市で、ぼくは恐ろしく深いことを思い付いたのである。
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
昔ね、ぼくはまだまだ未熟だなぁ、と思っていたことがあったのですが、今でも、まだ未熟やなぁ、と思うことがあるんですよねー。自分は誰にも守られてないし、愛されてない、と思うのはいいのだけど、それだけが回答なわけがないわけですね。一生、死ぬまでこの世を悟ることが出来そうにない、人間「辻仁成」は、精進しなきゃ、と思ったのでした。はい。
ということで、お知らせがあります。
7月28日は父ちゃんのオンライン・講演会「一度は小説を書いてみたいあなたへ」と題しておおくりします。
一生に一度でいいから小説を書きたいけど、敷居が高くて、と半ば諦めかけている皆さん、そんなことはありません。ぼくがどうやって作家になったのか、どうやれば一冊書けるのか、など、講演会形式でお話をしたいと思います。
詳しくは、下の地球カレッジのバナーをクリックください。
※ 博多でも話題の一冊??? あはは。
※ アート系の学校の先生、生徒さんたちに、ぜひ、新世代賞のことをお知らせください!!! 作品募集中!!! 笑。