JINSEI STORIES
退屈日記「新しいアパルトマンに引っ越したらこうしたい、と妄想する父ちゃん」 Posted on 2022/06/17 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、そこに行くと、寛げる、落ち着く場所を家のどこかに一か所、持つ。
60代になったぼくが今、一番大事にしていることである。
息子が巣立ったら、古い家具(20年前の渡仏時に揃えた家具たち)の中で老朽化の激しいもの(何度も修繕してきたけれど、もうそれも難しいもの)は断捨離し、逆に必要なものを探して、本当に落ち着くスペースを作りたいと思っている。
ぼくはインテリアの専門家ではないけれど、自分が好きな色や、材質や、手触りを大事にした空間を創りたいのである。
どんなに疲れても、そこに戻ると、疲れが癒されるような場所は人間にとって大事だ。
ここ、田舎のアパルトマンは一から自分で考えて、デザインをした。
ジェロームに内装はやってもらったが、家具はもちろんだけど、ペンキの色は自分で決め、風呂場のタイル、キッチンのカウンターの木材とかも自分で歩いて探した。
設計図は描けないけれど、デッサンは自分で描いて、その通りに作ってもらった。
おかげで、今、ここに滞在している間は、本当に癒される。
その中でもお気に入りの場所がいくつかあって、夏ならばここ、冬ならばここ、という避難場所を確保している。
三四郎もあと、一年したら、檻をとって、自由に生活させたいと思っている。今は、壁とかを破壊するので、無理だけど、いつか、バリアフリーの生活をさせるのがぼくのもう一つの夢でもある。
ぼくは海側の窓辺で、小説やエッセイを書いて、山側の窓辺でギターの練習をしている。
夜は、海岸沿いに続く夜景のプロムナードを遠くに眺めながら、歌っている。(下のカイザー&ハウルご夫妻は今朝、パリに戻ったので、自由に歌える~)
自分一人の時間を満喫するにはうってつけのアパルトマンである。
その中でも、最近好きな場所がある。
L字型のキッチンの角のコーナーだ。
ストゥールが一脚置いてあり、そうだ、前回のNHKの番組で「一人芝居」をやった場所。ぼくがお客さんを演じて、自分が作ったものを架空の大将を前にだべりながら食べる、という場面の席、笑。(よくやるね)
写真を撮ったので、ご覧頂きたい。
電気調理器の横にこのコーナーがあるので、もちろん、設計の時からこのコーナーは存在している。
自分がお客になって、馴染みの小さなレストランのシェフと向かい合って食べることのできるスペースとでもいうのだろうか?
そういう一角が欲しいなぁ、と思って考えたのだけど、最近はそこで飲んだり、つまんだりしている。
自分が作った料理をそこにポンと置き、エプロンを脱いで、お客になったような感じで、そこに座って食べるのだ。え?
「寂し過ぎないですか? 辻さん」という本上さん(ナレーションしてくださっている)声が聞こえてきそうだけれど、なーんも、ぜんぜん、ちっとも寂しくなんかない。
真後ろには小さな暖炉もあるし、正面はキッチンなので、足りなければ料理をするし、本を読んだり、ギターを弾いたり、酔いつぶれることだって出来る。
深夜に目が覚めた時も、三四郎を起こさないように、ここでハイボールとかを舐めて、楽しんでいる。
実に落ち着く場所なのである。
内装費の中に全部入っているので、変な言い方だけれど、余計なお金はかかってない。
自分で、木材を選び、工事人に、こうしてほしい、と伝え、そこにあったサイズのストゥールを探して置いただけ。
もっとも、これは自分の家だから、好きに内装を変えることが出来る。
今、借りようとしているアパルトマンは、ぼくのものじゃないので、そういうことができない。なので、家具を替えたり、その配置などで、居心地のいい場所を目指す必要がある。
でも、キッチンも寝室もサロンも全部、中庭やベランダと通じる不思議な構造をしているので、入居が決まったら、しっかりと計画をたてたい。
フランスの家は、その古さが素晴らしい。
ぼろぼろでガタガタなのだけど、歴史が生み出した、唯一無二の空間がそこにはある。
そのアパルトマンはアールデコの建築様式で、これまでぼくが住んだオスマン調の建物とはタイプが異なっている。
友人のクラウスの家具屋でオランダのその時代の家具を揃えたいと密かに計画をしているのだけど、果たして入居できるだろうか?
確かに、古いアパルトマンは水漏れもあるし、ドアの閉まりも悪いし、不気味ではあるけれど、その歴史的な佇まいがやはりなんとも味わい深くて好きなのだ。
今、ぼくがこの日記を書いている手作りのメザニン(中二階)の仕事場の窓など、錆びていてボロボロなのだけど、160年前の鉄窓というのは、趣きがある。
これがサッシになったら、幻滅してしまうじゃないか。
この鉄枠窓の把手がまたやたら奇妙な形をしており、もの凄く気に入っている。
3段階で窓の開閉が出来る、160年前の人の知恵だと思うと、歴史に興奮してしまう。
ぼくは、今、この鉄の把手を眺めながら、三田文学で「動かぬ時の扉」を連載している。
そういう静かな愛おしい空想世界で、にんまり、できることをぼくは幸せと呼びたい。
いつか、日本で暮らせるとしたら、熊本の平野の中腹にある古民家を安く買い取って、そこを好きなように改造して暮らしてみたい。
前に、(震災の直後)熊本を訪れた時に、日本とは思えないびっくりするような風景、空域が広がっていたのだ。
都会に行くと、どこも同じ景色だけど、田舎に行くと、全く違う風景が広がっている。
たとえば、アルゼンチンとかメキシコとかフランスの古道具屋で見つけた歴史的な何かを、熊本の古民家の自分のお気に入りの場所とかに、立てかけて、にんまりするのも悪くない。
にんまり・・・。
つづく。
今日も読んでくれて、ありがとう。
今日、追加公演の話が来たのだけど、時間的に無理なので、難しいですね、とイベンターさんにはお話しました。イベンターさん曰く、大きな会場は予算的にも、時代的にも、今は難しいのだそう、・・・。日本の現状や、大人の考えはわからないので、ぼくにはそれ以上のことは言えないのだけれど・・・。追加公演残念ですね。
そして、17日、いよいよ、NHKBSの新作「ボンジュール!辻仁成のパリの春ごはん、2022春」が放送になります。
春のパリで生きる父ちゃん一味のお話になります。お楽しみに。
詳しくは、番組のHPでご確認ください。
https://www.nhk.jp/p/ts/6XW8NZ748V/
NHKーBSを視聴できない場合、以下からご覧いただけます。
【NHKオンデマンド】6月18日18時〜2週間配信
https://www.nhk-ondemand.jp/#/0/
そして、30日には待望の「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」が発売となります。
はい、その前に、6月26日、日曜日、地球カレッジ、父ちゃんのオンライン文章教室がありますよ。現在、準備中です。
文章をもっと楽しく学びたいという皆さん、ぜひ、ご参加ください。詳しくは下の地球カレッジのバナーをクリックください。