JINSEI STORIES
退屈日記「いつものように、いつもの場所で、いつもの友だちと遊ぶ、三四郎の平和」 Posted on 2022/06/10 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくの平和というのは、いつものように毎日を過ごすことが出来て、不安から遠く、そしていつものカフェでいつものコーヒーを飲んで、いつものご近所さんらと笑顔で挨拶が出来て、いつものように三四郎と散歩をすることなのであーる。
三四郎の平和というのは毎日父ちゃんと遊んで、朝と夜にいつものドッグフードを食べて、いつもの肘掛け椅子でお昼寝をし、いつものカフェで父ちゃんの膝の上で過ごし、いつもの仲間たちと、いつもの広場で遊ぶことなのであーる。
特筆すべきことはないけれど、こういうことが毎日、繰り返し、訪れてきて、その訪れる出来事を慈しんで過ごすことがぼくらの平和なのであーる。
そんな毎日の中にいるけれど、今朝も三四郎はいつもの仲良したちといつもの公園で遊んだ。
とくに待ち合わせているわけではないし、飼い主の人たちと電話番号を交換したわけでもないのだけど、だいたい、いつもの時間にそこにいくと、いつものわんちゃんたちがいて、三四郎をみかけるとみんな集まって来るのだ。
これは間違いなく、平和、なのであーる。
世界は戦争や感染症によって、経済も人も政治もぼろぼろなのだけど、それでも、犬たちは公園でいつものようにじゃれあうのだ。
ぼくはまだ犬飼いの新人なので、その犬種がなにか、よくわからないのだけれど、エルメス(おすの白い方)がジャックラッセルで、ネラ(めすの黒い方)がポメラニアンとスピッツのハーフさんだと、その親御さんたちが教えてくれた。
その親御さんたちがどういう名前か、ぼくは知らないし、その方々もぼくが何人かわかってない。
もちろん、名前も・・・。
でも、そういうことは関係がない。
そこはわんちゃんたちの世界で、そこにぼくら人間の出来事を持ち込むことも今のところないのである。
飼い主たちはちょっと離れた場所で、犬たちを見守っている。その普通の笑顔が、ぼくが思う平和の重要ポイントかもしれない。
見ず知らずの飼い主たちと並んで、三匹のわんちゃんらの幸せそうな行動を見守ること、飼い主はそれぞれ、年齢も素性も出身地の言語もぜんぜんばらばらなのだけど、ただ、犬同士が凄く仲良しということで自然とグループが結成されているのだから、素敵であーる。
エルメスとネラはリードをつけていない。
三四郎はまだ生後8か月なのとぼくが都会で放す自信がない。5メートルのリード付きだ。
もっとも、そんなことは彼らには関係がない。
エルメスとネラが三四郎を追いかけ、三四郎がエルメスとネラを追いかける。
動画でお見せしたいくらい、飛び回る、走り回る彼らは自由で、幸福そうで、平和なのである。
ネラのご主人は老夫婦で、物静かな方々だ。
エルメスのご主人はちょっとよくわからない。挨拶しかしない、いつも笑顔の人なのである。
でも、この三匹はとっても仲が良く、とくに三四郎はめすのネラとずっと走り回っている。
そして疲れると二人は向き合って、まるで人間の若い者同士のような感じで語りあっている。これは間違いなく、平和というものであろう。
ぼくはその平和を静かに見守っているのである。
こんなぼくだが、たくさんの仕事や物凄い悩みを抱えているし、家に戻るとやらないとならない事務作業が山積みなのだけれど、しかし、間違いなく、この瞬間はぼくにとって、何物にも代えられないかけがえのない時間なのである。
この時だけは余計なことを考えるのをやめて、ぼくは無になる。
そして、静かに彼らを見つめ、見守り、微笑んでいる。
「三四郎、そろそろ帰ろうか」
一時間ほどして、ぼくは三四郎にそう告げる。
彼はもっと遊びたいのだけど、ほどほど、というのが大切である。
皆さんに、お別れを告げ、
「また、あした」
と言い残してそこを離れる。実に平和な朝なのである。
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
散歩の帰りにいつものスーパーに顔を出して、昼に食べる何かを買って、あるいはパン屋によってサンドイッチやバゲットを買って帰り、その後、もう一度、コーヒーを淹れて飲む、これは本当に大好きなルーティーンなのであります。
さて、お知らせです。
ビルボード・コンサートのチケット販売が、もう、そこ、6月13日に迫ってきましたね・・・。
それから、父ちゃんのオンライン・文章教室は6月26日の日曜日です。
文章を書くのがお好きな皆さん、今回で前期エッセイ教室は最終回になりますので、お見逃しなく。これまでのダイジェストのような内容にくわえ、どうやって書いていくといいエッセイが書けるかについても、講義をしたいと思います。
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