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滞仏日記「息子、最後の登校。息子の学校よ、本当に、ありがとう!!!」 Posted on 2022/06/09 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、明け方、原稿の締め切りがあったので、早めに起きて机に向かった。
なんとか8時までに原稿が整ったので担当者に送付し、三四郎の部屋に顔を出すと、三四郎がひじ掛け椅子の上でぼくを待っていた。
「おはよう。三四郎、いい子だね。パパを待っていてくれたんか?」
とぼくが言うと、
「わん」
と返事。
頭を撫でてあげようと手を伸ばしたら、その視線の先に、おおおお!
特大のポッポ(うんち)、しかも、十斗の部屋のドア前にしているじゃないか。
慌てて、トイレットペーパーを持って片づけに行くと、
いきなり、ドアが開いて子供部屋から息子が出てきた。
「待て、足元注意! うんがつく~!!!」
ええええ?
ドアから出てきた息子くん、前にぼくがあげたブランドものの皮のジャケットを着ている。
「ぎょえ、どったの?」
黒の皮のジャケットの下には白い長袖シャツまで・・・
「あの、今日で学校最後なんだ」
「ま、マジか!!!!」

滞仏日記「息子、最後の登校。息子の学校よ、本当に、ありがとう!!!」



「今日の授業でぼくの高校生活は終わり。学校は今日まで」
「卒業式とかないの?」
「フランスはないよ。なかったでしょ? 今までも」
「でも、最後じゃん」
「ないよ。だけど、みんなで授業終わったら、パーティやってくる」
「そうなんだ。パーティか、うん。それはよかった」
それにしても、不意に、高校生活最後の日がやってきたので、驚いたのは父ちゃんであった。
その学校は私立で幼稚園からずっと彼は通っている。想い出が走馬灯のように頭の中で明滅しているじゃないか・・・およよ。
「言ってくれたら、パパも行ったのに」
「は? どこに?」
「学校だよ、最後の姿をカメラで撮影したのに」
「いらないよ。恥ずかしい」
笑った。
「あれ」
「ん?」
「中の白いシャツ、ボタン、掛け違がえてんぞ」
ぼくは立ち上がって、自然と手が伸びた。
大きくなった息子。ぼくよりうんとでかい。がっしりした体躯、元バレーボール部員なのだから、当然であった。
ボタンの掛け間違いを直してあげた。
「よし」
「じゃあ、行ってこい」
「うん」
「息子の学校に、ありがとう、by父ちゃん、と伝えといてくれ」
「オッケー」
大きくなった息子はドアを開けて、出て行った。
感動的なシーンであった。涙が出る・・・ううう。
ううう?
ん??? なんか~、く、臭い。
おおお、三四郎のポッポを踏んずけてしまった父ちゃんなのであった。うんが付いたァ!!!!



滞仏日記「息子、最後の登校。息子の学校よ、本当に、ありがとう!!!」

※ 息子の幼稚園の時の発表会、教会にて。

息子は、フランスで生まれ、幼稚園は全く仏語を離さなかった。
親が両親とも仏語を喋れなかったので、言葉が遅かった。
先生たちが心配をし、呼び出されたこともある。
ところがこの学校の先生たちの支えもあり、小学校にあがると、とたんに仏語を喋りだした。そして、友だちも出来た。
エミリーという若い先生が特に、特に、十斗を支えた。
この先生がいなければ、彼は挫折していたかもしれない。
エミリーがお母さんのように、お姉さんのように、特に離婚の時期、彼を支えた。
その後、エミリーは結婚し、お母さんになった。今も小学校の先生をしている。
離婚の直後から、息子はバレーボールの部活をはじめた。
顧問の先生たちが十斗にスポーツを通して強さを教えた。
ぼくはにわかコーチを買って出、毎日、夕方、家の前の広場で練習をやった。
彼は中学にあがると、パリ市の大会で優勝するようになり、キャプテンを任されたこともあった。
ただ、離婚の影響で、彼の成績はぐんと下がり、落第の危機が訪れた。
それをまた担任の先生たちが支えることになる。

滞仏日記「息子、最後の登校。息子の学校よ、本当に、ありがとう!!!」



もちろん、苦手な先生もいたようだが、だいたいの先生たちは日本人である異邦人の息子を支え続けてくれた。
カトリックの学校だった。
彼はキリスト教の影響を受けたけど、最終的には宗教のクラス(カテシズム)を選ぶことはなかった。
高校にあがると、成績がぐんと伸び、バレーの部活のせいもあり、リーダーシップも出てきた。
いい先生に恵まれたことが大学合格への大きな力となった。
志望校選択ではぼくとぶつかった時期もあったが、最後の担任、実は今回息子が受かった大学の卒業生で、息子にその大学をすすめたのも、その担任なのだった。
その大学がどんなに素晴らしいのかを先生が息子に力説したことで、彼は奮起したのだと思う。
志望校の中にその大学が加わった。
思えば、いい先生たちに恵まれたことが彼の思春期を支えたことになる。
日本で学校に通ったことがない息子だけれど、彼は日仏を繋ぐ仕事をしたいと言ってる。
先生たちに日本のことを自慢する時の息子の中に、暮らしたことのない祖国がある。
彼の祖国はぼくが教え続けた祖国であった。
「パパ、ぼくは日本とフランス、二つの国を持っている。その架け橋になりたい」
いつだったか、息子が言った言葉である。
彼が選んだ学科はそのスペシャリストを育てる大学なのだ。ぼくはこっそりと、涙をぬぐった。
「息子の学校よ、ありがとう!!!!」

つづく。

今日も読んでくださり、ありがとう。
不意に、最後の授業、とか言われて、感極まった父ちゃんなのであります。くすん。頑張ったね、息子よ、そして、息子を導いてくれた先生がた、本当にありがとうございました。
さて、お知らせです。
6月13日は、父ちゃんの日本公演のチケット発売日になります。
8月8日、大阪ビルボード、12日は横浜ビルボード!!!!!!!
NHK・BSの新作「ボンジュール、辻仁成の春ごはん」の本放送は6月17日に迫ってきました。なんか、感動的に仕上がっているらしい、です。噂です。ご期待あれ。
それから、6月30日はマガジンハウス社から、いよいよ「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」が発売に。
で、
6月26日に、地球カレッジ、前期エッセイ教室の最終回、総まとめ編です。
エッセイを書くのが大好きな人、文章家を目指しているあなた、ブログをやっている皆さん、ぜひ、ご参加ください。課題もあります。
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