JINSEI STORIES

滞仏日記「受験から戻った息子、さて、そこには何が」 Posted on 2022/04/24 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、早朝出て行った息子だけど、なかなか帰ってこなかった。
心配だったので、ずっと家で待っていたが、16時を過ぎても連絡がないので、父ちゃんは三四郎と散歩に出た。
カフェで雨に降られ、出るに出られなくなり、三四郎と通りを眺めて過ごした。大統領決選投票を明日に控え、街角中に警察が出ていて、警備は物々しかった。
息子がどういう顔で戻って来るか、親としては想像するしかない。
1、 お腹を壊したり体調崩して、力を発揮できず落ち込んで戻って来る。
2、 狙い通りのものが出ず、最悪の結果になって戻って来る。
3、 どういう結果か全くわからないけど、とりあえずはやりきって帰って来る。
4、 すべて狙い通りの出題で、最大限の実力を発揮して帰って来る。
ぼくはこの四つだろうな、と思って、ワインを飲んだ。(ワインかい!!!)

滞仏日記「受験から戻った息子、さて、そこには何が」



親が悩んでも子供が受かるわけでもないので、小降りになるのを待って、夜は息子の好物の麻婆豆腐にしたろうと思ってアジア系スーパーに立ち寄った。
その後、家に帰り、三四郎とごろごろしていたら、19時、家のドアが不意に開いた。
「お、おかえり」
「ただいま」
「どうだった?」
ちょっと緊張したけど、自分の部屋に入ろうとしている息子に、声をかけてみた。
すると息子が振り返り、一瞬の間のあと、満面の笑みを浮かべたのだ。
「え?」
「あはは、うん、パパ。全部、狙い通りだった」
「ほえー。マジか!!!」

滞仏日記「受験から戻った息子、さて、そこには何が」

※ 受験弁当である。



息子のこんなすがすがしい顔を見たのは久しぶりである。
「いや、受かるかどうか、わからないよ、早合点しないでね。でも、自分ではベストを尽くせたから、大満足しているんだ。落ちても、やれることはやった、もういい」
「ほえー。マジか!!!!」
「ねぇ、聞いてくれる」
「ああ、もちろんだよ。話せ」
ぼくらは三四郎の部屋のど真ん中で向かい合った。
息子の興奮が伝わって来る。
この子とは18年も膝を付け合わせて生きてきたのだ、わからないはずがなかろうが!!!
「あのね、午前中に論文の試験があった。大学が提示したテーマは、政治と恐怖の関係、というものでね。受験生はそのテーマをもとに、自分で質問を考えて、それに自分で回答していかないとならない、そういう複雑な試験だったんだよ」
「ほえー、マジか。(・・・父ちゃん、もうわからない)」
「で、ぼくは、政治は恐怖をどのように利用し、秩序を作ろうとしてきたのか、その未来について考察せよ、みたいな質問を考えて、それに長文で回答を作った」
「試験時間は?」
「論文は3時間だよ」
「トイレに行けないの?」
「行けるけど、ぼくはいかなかった。パパ、そんなことはどうでもいい、聞いてよ。ぼくはね、アインシュタインがロンドンの大学でやった講演を冒頭に引用し、ニッコロ・マッキャベリなどの哲学、思想なども引用し、もちろん、日本の歴史だと、大政奉還も使ったし、今のロシアによるウクライナ侵攻からみる世界の核兵器による恐怖対立まで、ほぼ、必要な歴史、哲学、政治、などの大きな枠組みを作って解説し、(途中長いので、覚えきれなかったので省きます)論文にまとめたんだ。あれ以上のものは書けないし、あれで落とされたら、ぼくはきっぱりと諦めるよ。でも、とっても満足してる」
「ほえー、マジか。いいね」
なんだか、分からないけど、彼が繰り出す日本語が、よく伝わって来た。
合格率37%の難関大学に入れるかもしれない、と親バカは思うのだった。
いいや、そうじゃない・・・。
ぼくはこの子が、大統領選挙の前日に、この世界の恐怖と政治について試験で長文を書いて提出出来たことがまず何よりも嬉しかった。
この子の成長は、ぼくにとっても、また、一つの小さな成長なのである。
肩の荷が下りた。
結果は、いつかついて来るよ・・・。

滞仏日記「受験から戻った息子、さて、そこには何が」



息子の興奮は収まらず、彼は三四郎の部屋で30分ほどぼくに力説した。それから、言い終わると、こう付け足した。
「今日、晩御飯はいらないよ。同じ受験をしたクラスメイトたちと食べにいく」
「え?」
ぼくは笑った。実は世の中は昨日から春休み(バカンス時期)に突入しているのである。彼は受検があったから、今日まで部屋に閉じこもっていたのだ。
ここから二週間は、もう自由の身なのである。
「あはは、麻婆豆腐・・・明日食べるか?」
「うん。ごめんね、今日は友だちと語り合いたい」
「おっけー――」
いやあ、良かった。もちろん、結果はぜんぜん、分からない。
でも、挑戦出来て、それなりに自分で納得出来ているのだから、確かに彼が言うように、落ちてもいいのだ。受かることが大事じゃない。大学に行くぞ、ということが大事なんだ。
「パパ、ぼくね、勉強好きだな。世界をまだ変えることが出来る、そういう可能性が勉強の中にはあるんだから」
じーーーん。ぐ、ぐ、ぐ、涙が・・・。
ぼくは、この子の成長の過程の中で、何度、何十回と、かっちーん、を経験してきたことだろう。
でも、今日、こうして、彼が勉強の意味を実感できたこと、が何よりの成果であった。
難関校の受験には、十分、価値があったということだ・・・。
よかったな、十斗、結果はついてくる。
どこの大学に行こうと、やる気が大事だ、結果はついてくる。
さてと、父ちゃんは三四郎を相手に、麻婆豆腐でも、食べようかな・・・。

つづく。

滞仏日記「受験から戻った息子、さて、そこには何が」

滞仏日記「受験から戻った息子、さて、そこには何が」



地球カレッジ
自分流×帝京大学