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滞仏日記「ウクライナから避難してきたマダムが、今日から週一、辻家で働くことになった」 Posted on 2022/04/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子は学校の通常の試験(本日)を免れ(その大学を受ける数名だけ、来月に延期)自宅で一人、迫った大学受験の勉強をしている。
三四郎は麻酔も切れ、再びいたずらっ子に戻っている。朝から、家の中を走り回っている。
ぼくは日曜日の文章教室の課題を読み終えたので、皆さんが書いてくれたエッセイから強く感じた点をまとめ講義の仕方を考え中。
今回のエッセイ教室は、今までが基礎編だとすると、ちょっと具体的な書き方へのアドバイスをやろうと思った。
セミプロの人たちにも役立つ、実践辻式エッセイのメソッドをご紹介する予定で、今はそこへ向けて準備を進めているところ。
それに加え、子供と子犬の世話で朝からバタバタ忙しいのである。すると、
「ピンポーン」
不意にドアベルがなった。
そうだ、今日から、ウクライナから避難して来た50代のマダム・カーチャ(仮名)が辻家で働くことになっていたのだった。

滞仏日記「ウクライナから避難してきたマダムが、今日から週一、辻家で働くことになった」



とっても親しくさせて頂いている信頼できる方から、「ウクライナから避難されている方がいるが仕事を探している、もし、辻さんの家のお手伝いなどが必要ならば雇って貰いたい」という連絡があった。知り合いの家で今は暮らすことが出来るし、無理に働く必要もない、本人も若いわけではない。しかし、こういう状況下で、何もしないでじっとしているのは逆に辛いのだという。

うちには、ご存じのように、エリックこと中島君が週一来てくれているのだが、ウクライナのことではぼくも胸を痛めていたこともあり、そういう事情であれば、とりあえず週一来てみませんか、ということになった。
どんな人が来るのか会うまでわからなかったけれど、ドアを開けた瞬間、人懐っこい笑顔がぼくを待ち受けていた。
ぼくは離婚後、5年ほどウクライナ大使館に隣接する建物に住んでいた。
家の前の小さな通りには朝から夜まで大勢のウクライナ人がパスポートの申請などで礼儀正しく順番を待っていた。
同じ顔だ、と思ったのがその時の最初の印象である。
(今日の報道によると国連の調査で、ウクライナを脱出した避難民は503万4439人にのぼるという)
すると、カーチャの手が伸びてきた。ぼくらは握手をした。
慌ててぼくも手を出して握った。
どうやって、ウクライナからパリに避難してくることが出来たのか、家族はどうしているのか、聞きたいことは山ほどあったけれど、いきなりは聞けない。
非現実的な戦争という過酷から逃れて、この平和なパリにいることが、彼女を辛くさせている場合もある。(18歳から60歳までの元気な男性たちは国を出られないのだ)
戦争のことを思うと何か出来ることはないか、と思いがちだけど、ここは普通に接することが一番大事だと思って、余計なことは言わないようにつとめた。
(父ちゃんはちゃらちゃらしているし、おしゃべりだからね)カーチャに掃除道具の場所、掃除をしてほしい範囲など、必要最低限のことを説明するにとどめた。

滞仏日記「ウクライナから避難してきたマダムが、今日から週一、辻家で働くことになった」



離婚後、お手伝いさんを雇わずにやってきた。
でも、腰を痛めたり、仕事が忙しくなったので、去年の暮れからフィリピン人のエリック(愛称、中島君)に土曜日、二時間ほど手伝って貰っている。
でも、火曜日とか水曜日、週の半ばであれば、エリックがカバーしきれないところをカーチャにお願いすることも出来る。
とりあえず、カーチャは戦争が落ち着いたらすぐにウクライナに戻りたい。
実際、戦争から二か月が経った。
キーウの市長は「まだ危険だから帰らないように」と促している。
にも関わらず、キーウに戻る人が後を絶たないのだという。自分の国だもの・・・。
なので、カーチャもウクライナに戻るまでの間の一時期、現実を忘れて仕事と向き合いたいのだった。
エリックは家政婦(夫)のプロフェッショナルだけど、カーチャはお母さんのプロフェッショナルなのであった。
だから、掃除の着眼点が違っていることに気が付いた。
エリックはパーフェクトな仕事をするけれど、カーチャはエリックが見落としている小さなところに気が付き、「このキッチンの引き出し、これは私が来週やりますね」と笑顔で優しく言い残した。

滞仏日記「ウクライナから避難してきたマダムが、今日から週一、辻家で働くことになった」



それにしても不思議である。
不意にやってきたウクライナ人のカーチャ。
この話しは先週不意に舞い込んだ話なのだが、心の準備もないまま、気が付くと、カーチャはもう今、ここいる、笑。
欧州は地続きなのだな、と改めて思った。ちょっとふっくらとした50代のマダムは、たくさんの家族に愛されて、美しいウクライナで幸せに生きていたのだろう。
彼女もここにいたくて、いるわけじゃない。
残してきた家族や兄弟がいるはずだ。聞けないけど、ご主人もまだ50代なら、戦える年齢なので、残っているに違いない。
戦争で犠牲になった知り合いもいるかもしれない。
しかし、そんなこと、何も聞けないのだ。ぼくは、カーチャの働く姿を見ちゃいけないと思い、仕事場でパソコンと向かい合うのだけれど、食べるものもない戦禍のウクライナにいる人を思いながら、日本人の家の掃除をしているカーチャを思うと、申し訳なく思った。
「カーチャ、ありがとう。また、来週ね」
「ムッシュ、私こそありがとう。マダム・・・(ぼくにカーチャを紹介してくれた人物)があなたによろしくとのことです。心から伝えさせてもらいます」
何もかも、心が見える素晴らしい人物であった。
彼女が帰った後、ぼくがキッチンに行くと、ぴかぴかであった。
綺麗なキッチンを汚したくなかったけれど、ぼくは息子に昼ごはんを作らないとならない。
つい、数分前まで、ここにウクライナのお母さんがここにいたのだ、と思うと、主夫作家として背筋が伸びた。
この人たちが自分の国に戻り、自分の国の太陽の光りを浴びて、家族らとともに、自分の国を再建させ、心から笑えるような世界に戻さないとならないと思った。
ぼくは下の階の三四郎の友達、オラジオのお母さんに、カーチャを雇って貰えないか、とお願いに行くことにした。

つづく。

滞仏日記「ウクライナから避難してきたマダムが、今日から週一、辻家で働くことになった」



ということで、今日も日記を読んでくださって、ありがとう。
カーチャもありがとう。

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