JINSEI STORIES

退屈日記「一人で生きる飯、これからも生きる飯、えいえいおー」 Posted on 2022/03/31 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくが提唱する「一人で生きる飯」運動。
これは、渡仏後、連れに先立たれたフランスのおじいちゃん、おばあちゃんが、個人主義が徹底しているので家族に頼らず、一人で暮らし、買い物をしご飯を作り、強烈に自立し生きている姿をたびたびというかそこら中で目撃するようになり、その逞しい生き方に感化され、自分も、息子が巣立った後の長い人生を美味しく健康的に生きていかな、と思い立ったことにはじまる。説明長し、ふー。
この夏は日本で大きな仕事を3年ぶりにこなさないとならないけれど、秋以降、新しいアパルトマンを探し、パリよりも、田舎へのシフトを強めていく予定なので、今は、「じゃあ、田舎でどういう食事を作って、どういう風に生きていくのか」をイメージしている次第なのである。
血液検査も終わり、問題がないことがわかったので、この健康を維持するような暴飲暴食を避けて、いつまでもロックンロールが出来る身体を維持するためにも、身体にいい食事は大切であろう。

退屈日記「一人で生きる飯、これからも生きる飯、えいえいおー」



昨夜はカルボナーラを作った。
パリの冷蔵庫に残っていたベーコンと卵を持ってきていたので炒め、茹で上がった玄米のパスタを絡め、火を止めて、卵の黄身と少々の生クリームとパルメジャーノ・チーズで作ったソースをあえて完成、これだけの料理だけど丁寧に作ると小一時間を要した。
しかし、味わい深い田舎風のカルボナーラが出来、残っていた白ワインで頂いたのだけど、いやはや、もうー最高であった。
全部残りものなので、材料費はゼロ。安上がりで、何よりの贅沢であった。
「お金をかけないで美味しい」と嬉しくなる。これこそ「一人で生きる飯」の基本中の基本、醍醐味なのであーる。

退屈日記「一人で生きる飯、これからも生きる飯、えいえいおー」



一昨日は、港まで三四郎と歩き、ゲリラ的に出るスタンド魚屋で、地元の名物、生のホタテを一キロ(だいたいホタテ五個の分量)を買って、ヒモと卵巣は味醂ピリ辛炒めに、貝柱は刺身サラダにして、いつものごとくフェンネルのおしんこと、ラディッシュそのままを添えて、パンとかご飯なしでヘルシーに頂いたのだけど、シンプルに美味かった。
田舎は食材が新鮮で、安い。ホタテ一キロで350円くらいである。
パリの高級店でこの量のホタテを食べたら数千円くらいとられるであろう。いやいや、もっとかもしれない。
安い食材を売ってる店を探すことも、「一人で生きる飯」の基本中の基本である。
そうなると、もう、高いホタテを食べたくなくなる。田舎は寂しいけれど、安くて美味しいものが山ほどあるので、楽しい。
どっちをとるのか、これは運命の分かれ道かもしれない。

退屈日記「一人で生きる飯、これからも生きる飯、えいえいおー」



その前の前の日は、鯖があったので、玄米を炊いて、父ちゃん自慢の半熟卵を作り、葱と大根おろしで、鯖丼を作って食べたのだった。
ラディッシュは、マヨネーズやフラー・ド・セルで食べていたけれど、最近はそのまま齧っている。美味い!!!
ラディッシュの大根とは違う触感と苦みが蕎麦とか玄米にめっちゃあうので、おススメである。
鯖は150円くらいだが、工夫でご馳走になる。
葱好きなので、様々な種類の葱とかコリアンダーなどのハーブにはこだわりがある。
玄米をご飯と思わず、健康食と思って食べるように心掛けている。
よく噛まないとならないから、噛めば噛むほど、味が染みわたり、最高である。
よく嚙みながら、遠くで遊んでいる三四郎を眺めて微笑んでいる日々。
昔のぼくは5つ星高級ホテルに泊まり、そこのバカ高いレストランの個室とかで食事をしているのが自分らしいと信じていたが、今は旅もB&Bにしか泊まらないし、贅沢は敵だという暮らしになってから見えてきたものがたくさんある。
今、ぼくが日々書いているこの日記は、高級とかリュクスとかそういうものからはほど遠いけれど、真の高級であり、真のリュクスであることだけは言っておきたい。
お金で買えるものだけが贅沢ではない。自分で工夫をして、生活を豊かに出来た時、人は尊い満足と真の贅沢を得られるのである。

つづく。

退屈日記「一人で生きる飯、これからも生きる飯、えいえいおー」



はい、今日も、読んでくださり、メルシーボクー。
父ちゃんからのお知らせです。

先のことになりますけど、8月、お盆前に関東と関西でライブを予定しているので、夏のスケジュールは余裕をもって組み立てて頂ければ、笑、お会いできますね~。えへへ。
3年ぶりのライブ、うううう、実現するのか・・・ウクライナ情勢を鑑みて、5月に発表をします。

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自分流×帝京大学