JINSEI STORIES

滞仏日記「散歩が死ぬほど嫌いな三四郎、動かない。おい、歩けよ、サンシー!」 Posted on 2022/03/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、パリは快晴である。
なので、ぼくは三四郎を散歩に連れ出そうとした。
ところがこの子はお外が大嫌いなのだ。
ミニチュアダックスフンドは散歩が嫌いなのだろうか、と最初は思ったが、散歩コースで結構、同じ犬種のわんちゃんたちが、スタスタ歩いているのを目撃するたび、足元でグズってる三四郎にため息を溢れ出るのであった。あはは・・・。
そもそも、家を出る前からテンションが超低いのである。
「散歩だよ~」と告げると、椅子の下に隠れ、それまでびんびんに振っていた尻尾をだらりと下げてしまう。おいおい・・・。
「出て来いよ。晴れて気持ちがいいのに、こんなところにいてもしょうがないでしょ? 子供は太陽を浴びないと。お外でピッピもポッポ(おしっことうんち)しようよ」
しー――――――――――――――ん。
椅子の下で丸くなって動かない。
仕方ないから、強制的に引っ張りだし、ハーネスを巻き付けようとするが、抵抗はすさまじい。その脚をつかんでは強引に押し込む父ちゃん。
意地の張り合いのようになった。
「三四郎!」
なんとか、ハーネスをつけ、リードを引っ張るが、今度は脚をベタっと地面につけて、動かない~~~。
「サンシー! その目は何だ!!!」

滞仏日記「散歩が死ぬほど嫌いな三四郎、動かない。おい、歩けよ、サンシー!」



仕方がないので、抱っこして、(本当は腰が悪いので、抱っこしたくないけど、ミニチュアダックスフンドは胴長短足で階段の上り下りをさせると将来ヘルニアになる可能性があるというので)頑張って、4階から、おりた。
家から公園まで行く間の狭い歩道のあちこちは他の犬たちのピッピの川が、水墨画さながら絵模様を描いている。
超神経質な父ちゃん、大通りに出るまでそのまま抱っこなのである。やれやれ。
で、交差点でやっと三四郎を下ろした。すると、そのまま、モジャ夫(ギャルソンのあだ名)のカフェの中へと勝手に入ってく三四郎・・・。
違うでしょ、と追いかけたが、モジャ夫が飛び出してきて、三四郎を抱きしめる。三四郎、めっちゃ尻尾振りまくる。もげるくらいに振っている。モジャ頭が好きなのだ。
仕方なく、飲みたくもないビールとかワインをつい頼んでしまう父ちゃんであった。
「あれ? 血液検査の結果は? 大丈夫だったの?」
「正常だった。それに適度のアルコールは逆に健康にいいんだって」
でっかいパイントグラスに並々のビールを注いで持ってきて、お祝い、と言ったモジャ。
飲めるかよ・・・・。
モジャ夫に懐く、三四郎。尻尾をふって、モジャ夫に抱き着こうと必死である。(なにか、犬に好かれる人というのがいる。明らかにイヤな人、明らかに好きな人にわかれる。笑。しかし、三四郎の好みがぼくにはまだわからない。モジャかよ)
「ほら、ミニチュアダックスが行方不明だって騒いでいた例のムッシュ、また、一人で歩いたぞ。昨日は一日中、そこらへんを、亡霊のように」
「マジか・・・。結構、認知症がすすんできているのかもね。ぼくは奥さんとかご家族のこと知らないから、どうしようもないけど、心配だ。君、彼の家族とか知らないの?」
「知ってるけど、どこまでお節介していいのか、分からないからね」
モジャ夫のカフェは街角にあるので、交差点を通っていく人たちがまるで監視カメラの映像のように、よく、見える。
モジャは毎日、ここから街の人々を見つめている。異変に真っ先に気が付くのも彼だ。はねられたおじいさんをすぐに手当てして助けたこともある、と言っていた。
「ところでサンシーは散歩するようになったかい?」
「ぜんぜん、ダメ。今朝は、ずっとぼくが抱えてエッフェル塔を一周した」
「筋肉がつくね」
「その前に腰がやられるよ」
ぼくらは笑いあった。
ところが、三四郎はやっぱり動いてくれなかった。
店を出たところでストライキ・・・。うんともすんとも動かない。
モジャ夫がやってきて、腕組みをした。テラスのお客さんらは微笑んでいる。
やれやれ。

滞仏日記「散歩が死ぬほど嫌いな三四郎、動かない。おい、歩けよ、サンシー!」



仕方がないので、抱きかかえ、まるで人間の赤ちゃんのように、昔、息子をそうやって抱っこして歩いていたことを思い出しながら、公園まで抱えて連れて行った。
すれ違ったパン屋のヴェロニクが、
「疲れてるの? 歩かせたら」
と言った。
「それが、歩いてくれるなら、苦労しませんよ」
ヴェロニクが抱っこしたいというので、三四郎を手渡した。
「ヴェロニク、実は引っ越そうと思ってるんだ。息子が9月から大学だし、狭くていいから、いい物件があったら、教えてくれないかな」
「もちろんよ。どの辺に? どのくらいの広さの?」
「田舎生活に比重を置くので、パリは寝泊りが出来れば十分かな。この界隈がいいけど、公園の傍とか、ぼくひとりだから、1DKでいいよ。あ、エレベーターは必須ね」
「オッケー、探しとくわ」
「ありがとう」
この街のことはヴェロニクに聞け、という諺がある。ぼくの街でしか通じない諺だけれども。街の中心にパン屋があるので、彼女は顔が広いのだ。
ヴェロニクが、三四郎を地面に置いた。
「さあ、サンシー、歩きなさい。快晴のパリの下を!!!」
ヴェロニクが声高に号令をかけたが、三四郎は「は~、なんでだよ」とぼくらを振り返るのであった。やれやれ。

滞仏日記「散歩が死ぬほど嫌いな三四郎、動かない。おい、歩けよ、サンシー!」



公園に着くと、大勢のわんちゃんたちが放し飼いにされていた。
飼い主たちは中央に集まり犬ばた会議に明け暮れている。その周辺を走り回る、大型犬たち。
三四郎は怖くて、近づけず、ぼくの後ろに隠れている。
ぼくがあのサークルの中に入れるのはいつのことであろう。
すると、その向こうから、例のムッシュが、こっちに向かって歩いて来るのが見えた。
彼は何かを探すような感じで、飛び交う犬たちの間をふらふら彷徨う感じで・・・。
覚束ない足取りだ。ミニチュアダックスを連れて歩いている時とは明らかに違う。ここがどこかも分かっていないような彷徨であった。
彼はぼくの前までやって来ると、三四郎を見下ろしたまま、
「うちの子がいないんだ。この犬種と同じテッケル(ミニチュアダックスのこと)だよ」
と呟いた。
「家に戻っているかもしれませんよ」
「いや、朝、起きたらどこにもいなかった。いつも、ぼくを起こしに来る。でも、今朝は来なかった。消えたんだ。消えてしまった。ぼくはどうしたらいいんだろう」
ぼくは胸が痛くなった。
「ムッシュ。一度、自宅に戻りましょう。もう、帰っているかもしれないから」
「・・・・」
ムッシュがぼくの目を見た。
「一緒に行きましょう。同じ方角だから、途中までご一緒しますよ」
そして、ぼくは三四郎のリードを彼に持たせたのである。
ムッシュはじっと三四郎を見下ろしていた。
ぼくが歩きだすと、三四郎がついて来た。歩かないテッケルがぼくを追いかけてくる。そのリードに引っ張られて、ムッシュも歩かざるをえなかった。
ぼくらはそうやってムッシュを彼の家の方まで連れて戻ったのであった。
モジャ夫がカフェから飛び出してきて、歩道の中ほどで立ち止まり、ぼくを見た。
ぼくは小さく肩をすくめ、
「ムッシュ、あと少しですよ。しっかり、リードを握りしめて」
と振り返りながら、言った。

つづく。

滞仏日記「散歩が死ぬほど嫌いな三四郎、動かない。おい、歩けよ、サンシー!」

はい、今日も、読んでくださり、メルシーボクー。
ムッシュは心配だけど、でも、きっと街の人たちに守られて、大丈夫でしょう・・・、きっと。
彼のワンちゃんは家にいるのですから・・・。

地球カレッジ

滞仏日記「散歩が死ぬほど嫌いな三四郎、動かない。おい、歩けよ、サンシー!」



自分流×帝京大学