JINSEI STORIES
退屈日記「書くことの訓練として、日記を毎日書いてみる」 Posted on 2022/03/22 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、文章ともっと楽しく向き合いたいという人たちが集まってきた。
今年に入って本格的にスタートさせた文書教室は毎回熱気に包まれている。
それだけ多くの人が書くことを切望しているのだけど、書き方が分からない、どうやって書けばいいのかわからない、という人が多いことを、文章教室を開催してみて、ぼく自身、知ることとなった。
今は「エッセイ編」をやっているけれど、エッセイと作文の違いなどもよくわかっていない受講生の皆さんが多かった。
でも、それは大きな問題ではない。
むしろ、書きたい人がこんなにいるんだ、ということが喜ばしい。
自分が考えていること、経験していることを活字にしていくことは大事だし、面白いし、それを誰かに読んでもらえることは苦労も生じるだろうが、その分、楽しみも自信も得られる。
皆さんをプロの書き手にしたいとは思わない。
書くことは本来、個人的なものなので、書くことで儲けようと思うよりも、書くことで自信をつけようと思って取り組んでもらえる方がいい。
日々に彩を持ち込むことのできる、実にシンプルな行為が「書く」ことなのである。
なぜなら、誰もが文章を書くことが出来るからだ。
楽器を演奏するには楽器を買って、まずは、それなりの練習をしないとならないけれど、日本語を学んできた私たちにとって文章を書くことはそれほど難しいことではない。
(いや、実際はとっても難しいが、準備にお金がかからないという意味では始めやすい)
そこでぼくが皆さんにおすすめしたいのは日記である。
最初はクローズドの日記でいいけれど、書くコツがわかってきたら、第三者にも読まれる形式に変えてみるといい。
日記風のブログとでもいうのだろうか、人に読まれることを前提にした日々の雑感文の配信みたいなことをやると、不特定の読者が出現し、書き方にもそれなりの配慮や工夫が必要となり、文体の足腰を鍛える訓練になる。
面倒くさい人はインスタを利用する手もある。(Twitterは140字という文字制限があるので、インスタの方が長く書くことが出来るという利点もある)
ともかく、毎日、書くことが出来る環境を作ることが大事だ。
日記を書くことの利点は、自分が日々、どのように生き、どういうことを考えているか、を知りえること。
そして、日々を文字で記憶できるので、人生を常に整理して自分を客観的に見つめながら、前進させることが可能となる。
公開すると(読者がいるかもしれないと思うことで)、変なことが書けななくなるので、笑、これも文章上達の大いなる訓練になる。
読者との距離感を保つことは難しいので、生きる上での心の鍛錬にもなる。
書くことを楽しめるのであれば、それはお金のかからない人生の道楽になりうるだろう。
書き方が分からなければ、まずは、日々自分が食べているものを日記風に書いて記録していく、というのはどうであろう。
そこに旅とか、買い物とか、食べてくれた人たちの感想や、彼らとの交流が加われば、もう立派なエッセイだ。
食日記から始まって、食日記を飛び越えて人生の記録帳にしていけばいい。
もしも、そうやって書き続けることが出来た場合、それは大きな達成感を得ることに繋がるかもしれない。
自信がなかった人にはなにがしかの前向きな可能性が生まれるのではないか。
書いていくことで、自分が次にするべき方向性も見えてくる。
文章が上達してくると、読者も一人、二人と増えていくはずで、それもまた楽しい。
最初は数人の仲間たちと日記を回し読みするサークルでスタートさせてみるのも一手ではないか。
ぼ~っと生きていても一生、こつこつ文章を紡いでいっても一生なら、書かない手はない。
何もしなければ、脳は必ず退化していく。
常に脳を鍛えておく方がいい。
毎日書くことは、脳の筋トレにもなるのである。
つづく。
今日も読んでくださり、メルシー・ボク!