JINSEI STORIES

退屈日記「なぜなら、三四郎は犬だから、という悟りの境地へ」 Posted on 2022/03/21   

某月某日、三四郎をドッグトレーナーの訓練学校に入学させて大変だったというのは前の日記で書いた通りで、その後、三四郎は疲れてしばらく動けなくなっていた。
しかし、たった一度の訓練ではあったが、あの訓練に参加したことで、三四郎は多くのことを学んだ。
お外が嫌いだった三四郎だが、外でやっと自信を持って歩けるようになってきたのである。
「オーピエ(足元に)!」
と告げると、なんとなく、ぼくの足の横にはりつくようになり、ついでに、ぼくも子犬を引っ張って歩くことに自信が出てきた。
もちろん、まだスタスタとお散歩が出来るわんちゃんではないが、これを続けて行けば、いつか歩けるようになるのじゃないか、と思った。
躾が大事、という皆さんからの忠告に感謝をしたい。

退屈日記「なぜなら、三四郎は犬だから、という悟りの境地へ」



ピッピ(おしっこ)やポッポ(うんち)も次第にシートへの命中率が増してきた。
残念なのは胴長短足なので、彼的にはシートの真ん中でやっているつもりでも、5センチ、ずれて投下してしまうことがある。
命中率は70%というところだけど、彼のせいではなく体形のせいなので、笑、外れた場合は怒らないようにしている。
そういうことから考えると、おしっこシートでしか、ピッピもポッポもしなくなったので、これは大きな成長であろう。

退屈日記「なぜなら、三四郎は犬だから、という悟りの境地へ」



しかし、まだまだ赤ちゃんなので、出来ないことも多くあるし、ダメだと教えても思い付く悪さは繰り返している。
乳歯が抜ける時期だからいろいろ噛んで壊していくのはしょうがないにしても、一番困るのは、ぼくから離れてくれないことだ。
ミニチュアダックスフンドは犬一倍寂しがり屋だと聞いていたが、これは事実で、とにかく、寂しがる。
夜は一人で寝てくれるけど、日中はちょっと離れると、パパしゃー――ん、と甘い鳴き声で訴える。
ほったらかしにしていると、わんわん、と吠え出すこともある。
最近、ぼくは「三四郎は犬なんだから」という言葉をつぶやくようになった。
時々、三四郎を人間の様に扱っている自分がいるので、戒めとして口ずさんでいる。
子犬の三四郎に無理難題を押し付けるのは間違い、という意味である。

そこで、最近は、ぼくの仕事場へも自由に出入りできるようにドアを少しずつ開放しはじめた。
そうすると、必ず、ぼくの仕事場にやって来て、ぼくの足元で遊ぶ。
しかし、ぼくの仕事場は散らかっている。いや、わざと散らかしているわけじゃなく、とりあえず、大事なものをそこに一時的に置いているのである。いや、本当です。
ところが三四郎はやって来て、その置いてある書類とか写真とか文房具とかを噛んでぐしゃぐしゃにしてしまうのである。
しかも、机の下に、各種電源を隠しており、なんでも噛む三四郎にとってはデンジャラス・ゾーンでもある。

バリアーは本とか額縁とかギタースタンドなどで作っているのだけど、その合間を潜り抜けて入ってくるので、気配を感じたら脚を伸ばし、侵入を防ぎながら仕事をしている父ちゃんなのである。
でも、仕事に集中していると、三四郎のことを忘れることがしばしばあり、気が付くと、椅子の下で丸くなって、ぼくを待っていたりする。
もちろん、悪さをしなければほっとくのだけど、ぼくの気を引きたいので、ぼくのジャケットを噛んだり、ぼくのスリッパを噛んだり、電源コードを引っ張ったり、重要書類ケースに首を突っ込んで中のものを引っ張りだしたり、・・・それはそれは犬の想像力は逞しいものだ。

しかし、生後6か月になり、乳歯も抜けだして、次第に成犬へと近づきつつある三四郎の成長速度というものは目を見張るものがある。
人間が生きる速度の七倍の速さで成長しているというのをどこかで読んだことがあるが、まさに、毎日、彼は立派になっている。
ドッグトレーナーさんの訓練も受けていくので、きっと今年中には見違えるようなワンちゃんになっていることであろう。
「三四郎は犬なのだから」とぼくは今日も自分に言い聞かせて三四郎と生きている。

つづく。

今日も読んでくれて、メルシー・ボク!!!
そして、父ちゃんからのお知らせです。

文春新書から「ちょっと方向を変えてみる」が発売になっております。
そして、DeepForestとのコラボ「荒城の月」がリリースされました。音楽好きな皆様、携帯に入れて聞いてみてください。

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