JINSEI STORIES
退屈日記「パパには何も教わってない。美味しいごはんと屋根だけ与えられた」 Posted on 2022/03/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、辻家が物凄く動いている。
三四郎がやってきて、息子はいよいよ来月大きな受験があるし、一家の大黒柱である父ちゃんはうかうかしていられない。
夕飯の時に、息子から、動画の編集をやっているのだが見てほしい、と言われた。
彼は紆余曲折があり、ジャーナリズム&広告関係の大学に今は進もうとしている。
4月に受ける学校だけは試験があるが、他はこれまでの成績とモチベーション審査というフランス独特の方法での受験となる。
成績は日々の積み重ねなので、今更慌ててもどうにもならないが、モチベーション審査は大学側が息子を面白いと思うかどうかにかかって来るので、戦略が必要となる。
そこで息子は、これまでの自分の活動をまとめる作業に入っている。大学の卒業制作のようなものを想像してもらえればいいのかもしれない。
提出は文章で行うようだが、URLなどを挟みこみ、動画などに飛ぶことが出来、彼は広告業界に進みたいというプランもあるので、その中で本格的な音楽映像を提示するのだ、とぼくに力説した。
コンスタンタンやトマなどの映像に強い仲間たちの力を借りて、作品の制作を進めている。
「パパ、アドバイスがほしいんだけど、いいかな」
と今日、食事中に言われた。
「いいよ」
息子は一人でやっているヒップホップのユニットを持っていて、たくさんの曲を発表している。
その中には10万再生回数を超える曲もある。
でも、それだけだと弱いので、ぼくが貸してあげたキャノンの5Dと呼ばれる映画撮影もできる高級カメラと周辺機材で動画制作を開始したのだ。
あまり、息子に頼られたことがない。
息子はある日、ママ友にこう愚痴った。
「フランス人でもないパパにぼくは何も教えてもらってこなかった。ママもいないし、ぼくはずっと一人だったし、全部自分でやってきた。日本人なのにフランスで生まれて、全部、一人で学ばなければならなかった。ほかの子たちのようにわからないこと、勉強や進学のことを親に相談することも出来なかった。パパには毎日美味しいごはんと屋根を提供してもらえたから感謝しているけど、それ以外は全部自力でやってきたんだ。ぼくは誰にも甘えてこなかった。それがぼくの今を作っているんだ」
ママ友に呼び出されて、これを聞かされた時の衝撃は、ご想像通り、小さくはなかった。でも、息子の立場になれば、この通りであろう。
なので、いい大学に行けよ、とは言えなくなった。
去年のある時点から、口酸っぱく勉強しろ、というのをぼくは控えるようになった。
実は、パパだって、全部ひとりでやってきた。甘えるな。
ところが今日、息子がぼくに頼って来たのだ。
息子に見せられた映像は、日本だと新宿副都心のような近代的な場所で撮影された動画で、この動画のために作ったというリズミカルな曲を息子自身が歌っているものだった。
内気で目立つことの苦手な子だったが、どういう心境の変化か、ふりつけをつけて動きながら歌っている。
カメラワークもいいし、編集も悪くない。音もいい。しかし、大学側がこのPVを見て、どう評価するのかは、分からない。
「なかなか、面白いビデオだけど、世の中、そんなに甘くないからね。インパクトが弱い気がする。カメラワークはいいし、編集も上手だけど、その程度のものは世界中に溢れているから、専門の映像の先生たちからすると目新しいとは思わないだろうな。衒いを感じる。そこを突き抜けないとダメかもね」
ぼくは映画監督としての経験から、何がよくないか、細かいアドバイスをした。
やっぱりね、と息子は言った。
「実は、全部一から撮り直すそうと思ってる。その前にちょっと聞いてみたかったんだ」
この子の強みは、全部自分でやってきた、と思って生きているところかもしれない。
「お前の武器はなんだ?」
「ぼくが学校側に突き付けるモチベーションとしては、まず第一に、自分が日本人であること。ぼくが他の受験生と決定的に違うところは自分が日本人でありながら、ここで生まれて育ったということでしょ? 二つの文化を持っている。そこを全面的に出すつもりなんだ。みんなと違うものを出さないと目立たないから。その上で、長年やってきた音楽はそこそこのファンがいるし、今までは覆面でやって来たけど、ここで自分を前に打ち出して、動画制作をやり、フランス人の好きな異文化を形にして勝負をかける。ここで日本人である自分を売り出すことが最大の武器になると思った」
ぼくらは、いろいろと話し合ったけど、これはもう、やるしかないことだった。
道は決まっているみたいだし、あとはとことんやるだけであった。
今が一番大切な時期に突入したというわけである。ぼくはこっそり、三四郎に耳打ちをした。
「十君がね、本気だから、応援してやろうな」
つづく。
今日も、日記を読んでくれてありがとうございました。