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第六感日記「30代後半、不意に鏡リュウジ氏が現れ、最悪の十年を予告した」 Posted on 2022/03/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昨日の日記で、すれ違いざまに「可愛いね」と三四郎に声をかけてきたムッシュの話しを書いたが、その後、彼、アンドレ・ダーハンが世界的に有名なイラストレーターで、しかも2009年にぼくは彼の本を翻訳していたことが判明したのである。
その日記を書きながら、実はぼくにはそういう不思議な出来事が過去にたびたび起きていたことを思い出したので、今日は、ちょっと追加で、俄かに信じられないあの日の出来事について、触れてみたい。
話は遡ること20年以上前のことだ。
その時、弟の恒ちゃんがぼくのマネージャーをやっていた。ラジオの収録のあとで、放送局を車で出たところであった。
ぼくは恒ちゃんに向かって、
「悪いけど、南青山に向かって」
「兄貴、逆方向だけど、どこへ?」
「野球場の近くに、並木道がある、そこ」
そんなこと、自分では思ってもいない。テラス席のある「セラン」というカフェがあった。今、あるのか、分からないので調べてみたが、見当たらなかった。Googleマップで探したのでよくわからないけど、キハチ本店となっている。もしかしたら、店が変わったのかもしれない。
「セランに行く」
「誰かと待ち合わせ?」
「わからない」
苦笑する弟、でも、恒ちゃんはハンドルを切った。

まもなく、セランの前に車が到着し、ぼくは降りて、テラスの階段を上り、その人物が座る席の前へと向かった。そこには、占星術師の鏡リュウジさんが座っていて、タロットをやっていた。
当時、彼と面識があったのか、どうかも、ちょっとよく覚えてないけれど、誰かの紹介で、かつて一度くらいは挨拶をしたことがあったかもしれない。
「こんにちは」
とぼくが言うと、タロット占いをしていた鏡さんが、
「やあ、辻さん」
と言ったのだ。(じゃあ、面識があったのかもしれない)
「おひとり? いいですか? ここに座って」
で、そこで、ぼくは彼の前に座った。彼の前にはタロットカードが並んでいた。



「どうぞ」
「タロット占い?」
「ええ。そうです。試されます? 何を知りたいですか?」
「あ、できるなら、この先、40代のぼくの十年間のことをお願いします」
タロット占いがはじまったのだけど、あまりに奇妙だった。
そんな予定はなかったし、放送局からぼくはそこへ直行している。恒ちゃんが全部、記憶しているので、間違いはない。
何に、誰に、導かれているのだろう・・・。
ぼくは生まれてはじめてタロット占いなるものをやったので、それがどういうものかわからなかった。しかも、初体験なのである。
ただ、不思議なことがおきた。そのカードを一枚一枚、鏡さんがぼくの前に置いていくのだが、裏返された瞬間、世界が小さくフラッシュした。ぼくは慌てて瞬きをしなければならなかった。
そして奇妙なことにほぼすべてのカードがぼくに背を向けてしまったのである。
あまり良からぬことがぼくの身に降りかかることが予告されているに違いなかった。
身構えていると、最後、真ん中に置かれたカードだけがぼくの方を向いた。
鏡さんがちょっと悩んでいるので、
「これはあまりいい結果じゃないですね? すべてが裏目に出るということ?」
と訊いてみた。
「うーん」
鏡さんが考え込んでいた。結果はたぶん、芳しくないのだけど、どうやってぼくを安心させるべきか、考えているような沈黙が数秒あった。
「鏡さん、この真ん中のカードだけがぼくを向いていますよね」
鏡さんがぼくを見た。
「つまり、このカードが40代のぼくの苦難を支え続けることになるんでしょうか?」

第六感日記「30代後半、不意に鏡リュウジ氏が現れ、最悪の十年を予告した」



ぼくがこのような解釈を伝えると、険しい顔をしていた鏡さんの顔が緩み、
「辻さん、その通りです。その解釈は素晴らしい。そうやって人生を切り抜いていけばいいんです。占星術にがっかりする人が多いのだけど、どうそこから前向きに生きていくのか、を考えられる時に、意味が違ってくるんですよ」
このようなことを、もっとも古い記憶なので、多少異なっていたかもしれないが、おっしゃったのだ。
「鏡さん、このカードはなんですか?」
「辻さん、クリエーションのカードです」
「じゃあ、ぼくは苦難に陥るけど、創作を続けていくことでそれを打開できる、と思っていればいいんですね」
「その通りです」
その後、日本ではちょっと生きていけなくなり、ご存じの人も多いと思うが、ぼくはフランスに渡ることになる。その後のことはここには記さないが、渡仏後の、とっても苦しかった時期、ぼくはクリエーションのカードを頭の中に描き続けて日々を生きることになる。



後日談があって、十年後、ぼくは日本で鏡さんと再会をした。
新宿のバーにぼくらはいた。その時のことを話したが、彼の記憶とぼくのそれは微妙に異なっていた。
しかし、ぼくは自分の記憶を信じる。
鏡リュウジさんとは、今までに二回ほどしかお会いしたことがない。非常に珍しいジェントルマンであった。
しかし、彼がぼくに伝令したことは今日もぼくの中で、強い指針となって、存在している。いまだ、創作のカードがぼくの中にある。それを信じて、仕事を続けていくことが自分には大事なのだ、とそして、今も、言い聞かせている。
これを霊感と片付けたくはない。共時的なメッセージと思っている。
自分を導くものは自分なのであろう。

つづく。

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