JINSEI STORIES
退屈日記「三四郎の強い意思に根負け父ちゃん」 Posted on 2022/03/08 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、意思の強い三四郎は檻の中にいるのが嫌だから、とはいえ、その檻の中は子犬の三四郎にとってはケージの中で過ごすよりも何十倍も広いというのに、どうやらそこが大変不満なようで、彼はしょっちゅう脱走を試みている。
そこから出られない不満から吠えることもある。
この子犬は滅多に吠えないので、吠える時はそこに強い意思が漲っており、こちらも一応、なんで吠えるのだろう、と身構える。
「そっちに行きたい。自由をください」
そういう吠え方なのだ。
ぼくは昨夜、冷凍の海老でエビフライを作り、味噌カツソースをかけた。皮つき鶏肉で鳥ごぼうご飯も作った。手作りハリハリ漬けも添えた。
キッチンのカウンターで食事をしている間中、ずっと、三四郎が吠え続けた。
「うるさいよ、三四郎。お前はもう食べたじゃないか」
「やだよ。ムッシュ、そっちで遊びたい。広い世界に行きたい」
「うるさいよ。ご飯の時くらい静かにしてよ」
この要求がだんだん、強くなってきたのであーる。
※有頭海老の冷凍で作ったエビフライ、やはり、味噌カツソースがあうのだ。鳥ごぼうご飯はココットで炊くのだけど、鳥とごぼうは別で作り、最後に混ぜるのが辻家風。うまーい!!!
しかし、夜中は吠えない。諦めのいい子なのだけど、明け方になると、寝室のドアをノックしに来る。
前脚で、ドアをがさがさと叩くのだ。(この音も愛おしい・・・)
ほっとくと、まもなくして、静かになる。
監視カメラで様子を見る。
ショファージュ(暖房)横の自分のベッドの上でぼくの寝室のドアを見ている。ドアの前まで行き、ドアノブを見上げたりもする。
吠えないけど、なんとも切ない光景である。
ぼくはおしっこに行きたいけど、眠いので我慢をして、携帯画面の監視カメラ映像を時々見るのだけど、三四郎はぼくが出てくるのを待ち続けている。
要は、ピッピ(おしっこ)とポッポ(うんち)がシートの上で出来るようになれば、檻の扉は開き、彼は自由を手に入れることが出来る。
そこまでの辛抱なのだ。今、ドッグトレーナーを探しているので、夏の終わりくらいまでには、彼は自由の身になる予定だが、今は、まだダメ。
でも、父ちゃんが起きてくるのを待ち続けてくれるそういう存在がいることはとっても嬉しい。母性が擽られる。え?
仕方がないので、ぼくは寝室のドアを開けた。
すると、三四郎が激しく尻尾をふって、飛びついてくる。
もう、待ちきれなかった、寂しかった、我慢できないと全身で喜びを表してくる。
彼はこういう時に無駄吠えはしないのだ。弁えている犬である。
見ると、ベッドマットの横のシートの上に綺麗なポッポとその隣にピッピが出来ている。胴長の三四郎はよく的を外すのだけど、不思議なことに夜中は外したことがない。
「ちゃんと出来たのか、偉いな」
ぼくはメールのチェックをするために、パソコンをソファにもっていき、開く。
すると、くーん、とぼくを呼ぶ三四郎の切ない声が・・・。
「ぼくだって、ソファに座りたいよ。そっちに行きたい、ムッシュ」
可哀想になって、(根負けして)三四郎を抱き上げ、(ピッピとポッポ終わっているので大丈夫かな、と思って)サロンのソファの上に座らせてあげる。
すると、ご覧の通り、そこで丸くなって、ここはぼくの場所だよ、もう動かないぞ、と訴えてくる。
全身で訴えてくる。
やれやれ、なんて可愛いのだろう・・・・。いかん・・・。
毎日こんなことの繰り返しである。
三四郎は少しずつ、強い意思と粘り強い攻防戦の結果、自分の領域を拡大している。
今、ぼくの膝の上には三四郎がいて、ぼくはこの日記を右手のみで打っている。
左手は三四郎を抱きかかえているのだ。
ぜったいソファの上には座らせないと決意していたのだけど、かわいさに、負けた。
大事なことは意思の強さなのだ、と子犬に教えられる毎日である。
つづく。