JINSEI STORIES
滞仏日記「愛犬との別れ、・・・後日談」 Posted on 2022/03/06 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、昨日、不思議な夢を見た。
いつものカフェに三四郎とお茶をしに行ったら、前からSUGIZOさんが白いアフガン・ハウンドを連れて歩いてきた。
この方はロックバンド、ルナシーのギタリストさんで、日本人ばなれした、時々、パリで見かけるようなスペイン人のバレーダンサーのような背筋のすらっと伸びたかっこいい男性だが、この人の横にいる、アフガン・ハウンドがこれまためっちゃ絵になっていた。
それに比べ、父ちゃんのみすぼらしいこと、というのはジャージ姿なのである。そして、そのみすぼらしい父ちゃんの横には、胴長短足のサンシーが・・・。えへへ。
「あれ、辻さん、ご無沙汰です。わ、可愛いワンちゃんですね。こんにちは」
とあいさつされたのだが、三四郎は、アフガン・ハウンドにビビっていて、ぼくの後ろに回り込み、動こうとしない。
アフガン・ハウンドは三四郎など相手にしていない。貴婦人みたいだ。
「じゃあ、失礼します」
と言い残して、SUGIZO氏は颯爽と去って行った。
そこで夢が覚めたのだけど、ぼくは長椅子で午睡をしていたようで、ぼくの股の間でサンシーもお腹を出して寝転がっていた。
あはは、ありゃ、叶わないな、とぼくは三四郎の寝姿を見つめて、苦笑した次第である。
というか、犬というのは飼い主に似ている。
毎日、散歩中、大勢の犬連れの人たちとすれ違うのだけど、だいたい、同じ顔をしている。
今度、三四郎にハットを特注してやろうかな、と思っている。
ハッとびっくり、きっと、似合うはずであーる。
※こちらのイラストはイラストレーターのCato Friendさん作。NHKの「ボンジュール、冬ごはん」のイラストを描いてくださっています。家宝ですね・・・。ふふふ。
ところで、2月24日の滞仏日記に「愛犬との別れ」を書いた。
読まれていない人のために、掻い摘んで説明をしておきたい。
このカルチエ(地区)に引っ越してきた3年前、ぼくは行きつけのバーで紹介されたムッシュと親しくなった。
奥様が大金持ちで、大きなアパルトマンで暮らしているが、そのムッシュはどうやら働いていない。でも、奥さんの連れ子さんを育て上げた自負がある。
仕事がないので、毎日、朝から晩まで犬の面倒を看ている。
そのことはこの界隈の人であればみんなが知っている。
ぼくでさえ、知っているくらいだから、その高齢のムッシュが奥様に頭が上がらず、家から逃げるようにいつも犬と外をほっつき歩いている、ということも・・・。
ちなみに、ムッシュが面倒をみているのは、三四郎と同じ、ミニチュアダックスフンドの老犬である。
年齢はわからないけれど、顎髭が長いタイプで、三四郎よりも一回り身体が小さい。
ところが、その日(2月24日)、ムッシュがおぼつかない足取りでぼくの前にやって来た。
「同じ犬種のうちの犬が消えてしまった。うんざりだよ。朝からずっと探しているんだ」
といきなり言い出したのでびっくり仰天・・・。
「え? それは大変だ。どこにもいないんですか?」
訊き返したが、その人はよろよろとすでに歩き出していた。
ムッシュは街中の人を呼び止め、不意に犬がいなくなった、と言い続けていたのだ。
その日は、そのカルチエ中の顔見知りたちが暗くなるまでその周辺を探索したのだけど、結局、見つかることはなかった。
この二週間弱の間、ぼくは三四郎と散歩しながら、ムッシュの愛犬が一人彷徨っていないか、街路樹の袂や、公園とか、セーヌ河畔とか、ずっと目を凝らしてきた。
近所のバーのリコや、香港人のパトリック、カフェでよく会うエステルやブリュノにも、その都度、見なかったか、と訊いたけど、誰もが首を力なく左右にふるのだった。
というか、それ以降、ムッシュを見かけた人もいなかった。毎日、四六時中、この界隈を歩いていた人が消えてしまったのだ・・・。
「パトリック、あの人、見たかい?」
「見ないね」
「じゃあ、あのワンちゃんは絶望的だね」
「かもね」
パトリックは真っ黒な大型犬を飼っている。彼も一日三回、散歩をしている。でも、一度も会ってない、ということだった。
クリーニング屋のおやじさんも、ワイン屋のエルベも、哲学者のアドリアンも、みんな見かけないという・・・。
愛犬が消えて、日常が消え去って、家に閉じこもって、頭を抱えているに違いない。それを思うと胸が痛んだ。本当に、見かけなくなったのだ。
生きていればいいのだけど・・・。
ぼくはロジェの肉屋に顔を出し、(ロジェもわんちゃんを飼っている)、ヒレ肉を買って帰った。今日はとんかつの日である。
夕食後、ぼくは三四郎と夜の滑走路へと向かった。そこはどこまでもまっすぐに伸びる大通りの横の歩道である。
三四郎が一番安心をして、胸を張って歩ける場所なのだ。
途中でウクライナの国旗を腰に巻いている女性と出会った。
三四郎に、よしよし、をしてくれたので、訊いてみた。
ウクライナを応援するために反戦デモの参加してきたのだ、とその人は言った。
フランス人のこういう行動力にはいつも頭が下がる。
ともかく、ぼくらは小一時間散歩をしてから、家路についた。
すると、先の交差点を横切るミニチュアダックスフンドが見えたのである。
最初に反応をしたのは、もちろん、三四郎であった。
「ムッシュ!!! あれ!!!」
ぼくが目を凝らすと、ああああああああ、あの人じゃないか!!!
ぼくらは交差点まで走った。
目を疑ったのは、あの高齢のムッシュが顎髭の長いミニチュアダックスのリードを引っ張って、いつもと同じように、歩いていたのである。
老犬が三四郎に気が付き、動かなくなった。三四郎も歩道を乗り出す感じで、動かなくなった。見つかったんだ、よかった・・・。
「やった、三四郎、よかったよ」
ぼくが笑顔になった。動かない愛犬に気が付き、あのムッシュがぼくらに気が付いた。
「あ、やあ、君か」
その人は笑顔で言った。
ぼくは三四郎と道を横断し、その人と向き合った。
「見つかったんですね!」
ぼくが告げると、ムッシュはきょとんとした顔で、ぼくを見つめ返した。
「どういうこと?」
「行方不明になっていたでしょ?」
「言ってる意味が分からないけど」
「ほら、この間、ここで、不意に犬がいなくなったって、みんなに告げていたじゃないですか?」
「ん? そんなこと言ってないよ。この子はずっといるよ」
「(ええええええ・・・・)」
そうか、なるほど・・・。
ちょっとボケているのである。
ぼくの母親くらいの年齢なので、仕方がない・・・。
三四郎がその人の老犬と匂いを嗅ぎあった。
その人は微笑んでいた。ぼくはキツネにつままれたようだったけれど、これは仕方がないことだし、とりあえず、ワンちゃんは家にいたということなので、よかったじゃないか・・・。
ひとまず、良かった・・・。
「じゃあ、ボンソワレ」
ムッシュはそう言い残して、去って行った。
つづく。