JINSEI STORIES
退屈日記「それでも世界は動き、胸を痛めつつも、ぼくはお弁当やごはんを作る毎日にいる」 Posted on 2022/02/26
某月某日、ウクラナイナ人の多いパリ、市民はみんなロシア軍の進軍に怒りを覚えながら、テレビにかじりついている。
外で人に会っても、話題はプーチンと彼の軍隊の侵攻の話しばかりで、みんな怒っている。
ブノワが「あの大統領は歴史に名を残すことに成功したな」と皮肉を言った。
地続きの欧州は他人事ではないのだろうし、プーチンが何を考えているのか、核兵器持ってるし何しでかすかわからないから恐ろしい、と肩をすくめてみんな嘆いている。
うちも息子が心配そうな顔をしているので、今は、勉強に精を出し、いずれ、こういう問題をちゃんと世界に伝えられるジャーナリストになりなさい、と伝えた。
彼は結局、広い意味でのIT広告やジャーナリズムの専門分野を目指している。
コロナ禍でも戦争でも、学生は勉強をするしかない・・・。
しかし、そこに「するしかない」目標があることは大事である。
生活のリズムが破壊されることが戦争だからだ。
ということで世界がこんなに激動していても、息子にお弁当を作った父ちゃん。
今日は、マグロ・マヨ入りのおにぎり、とんかつ&野菜弁当にした。
ぎゅっと米を詰めて握ったし、海苔には薄く醤油をつけているので、食べる頃には染みて、うまいはずだ。
ただ、歯に海苔がつくとまぬけなかおになるのでかっこわるいぞ、と忠告。
あはは。
激動の時代であろうと、ぼくは毎日、丁寧に献立を考え、買い物に出かけ、料理に精を出す。
逆を言えば、コロナや戦争で不安定になりがちなこの心配だらけの世界を乗り切るすべは、毎日の生活の中にこそある。
料理をすることは、人生を維持する特効薬なのである。
自分が病に罹って不安になっても、もし身体が動くなら、ぼくはキッチンに立ち、健康を取り戻すための料理を開始するだろう。
自分が食べられなくても、家族のために作るだろう。
それは毎日を遂行したいという、その毎日の積み重ねがぼくらの一生を構成しているからだ。
生きていられることに、感謝し、噛みしめて作ったものは残さず食べることだ。
昨日の夜は簡単鳥南蛮と焼きそばを作った。
一昨日はキノコのスープパスタにした。
煮物を作り、おしんこを仕込み、余った鳥の骨でしっかり出しをとり、うどんをこしらえた。
キッチンに立って、料理の工程を手順に従って作っている時の自分は、間違いなく、落ち着いている。
沸騰したら火を止め、オーブンの熱を調整し、パスタが茹ですぎないよう見張る。
食べたら、片付ける。お皿を洗い、棚に戻す。ちゃんとやると安心する。
子犬の三四郎の世話をしている時も、大変だけど、この子を育てないとならないという使命感の中で、安らぎを得ている。
苦しく辛い世界から目をそらさず向き合うことは大事だが、心は保たないと、応援もできない。
生きることをきちんと続け、自分を維持しないとならない。
これはコロナのロックダウンの時に気が付いた激動の時代の生き抜き方である。
不安なら、キッチンへ行こう。
そして、コツコツと時間のかかる丁寧な料理を作ればいいのだ。
つづく。