JINSEI STORIES
滞仏日記「つ、ついに、三四郎がお外で初ポッポ。感極まる父ちゃん!」 Posted on 2022/02/24 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、NHK・BSで「ボンジュール、辻仁成のパリの冬ごはん」が放送されたようで、ぼくの知り合いから「観たよー」と連絡があった。
どういう反響なのか、制作会社社長のLさんからの情報を待たないとわからないけれど、とりあえず友だちの少ないぼくの知り合いから届いた感想をまとめると、
1、 三四郎が可愛い。
2、 料理がおいしそう。
3、 地下室が怖かった。
4、 笑って泣けた。
5、 パリに行きたくなった。
という意見が多かった。
一番最初にメッセージをくださったのは、ECHOESの元所属事務所ジャグラーの村田社長で、何年ぶりであろう・・・。
「テレビ観ました。父親大変だったね。息子さん成人おめでとう。感動しました」
いつもぶつかっていた人だったけど、こうやって、時が立つと村田社長には本当にお世話になったなァ、と感謝しか出てこない。
ぼくも大人になったということであろう。
子育てがひと段落しようというタイミングで三四郎がやって来て、生まれて初めて犬を飼ったぼくは、巣立とうとする息子を見送りつつ、子犬との新生活の中にいる・・・。
3部作になった「パリごはん」はなんとなくハッピーエンドで終わったのだけど、ぼくの人生はまだまだ続くし、三四郎を育てながらの奮闘に終わりはない。
現実にも終わりはない・・・。
そんな中、一つ、とってもいいことがあったので、ご報告をしたい。
かねてから、三四郎には乗り越えないとならない至上命題があった。それは、外でピッピ(おしっこ)とポッポ(うんち)が出来るようになることだ。
今まで、ピッピは二度お外で出来たが、いまだポッポは成功していない。
我慢して、我慢して、家に戻るとおしっこシートに辿り着く前に、出ちゃったァ、という感じで、パパしゃんに怒られてばかり・・・。
とはいえ、犬を飼うのがはじめてのぼくには、教え方もわからなければ・・・、あの手この手で毎日、一緒に散歩をやってきたけど、成果もないし・・・。
もしかしたら、この子はお外では出来ないワンちゃんなのかしら、自分を人間だと勘違いし、外でなんか出来るわけないでしょ、と思っているのかもしれないなァ、とか諦めモードに入っていた父ちゃんだったが、・・・。
今日、セーヌ川河畔近くの歩道で、不意に動かなくなった。
「行くぞ。三四郎」
リードを引っ張ろうとしたら、あれ、あれ、お尻が浮いとらん?
ぼくは口をつぐみ、素知らぬ顔で、見守ることにした。
お、ややや、ありゃ~、出てるじゃん。
ちょっと身体をひねって、三四郎のお尻の方を覗き込んだら、おおお、やっぱ出てる~。
し、しかし、メトロの出口の真ん前、めっちゃ目立つ場所だったから、通行人が笑いを必死でこらえながら、通り過ぎていく。
いや、そんなこと父ちゃんはぜんぜん気にならないのであーる。
だって、お外でうんちが出来たんだもの、やっと犬としての正しい行動がとれたことで、ぼくは胸を撫でおろし、次の瞬間には、
「ばんざー――い、三四郎~、おめでとう」
と叫んでいたのだ。
しかも、特大のポッポが4本。4本であーる。
ぼくが笑顔で、ポッポ用ビニール袋(この日がいつ来てもすぐに取り出せるように、ぼくは、それを持ち歩いていたのだ)を取り出し、つまんで、くるりんと結んで天高く持ち上げると、太陽さんが、よかったね、と祝福してくれた。
ちゃんとお外でポッポが出来たので、ぼくは彼の大好物のサーモンのおやつを取り出し、ご褒美に一つあげた。
しゃがんで、頭を撫でて、よくやったね、えらかったね、と教えてあげると、三四郎は尻尾を振って、こたえていた。
それは、息子がはじめて自分で立ち上がった日の感動に似ていた。
人間も犬もやっぱり生き物で、一つ一つ、こうやって学んでいくのである。
それはぼくの人生も一緒で、62歳になった今でも、ぼくは毎日、生きることの意味を学んでいる。学ぼうとしている・・・。
おめでとう、三四郎。
ぼくらは行き交う人々をぬって、公園まで行き、いつものように、一緒に走った。
太陽がまぶしかった。
風はまだ少し冷たかったけれど、春を予感させる草の香りを含んでいた。
ジャンフランソワのカフェに行き、カフェオレを注文して、温まった。
三四郎はぼくの腕の中で、眠っていた。
その時、交差点の向こう側を一人歩く、あの人が見えた。
数日前に、愛犬のミニチュアダックスフンドの老犬がいなくなった、と大騒ぎしたご近所の年配の紳士である。(過去日記、愛犬との別れ、をご参照ください)
どうも、まだ探しているようだ。見つからないのかもしれない。
胸が痛んだ。その痛みを埋めるために、ぼくは三四郎を抱きしめた。
買い物をしてから、家に戻り、灯りをつけ、掃除をした。
息子が戻って来る前に、息子の部屋もちょっと片づけてやった。
今夜はカツカレーにするので、仕込んだ。
息子が戻ってきたら、三四郎が外で出来たこと、を教えてやらなきゃ。
ありふれた何気ない一日だったけれど、嬉しいこともあり、切なくなり、ぼくは今日もこうやって生きている。
おごらず、丁寧に、大切に、生きていこうと誓うのであった。
つづく。