JINSEI STORIES
滞仏日記「おかしい。三四郎が尻尾を振らなくなった」 Posted on 2022/02/06 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、フランスの一日の感染者数が、21万人まで下がった。50万を超えた日から、10日かからず半分以下になっている。
パリの一日の感染者数も5000人台まで下がった。
このままピークアウトしてほしい、と願いながら、今日も三四郎を散歩に連れ出した。
ところがであーる。
異変は朝から始まった。
「三四郎、おはよう。今日も精一杯生きたろー―――」
と顔を出したが、いつもなら尻尾をふって、飛びついて来るのに、来ない。
は? どったの?
ご飯を食べさせ、午前中、ぼくは13日に50枚の締め切り小説があるので、仕事場にこもって書いていたのだけど、普段なら、わんわん、と吠えて、遊ぼうよー、とうるさい三四郎が、しーん、と静まり返っているではないか・・・・。
へ、どったの?
おかしいな、と様子を見に行くと、自分のベッドの上でごろごろしていて、こっちを見向きもしない。
こっちを見ない・・・何があったと?
昼、お手伝いをお願いしている中島君ことエリックがやって来て、掃除を開始。
この一週間、床などでもポッポ(赤ちゃん用語でうんちのこと)をしまくった三四郎の部屋はとくにしっかり拭き掃除をお願いした。
中島君が掃除をしている間、三四郎をバッグに詰め込んで一緒に家の中を移動していたが、おとなしい・・・。
「三四郎、三四郎? 聞こえてるのか?」
どったの?
昼食後、散歩に連れ出し、一時間くらい公園で遊ばせたのだけど、もちろん、外ではそれなりに活発に動いてはいたけれど、戻って来ても、ぼくに近寄ろうとしない。
遠くで一人、黄昏ている。
どったの??
それから老犬のように、自分のベッドに上って、ごろごろしはじめた。
ちなみに、ぼくが食堂でご飯を食べている時も、ドアの向こう側で静かに、いないのか、と思うほど、静かにしている。
げ、吠えないのだ。
どったの~、心配になるじゃー-ん。
この急激な変化、親としてはちょっと気になった。
鬼辻大魔神&フライパン大作戦が功を奏したのはいいが、様子がおかしい。
まず、ここに来た日からあんなに激しくふっていた尻尾が完全に止まっている。
と、止まっているではないか・・・。
消え失せた忠誠心&愛情は、どこへ。
愛情が消えた?
「三四郎、どったの? 具合悪いのか?」
ぼくが顔を近づけ、覗くと、そそっと視線を逸らすサンシー。
げげげげげ、もしかすると大魔神やり過ぎて愛想疲れたのかもしれない。
ま、まさか、そんなはずはない。
狩猟犬のミニチュアダックスがこんなことくらいで、飼い主を無視するはずがない。
じゃあ、病気だろうか?
あまりに物憂げな三四郎、めっちゃ、違和感・・・。
いや、むしろ、これは成果が出ている証拠かもしれない、威厳を持って接し続けないといけない、と自分に言い聞かせる父ちゃんであった。
ともかく、今日は一日中、元気がない三四郎だったが、思えば、パリにやって来て2週間が過ぎた。
疲れが出ているのかもしれない。
慣れない都会生活で疲労困憊気味なのかもしれない。
昨日は、15区の広場でオスのヨークシャーテリアちゃんにマウンティングされ、腰を思いっきりふられた三四郎。
それ以降、なんか、気のせいか、覇気がないのである。
人間でも、こんなに環境が変わり、生活様式が変化すれば身体を壊す。
ぼくは下の階のマダムに教えてもらった獣医さんをすぐに予約した。
一度、今後のことを相談しつつ、ついでに、チェックをしてもらうのもいいだろう。
幸いなことに歩いて行けるところに評判のいい獣医さんがいた。
午後、一仕事終わったぼくが、三四郎の部屋に顔を出すと、三四郎はモロッコで買った皮のクッションの上で丸まっていた。
目は開いているけれど、こっちを見ない。
ぼくが来たことを察知するといつもだったら飛んできて、飛びついてきて、尻尾を激しくふって、ぼくの身体に這い上がろうとするのだけど、し、しない。
どったの?
一瞬、こっちを見たけれど、また頭をもたげて寝てしまった。
えええええ? 心配~。
そこで、ぼくはいつものロッキングチェアに座り、
「三四郎、おいで、抱っこしてあげるよ」
と甘い声で誘ってみたのだけど、反応、なし。
げげげげげのげ~。無視か???
仕方がないので、ぼくが少し離れた三四郎のところまで行き、無理やり抱きかかえ、椅子まで連れて戻り、いつもの定位置である股の間に置いてみた。
顎を突き出し、いつものポーズはとったけれど、覇気がないのは変わらない。
どったんだよ~、サンシー。
よしよし、お前は赤ちゃんなのに、最初が肝心とはいえ、無理やり躾けるのもよくなかったのかな、と反省をした父ちゃんであった。
なので、今日は、身体を優しくさすりながら、午後いっぱい、子守歌を歌ってあげた。
知っている歌はそんなにないけど、息子君が赤ちゃんだった頃に歌ってあげていた、いくつかのメロディを小さく口ずさんだのだった。
息子にも、こんな日があったなァ、と、目頭が熱くなる父ちゃんであった。
三四郎、生きるのは大変だけど、父ちゃんは見守っておるよ。
つづく。