JINSEI STORIES
滞仏日記「試練が続く三四郎、犬たちに囲まれ、えええ、不意に襲われてしまうの巻」 Posted on 2022/02/05 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、とはいえ、まずはめでたいご報告から。
実は、昨日の日記で書いた「吠え癖の強い」三四郎に弁えて吠えられるワンちゃんになってもらいたくて、父ちゃんが試した「鬼辻大魔神」大作戦であったが、実は、これが、見事に効いて、昨日の夜は散歩のあと、静かに寝てくれたし、今日も昼食の時に食堂に入ろうとしてこないばかりか、なんと、むやみやたらと吠えなくなったのであーる。
これは、凄い成果だ、科学雑誌ネーチャーなどに論文を提出しないとならない。
今日、午前中に一度「わんわん」と吠えたので、がっかりして、三四郎の部屋に行ってみると、な、なんと、ポッポ(カカ改め、赤ちゃんことばでうんちのこと)とピッピ(おしっこ)をシートのど真ん中に命中させていた。
それを報告したくて、吠えた「わんわん」であった。
大魔神になりかけていた父ちゃんは、そこで笑顔になり、アルプスの少女ハイジに出てくるアルムおんじになってしまった。
「おー、よしよし、よく頑張ったのォ」
御覧あれ、これがアルムつんじである。
しかも、顔を舐める舐める舐める。ぜんぜん顔洗ってないのに・・・えへへ。
そして、二つ目のめでたいご報告・・・。
ついに三四郎がお外でピッピ(おしっこ)をすることができたのであーる。
パチパチパチ。
これは予期せぬ瞬間の出来事であった。
朝の散歩時、公園の芝生の上を移動している時だったが、三四郎が不意に怪しい行動をとり始めた。
しゃがむでもなく、座るでもない不思議なポーズ。
「ムッシュ、見ないで」
という顔をしたのである。
いつもはリードを引っ張って急かすところだが、ちょっと待てよ、と様子を見た。すると、や、や、や、ピッピをしているではないか・・・。
おお、お外でおしっこが出来たのかァ、三四郎! 素晴らしい。
ぼくはご褒美にサーモンのおやつを一つ、ポケットから取り出し、与えたのである。ちゃんと出来た時は人間と一緒で、ボーナス!
ばんざー――い。
うれぴー、父ちゃんなのであった。
こんな風に赤ちゃんの三四郎ではあるが、日々、大人へと着実に近づきつつある。
調べたところ、とある専門ネットに、犬は生後2年前後で成犬になる、と書かれてあった。
犬種によって個体差はあるものの、一年で人の4倍から7倍の速さで年を取っていくのだそうだ。はや、
7倍かァ。つまり、3歳くらいで息子と並び、4歳くらいですでに息子を超えることになる?
息子もうかうかしていられないじゃないか。
その頃には、三四郎著「犬の友、人間」が大ヒットしているかもしれないのだから・・・。
というわけで、今日は15区の韓国系スーパー(日本食材が豊富)まで買い物に行った。
ボーグルネルと呼ばれる、パリには珍しい高層ビルが立ち並ぶ地区で、日本企業駐在員のご家族もたくさん暮らしている。
高層ビルに囲まれた広場があって、ぼくは買い物に行く前に今日はそこで三四郎を走らせることにした。
とにかく体力が有り余っているので、走らせないと、めっちゃ悪戯をするのであーる。
「さ、思う存分走りなさい」
と遊ばせていたら、あちこちから犬連れが出現した。どうやら犬連れのたまり場?
その中の一匹が三四郎めがけて、尻尾を振りながら近づいてきたのだ。
初老のマダムに連れられていたのはヨークシャーテリアであった。両者は見合い、三四郎は相変わらず、無表情で動かない。
不意に嚙みつきやしないか、ぼくはハラハラ様子を見ていた。
そのヨーちゃん、積極的に三四郎の周りをぐるぐると回りだしたのだ。動かない三四郎とは対照的であった。
「まあ、赤ちゃんね」とマダム。
そこでぼくは、ええ、四か月です、と答えた。
「その上、ぼくは生まれてはじめて犬を育てているので、全くの素人。日々勉強しているところでして」
するとマダムが、不意に、満面の笑みになった。
三四郎がヨーちゃんを噛まないか、警戒をして、ちょっとリードを引っ張った。
「この子、パリがまだ怖いみたいで、よく、他の犬に噛みつくんです。気を付けてください」
「あのね、ムッシュ。大丈夫だから、リードを離して」
「え?」
「リードを引っ張るから、緊張しちゃうのよ。犬は犬同士の世界があるから、大丈夫ですよ。大きな犬は確かに気を付ける必要があるけど、この子たちは大丈夫、リラックスさせて」
マダムがそう言ったので、ぼくはリードを緩めてみた。
すると、案の定、三四郎はヨーちゃんに噛みつこうとしたのだ。
「ほらね」
ぼくはリードを引っ張った。
「ダメよ。リラックスさせて、こんなの普通だから。もう一度やってみましょう」
マダムは微笑みながら言った。
従うか、・・・。
ぼくがリードを緩めると、ヨーちゃんが三四郎の匂いを嗅ぎながら、三四郎の周りをぐるぐると回り始めた。三四郎はもう吠えない。ヨーちゃんを受け入れたようだった。
「ほんとうですね」
「でしょ? 大丈夫よ。この子もそのうち、分かって来るから・・・。この辺に住んでらっしゃるの?」
「ちょっと離れていますけど。割と近いです」
「私は犬をずっと飼い続けてきたし、犬の指導もやっていたのよ」
「本当ですか?」
「ええ、困ったことがあったら、アドバイスできますよ。また、この公園でこの子たちを遊ばせましょう」
「はい。ぜひ」
「この子はギャルソン(男の子)?」
「はい、オスです」
その時、ヨーちゃんが、三四郎の背後に回り、なんと、三四郎のお尻に飛び乗って、腰を振り出したのだった。
驚いたマダムが、血相を変え、ヨーちゃんを三四郎から引きはがし、抱きかかえてしまった。
「・・・・」
気まずい空気に包まれた。
ヨーちゃん、メスじゃなくて、オスだったのか・・・。頭に可愛いピン止め付けてるから、てっきりメスかと思った・・・。
三四郎、いきなり、後ろから攻められてしまったけど、大丈夫か?
顔を覗くと、「パパさん、今の何? ぼくはどうやって、お返しすればいいの?」みたいな顔をして、ぼくを不安げな目つきで見上げていた。
ともかく、ぼくはマダムから、犬の躾け方のアドバイスをもらった。
ヨーちゃんは五分くらいしたところで地面に置かれ、再び、三四郎と鼻をくっつけあった。
今度はそこにほかの犬たちが合流してきた。マダムとは犬仲間のようで、
「まァ、ご無沙汰ですね。お元気でしたか」
などと、ご挨拶がはじまる。息子が小学生の頃の校門前を思い出した。
すると、その隙をつくような感じで、ヨーちゃんが再び、三四郎に背後から飛び乗り、みんなが見ている前で、腰を振り始めたのであーる。
凍り付く一同・・・。
マダムが驚き、ヨーちゃんを怒りながら、引き離したのだが・・・。
もう一匹の犬が、今度は三四郎に近づいてきたので、さすがに、父ちゃん心配になり、三四郎を抱き上げて、「いやァ、いいお天気ですねぇ」と微妙な空気の払しょくに努めたのであったァ。
いろいろとあったが、三四郎は今日もまた成長をした。
家でむやみやたら吠えなくなったので、厳しくする時は厳しくし、優しくする時は優しく、育てることにした。
ぼくは夕飯の準備をするまで、三四郎と遊んだ。
夕方、息子が帰ってきた。
「疲れた」
と息子が呟いた。受験勉強が大変なんだろうな、と思った。
三四郎が息子の方に走っていき、尻尾を振った。
疲れている息子が笑顔になり、三四郎の背中を撫ではじめた。
癒してくれる存在がいるだけで、家というのは和むものである。
つづく。
ぼ、ぼく、どうしたらいいの??? パリが怖い・・・。