JINSEI STORIES
滞仏日記「わんわんわん。前途多難な子犬騒動が続く辻家であった」 Posted on 2022/02/03 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日、車の定期点検があり、16区のガレージまで外出した。その間、三四郎にはお留守番をしてもらうことになった。
息子がいたので、「吠えたら、遊んであげてね」と頼んだのだけど、30分後、修理工場に到着し、自宅に設置してある監視カメラをチェックしたら、三四郎が息子の部屋の前でがんがん、吠えていた。え~。
ドアの前で、何度も何度もジャンプし、吠えまくっている。
やれやれ。
友だちとゲームでもやっているのだろうか・・・。
家を出る時、閉まりかけたドアの隙間から、三四郎に向けて「ちょっと行ってくるから、大人しく待っているんだよ」と手を振ったのがいけなかったのかもしれない。
捨てられるとでも思ったのだろうか、ずっと吠え続けている。
「どうかしましたか?」
修理工場の点検係のお兄さんが言った。ぼくが携帯の画面ばかり見ているからだ。
「子犬が部屋で悪さをしているんですよ」
すると、お兄さんがぼくの携帯を覗き込んだ。
三四郎は傍にあるロッキングチェアを踏み台にして、サイドボードに飛び乗ろうとしている。椅子から一メートルくらい離れた場所へとジャンプ、でも、失敗して、落下。その時、サイドボードの上に置いてあったぼくのスカーフを掴んで一緒に、落下。
やばい、噛みちぎられる・・・。
「すごいですね。ダックスフンドにしては飛びますね」
「ミニチュアダックスですよ。しかも、生後四か月です」
「・・・へ~」
三四郎は今度は、コートかけに飛びかかろうとして、落下。
「うわ、大丈夫かな」
「いや、大丈夫じゃないでしょ」
「あ、今度は壁にかかってる絵をとろうとしていますよ」
三四郎がロッキングチェアの反動を利用して、ジャンプを繰り返し、壁にかかっている額に飛びついたが、落下。絵は外れなかったが、斜めに傾いてしまった。
「お客さん、帰った方がよくないですか? なんか、危険すぎる」
「そうですね。帰ろうかな」
「お大事に」
車を預け、タクシーを飛ばし、20分ほどかけて、家に戻ると、階段の下まで鳴き声が響き渡っていた。住人の皆さん、ごめんなさい。
一時間も吠えていたのであーる。
家のドアを開けたら、三四郎がおしっこ漏らしながら、走ってきて、
「パパさー----ん」
と言ったかどうか分からないけど、なんか吠えまくりながら、ぼくにしがみ付いてきた。
相当、寂しかったみたいで、震えている。
家の中は、コートや山高帽やマフラーが散乱し、壁の絵は傾き、ゴミ箱がひっくり返され、ポッポ(カカ改め、うんちのこと)とピッピが散乱し、とにかく、部屋がめちゃめちゃになっていたのだ、オーマイガッ。
息子は友だちとゲーム通信か何か知らないけど楽しそうに盛り上がっている。子犬のことよりも、友だちの方が大切なのだ、ま、分かるけど、やれやれ・・・。
ぼくがいなくなると三四郎は吠えはじめる。
抱っこしていると吠えないし、レストランなんかでも静かにしてくれるのだけど、一人になると吠える・・・。
十分程度なら吠えてもかまわないが、ぼくが仕事場にこもると、わんわんわん(遊ぼうよー、どこにいるのー)と大騒ぎしはじめ、仕事ができにゃー-い。
仕方ないからパソコンをもって、三四郎の部屋に行くと、飛んできて(本当に飛ぶのです)、無謀なジャンプを繰り返し、ぼくの足に乗っかったかと思うとその勢いでパソコンに食らいつき、しかもキーボードにしがみつくものだから、一瞬、書いていたエッセイが消えた・・・。(なんとか復旧できました)
とにかく、ぼくが一瞬でもいなくなると、ふんふんふん、からはじまり、無視しているとそれが、わんわんわん、にかわり、それはまもなく悲鳴のような、キャンキャンキャン、になって、何にも手につかにゃーい。
これが一日中続くので、笑いごとじゃなく、大変なのである。
犬は可愛いけど、生半可なことで育てるのは無理だ、と、(今更)思い知らされた父ちゃんであった。おそ、
幸せももらえるけど、同じくらいの大変さがもれなくついてくる。あはは・・・。
息子と食堂でごはんを食べようとすると、ドアの向こうで、わんわん、がはじまり、その甲高い声が耳をつんざき、脳髄を叩き、しまいに眩暈が・・・。
「黙らせてみせる」
と宣言をして、三四郎を怒鳴りに行くのだけど、ドアをあけた途端、尻尾を振って、ジャンプしてくるので、何もできにゃーい父ちゃん・・・。
それでも、怖い顔をして、「ダメでしょ、〇▽×◇〇▽×◇」と吠えちゃいけない理由を怖い顔で教えるのだけど、どんなに怖い顔をしても、尻尾をふって嬉しそうにしている。
仕方がないので、黙って食堂に戻ると、再び、わんわん・・・。
「ダメじゃん」と息子。
ぼくはついにごはんが喉を通らなくなる。
「なんか、日本では吠えると電流が流れる首輪とか売ってるみたいだけど」と息子。
「パパには無理かな」
「そうだね。じゃあ、匂いが出るのとかもあるみたいよ」
「うーん、パパにはできない。そういうのじゃなくて、親の威厳で黙らせてやる」
そう言い残して、席を立ち、食堂のドアをあけると、ぼくを見上げるちっちゃな子犬。
尻尾が振り子状態で、立ちあがって、嬉しさを全身で届けようと突進してくる。おいおいおい・・・。
心を鬼にして、大きな声で怒鳴った。
怒られていると気づいたか、三四郎、後ずさりをするので、ここはきつく叱らないと。
腕を組んで、出来る限りの怖い顔をして、睨みつけてやったぁ。
後ずさりしながら、上目遣いで、ぼくをちらちらと見上げるサンシー。
それでも、尻尾は左右に揺れている。
「三四郎、静かに! 分かったな!!!」
そう言い残して、食堂に戻ると、30秒後、わんわんわん、わんわんわん。
「パパ、ご飯、残していい?」
「え? 不味い?」
「いや、あとで食べる・・・」
前途多難な子犬騒動が続く辻家であった。
やれやれ・・・。
つづく。