JINSEI STORIES
退屈日記「お父さんがコロナ陽性になった二コラとマノン、家庭内感染から逃げ切る」 Posted on 2022/02/02 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、この日記に頻繁に登場し、「ボンジュール、パリの春ごはん」ではおにぎりをぼくと一緒に作った近所の二コラ君、そのお姉ちゃんのマノンちゃん。
ご両親が離婚をして、親の家を交互に行き来していたのだけど、実は、先月、お父さんがコロナ陽性になってしまった。
その感染隔離期間、主婦がわりをつとめたマノンちゃんから、料理の写真がぼくの元に頻繁に届けられていたのだ。
たまたま、二コラとマノンがお父さんの家に滞在している時に、お父さんのコロナ感染が判明した。
お母さんはその時、新しい恋人と海外旅行に出ていたため、濃厚接触者となった2人はお父さんと過ごさないとならなくなった。
お父さんには新しい奥さんがいて、2人の間にはすでに赤ちゃんが存在していたのだけど、コロナ感染拡大を恐れて、赤ちゃんと新しいお母さんはお母さんの実家のある田舎に一時的に避難している最中だった。
お父さんは陽性が判明したと同時に、自分の部屋にこもった。自主隔離に入ったのである。
トイレに行く以外は部屋から出なかったという。
コロナウイルスを通さないと言われる最強マスク、FFP2をつけ、家族全員が接触しない生活を心がけた。
マノンちゃんが食事を作り、お父さんの部屋の前に料理を置き、食堂やサロンで交流を持たないルールを作ったのだという。
ここで、大きな役割を果たしたのが「マスク」であった。
そして、マノンちゃん曰く、「常に部屋を換気しておくことを心掛けました」これが大きな効力を発揮することになる。
その結果、お父さんの感染が発覚してから三週間経った今、二コラとマノンは日々のPCR検査で陰性でい続けている。
お父さんは10日ほど陽性が続いたという。
ぼくの周囲のオミクロン陽性者は結構長く引きずっている人が多い。
症状が軽くても、臭覚、味覚が戻らないなど後遺症に悩んでいる人も少なくない。
中には、罹ったことでコーヒーが飲めなくなったり、逆に食べられなかった甘いものばかり食べたくなる人とか、心臓の脈拍に異常な変化が出て毎朝のランニングが今までのように出来なくなった人、体調が戻らない人など、様々な後遺症が・・・。
ぼくの知り合いのお医者さんは「風邪と変わらないという思い込みは危険で、後遺症で思いもよらない事例が出ているので、全く新しい病気だと思ってほしい」と訴えていた。
罹っても平気と言い切っていた知り合いが罹って、体調が元に戻らず、陰性になったのに、一月以上寝込んでいる人もいる。
この日記で一度登場をしたご近所仲間のブノワさんがまさに、今、その状況下にあり、「軽症というのを信じすぎた」と反省している。
二コラのお父さんも、ワクチンを三回接種しており、5日くらいで陰性になると思っていたがなかなか終わらず、結局、10日ほど、それなりに高い熱に悩まされることになった。
そんな中、マノンの活躍は大きかった。
マノンちゃんがぼくに時々送って来る料理の写真には家族への愛情があふれていた。
15歳の少女が家族を支えているけなげな姿に目頭が熱くなる。
弟のため、そして父親のため、マノンは一生懸命頑張った。
彼女にとって、ぼくは近所の「変なおじさん」に過ぎなかったが、でも、ぼくとマノンの間には「ホットライン」が存在し、ぼくはSMSで彼女を励まし続けた。
マノンにとって、今回の経験は大きな意味があったようだ。
自分が作った料理が家族を支えたのだから、これは素晴らしい活躍でもあった。
お父さんが陰性になり、10日ほどが過ぎたが、姉弟の2人は陰性のままだ。
陽性者を徹底して隔離すること。
家庭内では高性能のマスクを24時間し続けること。
風の道を作り、家の換気を徹底すること。
これらが家庭内感染を防ぐ、最大の武器になったのは言うまでもない。
家庭内感染拡大が危惧されているが、デザインストーリーズのライターさん三人家族も、娘さん、ご主人が感染したのに、奥さんはずっと陰性のままだった。
どうやって、罹らないでいられたのですか、と訊いたら、
「ずっとマスクだけは外さなかったんです」
とのことだった。
やはり、マスクをすることはとっても重要なのである。
※ それでも二人は仲良し姉弟、時には、二人で仲良く食事をして、励まし合ったのだそうです。