JINSEI STORIES

滞仏日記「前を向いて、三四郎と一緒に乗り切っていきたい」 Posted on 2022/01/31 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、人生というものは何であろう・・・。
ぼくは、去年、息子と喧嘩をした。
受験を前にピリピリしていた息子と進路のことで言い合いになった。
それで、ママ友たちともちょっと距離が出来てしまった。
それより前、コロナ禍が深刻になり、ぼくは田舎に小さなアパルトマンを買い、そこへの移住を決意した。(今はその過程にある)
今年の6月、息子が無事、大学に合格したなら、ぼくは田舎暮らしに比重を移すことになるだろう。
そうなると、一人暮らしが始まる。
そこで、一度は諦めかけた人生のパートナー、わんちゃんを探すことになった。
紆余曲折があったが、犬を飼うことに踏ん切りがつかず、逡巡の挙句、諦めかけていた時に、この三四郎が不意に出現した。
今月、20日から三四郎が我が家の一員に加わることになった。
離婚、シングルファザー、子育て一段落、自分の将来を考えて子犬との人生をスタート、という流れは計画したわけではないのに、絵に描いたような人生ではないか・・・。

滞仏日記「前を向いて、三四郎と一緒に乗り切っていきたい」



ぼくは今日、三四郎のカカ(うんち)とピッピ(おしっこ)の片付けを朝からずっとやっていた。昨日も一昨日も、きっと、明日も、明後日も・・・。
シートがもったいないから、カカは硬いし、拭いて、また再利用をしている。
こんなことで資源の無駄遣いはいけない。
だいたい、外でカカとピッピをさせなければならない。
これがぼくの次の大きな課題でもある。
しかし、なかなか思うようにやってくれないのである。
犬の習性、本能があるからいつかはやるだろうと思って散歩に連れだしているけれど、(一日三回、各一時間程度の散歩)、街灯の袂の匂いとか嗅ぐくせに、ぜんぜん、してくれないのであーる。
大きなわんこちゃんたちがしているのを、指差し、
「ほーら、三四郎。みんなのようにああやってするんだ。そしたら、ぼくがビニールに入れてポイするからね」
と教えているのだけど、ぼくは犬じゃないから、みたいな顔をされて、おしまい。
それどころか、今日は、残念なことに、特大のカカをシートから一メートルも離れたところで連発して、ここまで積み上げてきた努力が一瞬で水の泡・・・。落ち込んだ父ちゃんなのであった。
床に這いつくばって、消毒液で一生懸命拭いている目の前を、スタスタとパリジャン気取って移動していくサンシー。
こ、この野郎・・・。
長生きしてほしいけど、20年もこのような掃除人生は嫌だ、と溜め息をついた父ちゃんであった。ふー。

滞仏日記「前を向いて、三四郎と一緒に乗り切っていきたい」



散歩は、毎回一時間だが、走らせたいので、自分も一緒に走っている。
朝の9時、昼の3時、夜の21時に全力疾走しているので、父ちゃん、筋肉痛。
仕事もできず、ご飯を作って息子に与えたら、疲れて寝込んでいる始末・・・。疲れるよね・・・。
今月もあと一日、2022年の一月がもう終わる。
人生とはなんぞや、と考えるのも無理はない。
ということで、昼、パリは快晴だったので、三四郎を連れ出し、遠出をした。
公園の土や芝生が好きみたいで、田舎を思い出すのか、喜んでいるのがそのはしゃぎ方から、伝わってくる。
やっぱり、コンクリートより、芝生がいいよね。
と、そこに、最近よくすれ違う、ダックスフンド君とそのお母さんがやってきた。
相手はミニチュアではなく、大きなダックスフンドだ。ちわっす、みたいな感じで、三四郎、自分よりうんと大きなダックスに鼻をくっつけていたけど、ビビッてるのがわかる。
「また、会いましたね」
「ええ、きっと、明日も会いますよ」
とマダムが言った。
それにしても、三四郎、ちっちゃー--。
新米はどこの世界でも、新米だし、ミニチュアはずっとミニチュアなのだ。あはは。
そこに、ポメラニアンと、ビーグルと、シェパードと、ブルドッグ君がやってきた。
だいたい、みんな同じ場所を散歩するので、自然と犬仲間というのが結成される。
というか、これまでぼくは犬を飼ったことがなかったからか、犬を中心にした社会とは無縁であった。
野球に関心がない人が野球選手のことを知らないのと一緒・・・。
犬を飼ってはじめて、視界に入ってきた世界がそこにあった。
「あ、あの人、昨日もあった」
「あの犬、この間、見かけたなぁ」
気がつくと、みんな、だいたい、いつものメンバーなのだけど、先月は彼らの存在さえ見えていなかった。
逆に、犬を飼ってから、リコとか、ユセフとか、アドリアンとか、カロリーヌとか、クリスティーヌとか、犬に関係のない人たち、かつてはよく酒場で会ってた地元の仲間たちと疎遠になってしまった。
なんでかな。
見ている視線、生きてる時間がぜんぜん、違うからかもしれない。
つまり、ぼくの人生が三四郎を中心に回りだした、ということなのだ。
そりゃあ、そうだ。自分のインスタグラムを見たら、先月までは料理の写真だらけだったのに、今は、三四郎しか掲載されてない!!! 笑。

滞仏日記「前を向いて、三四郎と一緒に乗り切っていきたい」



ともかく、人生が変化したのは、確かなようだ。
今日、下の丸眼鏡のおじさんと玄関でばったり出くわした。
オラジオと一緒だった。ぼくは三四郎を連れていた。
「やあ、ようこそ」
とムッシュは三四郎に向けて、言った。
ぼくのギターが「ちょっとうるさい」とクレームをつけられてから、なんとなく、嫌味な人だな、と思っていたけれど、三四郎にとってオラジオははじめての友だちのような存在なので、ぼくも無視はできない。笑。
笑顔で向かいあった。
「フィリピンから聞いたけど、何か困ったことがあったら、言ってくださいね。獣医さんとか紹介しますよ」
「あ、ありがとうございます。あの、この子、まだ生まれて4か月だから、夜中とか吠えてごめんなさい。うるさいでしょ」
「ぜんぜん、気にならないですよ」
嘘だ。それは嘘だと思った。
ぼくの家は4階だけど、ちょっとパンを買い物に出た時、下の玄関ホールにまで鳴き声が響き渡っていたので、真下で寝ているムッシュが気付かないわけがない。
でも、ムッシュは、
「そんなこと気にしていたら、犬は飼えないし、いいですか、それは普通のことですよ。赤ちゃんなんだから、吠えても気になりません」
と優しい声音で言ってくれたのだ。
おおお、この人、いい人じゃないか。
じゃあ、なんで、ぼくのギターはちょっと煩いって? 
ぼくの歌とかギターは耳障りなん? マジか、あはは、だよねー。
ともかく、丸眼鏡のムッシュがめっちゃその瞬間、ぼくの中で、いい人になってしまったのであーる。メルシーボク、とぼくはお礼を言った。
「緊急事態の時はうちで預かりますよ」
おおおお、涙が出るー。

滞仏日記「前を向いて、三四郎と一緒に乗り切っていきたい」



三四郎がやってきて、ぼくは人生を再考するようになった。
この小さな生き物がぼくに教えてくれているものが、これまでの人生にはないものばかりであった。
この子犬が、もっと大きな輝きとぬくもりを連れてきてくれたのである。
ぼくはまだ、人生の途上にいる。
前を向いて、三四郎と一緒に乗り切っていきたい、と思った。

つづく。

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