JINSEI STORIES
滞仏日記「不意にエリックが怖い校長になり、出来の悪い生徒の父ちゃんは泣く」 Posted on 2022/01/18 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は、朝から大忙しの一日となった。
ドルドーニュ県ベルベスは本当に美しい土地だけれど、朝はマイナス7度、地面にはクリスト(クリスタルのこと)と呼ばれる霜の結晶が張り巡らされ、それはそれはとっても美しいのだけど、逆に、死ぬほど寒いのである。
しかも、ぼくは犬と同じ習性があるのか、自分の匂いの付いてないベッドでは眠れないので、寒さと慣れない民宿のベッドの中で、三日間、不眠で苦しんだ。
それはいいとして、最終日、今日はディープフォレストのエリック・ムーケと「セッションをやろうぜ」という約束の日。
昨日の日記で、ああは書いたものの、エレクトロ&アンビエント世界の強いディープフォレストとロックンロールな父ちゃんにどういう接点があるのか、・・・昔、よく聞いていたというだけの接点で挑んだ、午前中のセッション、これが想像以上に大変であった。
エリックのスタジオに通され、ピアノの置かれた広々としたブースの真ん中でぼくの目の前には腕組みしたエリック・ムーケさん。
まるで校長先生みたいな貫禄でどでーんとピアノ椅子に座っている。
で、ぼくはと言えば、彼の前にギターをもって、しゃがんでいる・・・。
「じゃあ、どうしよう」とぼくがつぶやいた。
セッションって、どうやってするんだろうね・・・。
「何か歌いますか?」とエリック。
「ああ、いいですね」とぼく・・・。
セッションというよりも、面談という感じになってきた。え、なんかちゃうなーと思って、身構えた父ちゃん。
とりあえず、前回のパリライブで仏人に受けた「ソーラン節」の触りを歌ってみた。
校長先生のような顔でじっとぼくを見ているエリック・・・。
う、受けない。というか、メロディがなんか掴めないのか、何度か歌わされたのだけど、珍しく、笑顔にならなーーーーーい。
「うーむ、なんか、次、ある?」
な、なんか、次って・・・、セッション、ちゃうんかい。笑。
でも、ぼくはディープフォレストのファンだし、ここは従順な生徒でいこう。
エリックは本当に優しい人なのだけど、やっぱり、音楽だけは遊びとかじゃできないプロの職人、というのが伝わってきて、思わず、焦った父ちゃんであった。
たじたじ、・・・。
そういえば、奥さんのユキさんも、「彼がレコーディングしている時だけは近づけない」と言っていたっけ。
あんなに愛し合っている奥さんでも近づけないのに、ぼくとエリックの距離は1メートル。エリックは微笑んでない。腕組みをして、眼鏡の向こうから、じっとぼくを睨んでいる・・・。
「じゃあ、これとか、どうでしょうね」
ぼくは自分の「故郷」という曲を歌った。
「うん、悪くないね。他になんかある?」
ぎょえーーーーー、校長先生、マジで、言ってるの???
他って、セッションやるんじゃないの?
どうしよう。でも、ここまで来たら成果だしたいし、成果ってなんやろ? ともかく、ここまで来たからには引き下がれないやん。(・・・昨日の日記、どうすんねん)
「そうでんな。他にって、どんなのがお好きですか?」
「なんでも、ツジが最近、気に入ってる歌とかでいいよ」
校長先生・・・あんたね・・・。
滅多に緊張しないのだけど、62年も生きてきて、いきなり、そんなことを言われるとは思ってないから、三日間寝てないし、もっと楽しいセッションが待っているのかと思いきや、ぜんぜん、ノリが違ってきたので、ぼくは萎縮して、喉が閉まってしまい、ついに、声が出なくなってしまったのであーる。
きっついなぁ・・・。
その時、ぼくの指がぼくの喉をかばうように、何かを弾き始めた。
なんだっけ、これ、あ、これ、「荒城の月」じゃん。
すると、校長先生の目がきらりと光り、ピアノの方をくるりと向いて、ぼくの歌に合わせて鍵盤を叩き始めたのであーる。
え、・・・・セッションはじまる?
「ツジ、それやろうよ」
「あ、いいね」
ぼくは、いいね、とは言ったけど、ぜんぜん、よくはない。
だって、みんな小学校とかで習う曲ではあるが、ちゃんと歌おうと思うと、瀧廉太郎だもの、めっちゃ難しい曲なのである。
「いいメロディラインだ」
エリックが言うので、ぼくがこの曲の歴史を解説した。へー、いい話だ、と彼は言った。
「どこで歌う? コンソールルームに行く? マイクは卓の横でもいいの?」
なんか、わからんけど、いいよ、と答えた。
こりゃあ、絶望的だな、と思ったからである。
コンソールルームにギターを持っていった。
エリックはシンセサイザーに囲まれた椅子に座り、なんか、よくわからないフレーズをがんがん弾き始めた。インスピレーションを受けたみたいである。
ぼくはギターを持ったまま、立たされた生徒のような状態で、しばらく、小一時間とか、そこに取り残されてしまった。
「録音してみようか?」
とある瞬間、不意にエリックがぼくを振り返って、言った。
「え、あ、いいね」
マジか、と驚いているけど、出た言葉は、いいね、だった。
エリックがマイクスタンドをぼくの前に立て、ドイツ製のレコーディング用のマイクをセットしたのだ。
「こんな感じ、どう?」
「悪くないね」
「だよね。歌ってみて」
「今?」
ということで、よくわからないけれど、セッションじゃなく、レコーディングが始まったのである。
ところが、そこからがもっと大変だった。
ぼくは何回も歌い、彼も試行錯誤を繰り返し、中断したり、再開したり、・・・。
2時間、3時間、4時間・・・。
でも、次第に、あのトラディショナルな「荒城の月」がディープフォレストの世界へと変化していく。
これがエリック流のセッションなのだ、と気が付いた、父ちゃん。
ぼくが歌い終わると、ぼくを振り返り、
「そのビブラート、いいね」
「いいじゃん、いいね。悪くない」
親指を立てたり、微笑んだり、無邪気過ぎるんだけど、エリック・・・。
そして、しまいには、
「ツジ、ビデオ回していい? ぼくのファンサイトに君が歌う姿をアップしたいんだ」
と言い出して、自分の携帯で撮影されてしまった。歌っているところを・・・。
ま、でも、正直、この先、どうなるのか、わからない。
ただ、初めて会った人と、なんらかのコラボが出来たことは感動に値した・・・。
それは、自分でも、ちょっと驚くような優しく切ない荒城の月であった。そうだ、今日は満月じゃなかったっけ?
エリックがやってきて、ぼくにハイタッチをした。
ハイタッチだった。
あはは、どうなってんの、校長先生!!!
さて、何が起きたのか、今でもわからない。
ただ、とっても美しい曲が誕生したのは間違いない。
校長先生は怖かったけれど、久しぶりの楽しい時間を過ごすことが出来た。
ぼくが帰ろうとしていると、エリックとユキさんが、
「今夜は、ベルベスの市長と一緒にご飯だからね、あとでねー」
と言った。
「え? ぼくも?」
あはは・・・。どうなってんの?
つづく。