JINSEI STORIES
滞仏日記「ご報告。急転直下、子犬を育てることになりました」 Posted on 2022/01/08 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、一度、パリに戻り、知り合いの犬に詳しいスタッフさん、(ドーベルマン、シェパード、シェットランドシープドック、ビーグル、ミニチュアシュナイザー、などを30年ほど育て続けてきた犬好きさん)に同行してもらい、イル・ド・フランス(パリ首都圏)に隣接する県のちょっと寂しい田園地帯の真ん中にあるブリーダーさんの館を目指した。
高速を出て、見知らぬ村を通り過ぎ、美しいけどちょっと寂しい田園の中を走り、最後は、林道の泥道にそれ、そのどん詰まりに位置する、林に囲まれた犬の館へと到着したのだ。
ぼくはその時、正直、ここに来てしまったことを後悔していた。
その館が見えた時、自分に育てることが出来るのだろうか、と破裂しそうなほど、悩んでいた。
子育てでさえ、日々、七転八倒しているというのに、オミクロン大爆発中のコロナ禍、そこに子犬まで、本当に大丈夫なのか、と自問し続けていた。
犬を飼いたい、育てたいと、この日記で最初に発信してからたぶん、一年くらいが流れた。しかし、それは実現せず、途中から、半ば逃げるようにこのテーマから耳をそらし続けてきていた。(なんなら過去の日記を消そうか、と思っていたほど・・・)
でも、一年ほど前に友人のカメラマンに、子犬を育てたいのだ、と呟いたことがあった。
その一言をぼくはすでに忘れていたが、彼は常にぼくのために犬を探してくれていたのである。
そして、不意に一昨日、海辺で走り回る犬を見ていたぼくの携帯が鳴って、どこからともなく、この子犬との出会いが出現したのである。
その詳細は、すでに一昨日の日記に書いた通りである。
一日、間をあけ、その間、もう一度悩んで悩み抜き、結論が出ないまま、ぼくは高速道路でアクセルを踏むことになった。
日記を読まれた皆さんからの様々な忠告についても、昨日の日記に書いた通りで、その一言一言はやはり、重みがあり、ぼくを躊躇させ、そのせいで、ため息しか出ない状態になっていた。
62歳のぼくがその子犬を育てることになり、その子が仮にミニチュアダックスフンドの最大生存年数と言われる20年を生きたとして、ぼくはその時、82歳なのである。
ぼくのような回遊魚的空想人間がそこまで生きるかどうかわからないし、自分の運命についても、まったく、自信がない。
でも、何かわからないエネルギーに引っ張られるように犬の館の前に立っていたのだ。
到着した途端、複数の犬がエンジン音を聞きつけ、柵の向こうで吠え出した。
泥まみれの犬たちだった。
ものすごい非難の叫び声のように聞こえてならなかった。
「お前に、子犬を育てる資格なんかない」
そういう風に聞こえたのだ。寂しい場所だった。
木立の中に立つ一軒家に住むブリーダーさんが大きな扉を開けて、ぼくを招き入れた。
やっぱ、無理だ。ぼくには育てられない、と怖気づいた。敷き詰められた小石を踏みしめながらも、なかなか前に進めない・・・。
小さな小屋に連れていかれ、そこで待たされた。落ち着かない。
「こりゃあ、無理ですね」
とぼくが言うと、犬を長年育ててきたスタッフさんが、
「ここまで来たんだから、辻さん、とにかく、会ってみましょうよ」
と言った。
今朝、BSの番組ディレクターをしている西山義和さんからメールが入り、「日記を読みました。今日、行くなら必ずカメラを回してください。マイクをポケットにいれて、さりげなくでいいですから、無理のない範囲でお願いします」というディレクターとしては当然の依頼だった。
「それは無理です。たぶん、ぼくはそういう精神状態にないと思うんだ」
その予感は的中し、小屋の中で待っている間、ぼくは携帯にさえ触ることが出来ず、そわそわしてしまい、結局、決定的瞬間は撮れなかった。変なぼけた映像が手元に・・・ごめんなさい、西山さん。
同行したスタッフさんが、記念に撮影した犬の動画がある。この日記のために、ちょっと画像が悪いけど、その何枚かをスクショしてみることにした。
ともかく、とにかく、その出会ったワンちゃんをまずは、御覧頂きたい。
そして、この子は奇妙なことに、一度も吠えなかった。その上、視線を合わせようとしない。
おびえているのが分かった。
ブリーダー氏によると、5匹くらいが生まれたのだという。
生まれる前から予約があったのか、すぐに4匹は引き取り手が現れて、この子だけが残った。今、4か月目に入っているということだった。
あと、3か月で成人になるのだという・・・。
すぐに怖がって後ろを向いてしまう。
自分をアピール出来ないシャイな子なのである。
「コロナ禍なので、犬を飼う人が減っていましてね。むしろ、悲しいことに、犬を捨てる人が増えているんです。私はそういう人にはこの子をゆだねられない」
その人はつぶらな目だが、厳しい口調で言った。
そして、吠えた犬たちと同じ、強いトーンだった。
ぼくは視線を落とし、その子犬を見つめた。
その子が、ちらっちらっとぼくを見ている。「だれだろう? この人だれだろう」という不安そうな黒い目・・・。
そして、すぐ、視線をそらしてしまう。
きっとほかの子たちは闊達で元気だったのに違いない。
でも、この子はそういう表現が出来ない子なのだ、と思った。
スタッフさんとブリーダーさんが専門的な話しを繰り返していた。いざ、引き取ることになった時の条件とか、諸々、専門的な話しで、ぼくの仏語力ではちょっと理解できないような、・・・。
ワクチンはもう一度接種しないとならないらしい。
ぼくは15日からドルドーニュにトリュフ狩りのオンラインツアーがあるのでパリを離れないとならない。その間に最後のワクチン接種が終わるのだという・・・。
「ドルドーニュ帰りの、1月20日くらいに、この子を迎えに来たいけど可能ですか」
とぼくは、気が付くと、とんでもないことを口走っていた。
まだ、息子にも相談していないのである。
ブリーダーさんが目を見開き、一瞬、小屋の中に真空が生まれたけれど、次の瞬間、半分、笑っているような、息を吐きだすような感じで、ええ、可能ですよ、と言ってくれた。
「抱かせてもらえますか?」
ぼくが手を伸ばすと、ブリーダーさんが、犬をぼくの胸に優しく置いてくれた。
包み込むように抱いてみた。
体重が2キロくらいだそうで、最大で、5キロくらいになるのだという。
ぼくは息子を抱いていつも散歩をしていた。もう、十数年も前のことである。
あの日のことを思い出した。
あの子も、5キロくらいだった。
ぼくがぎゅっと抱きしめると、今度は不意に、子犬が震えだした。
怖いのかもしれない。はっきりとわかるほど、ぶるぶると震えだした。
それで、どうしていいのかわからないのだけど、いつものおまじない、とんとんとん、をしてあげた。
耳元で、大丈夫だよ、とささやきながら・・・。
すると、まもなく、おなじないが効いて、その震えが止まったのだ。
暗い雨上がりの森の中に薄日が差していた。遠くで大人の犬たちが吠えていた。
「ぼくにこの子を育てさせてください。コロナ禍ですけど、この子に希望を感じました。どこまで出来るかわかりませんが、この命を大切に育てて、この子が明るい人生をつかめるように頑張りたいと思いました」
と告げていた。
やれやれ。日本が遠ざかるな、と思ったけれど、ぼくは微笑んでいた。
不安が、ふっきれたように、その子の親になるのだ、と思っていた。あまり力まず、悩まず、まずは、この子を家族として迎え入れようと思った。
帰り道、息子に写真を送った。
「再来週、この子が新しい家族になるよ。名前は三四郎だ」
すると息子から、
「オッケー」
という返事が戻ってきた。
その瞬間、あの子犬には名前が生まれていた。この子には、この名前しかない、と思った。
三四郎である。
つづく。
おしらせ。
そして、近づいてまいりました。
ムーケ・夕城(トリュフ栽培士)×辻仁成「ブラックダイヤモンド、黒トリュフの魅力」辻仁成がトリュフの聖地ドルドーニュにて、トリュフ狩りに初挑戦
2022年1月16日(日)20:00開演(19:30開場)日本時間・90分を予定のツアーとなります。
【48時間のアーカイブ付き】
※アーカイブ視聴URLは、終了後(翌日を予定)、お申込みの皆様へメールにてお送りします。
この講座に参加されたいみなさまはこちらから、どうぞ
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※ フランス南西部に位置するドルドーニュ地方の山奥に位置するトリュフ園からトリュフの魅力を御覧頂く予定の生配信を準備しておりますが、天候など様々な理由で一部変更になる可能性もあります。山奥にある、広大なトリュフ園からですので、電波が乱れる可能性もございます。最大限の状況を模索しながら、当日、トリュフ犬と栽培士さんらと力を合わせ、挑む形になります。嵐にならない限りは決行いたします。