JINSEI STORIES
滞仏日記「ふいに、一匹の子犬が出現をした。このご縁の不思議を辿って」 Posted on 2022/01/06 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は朝からずっと「ご縁」について考えていた。
ぼくが今、この田舎で暮らしているのも、複雑なようで実はシンプルな、いろいろな人々を介したご縁が組み合わされての結果である。
二股の道があり、左に行った時に出会うものと、右に行った時に出会うものが大きく違うように、人間は毎日、毎瞬間、目に見えない力によってご縁の機会を得たり、失ったりしているのである。
ご縁の瞬間を見逃すこともあれば、追いかけられて無理やり引きずりこまれることもある。ぼくは常に「来るもの拒まず、去るものを追わず」の精神でやってきた。
そして、今日、嵐が過ぎ去ったので午後、海辺を歩いていたら、ふと頭の中を過ったものがあった。
ところが、その次の瞬間、何かがぼくの目の前を現実にもの凄い勢いで通過していったのだ。
それは一匹の犬であった。
その数秒前まで、ぼくが考えていたことは、・・・前からこの日記で書いてきた通り、息子が巣立った後、人生の後半を共に生きるであろう「子犬と生きる人生」についてであった。慌てて、ぼくは走り去った犬を振り返った。
ぼくの目の前を過っていったワンちゃんはそのまま冷たい冬の海に飛び込み、屯していたかもめたちを追い払って、再び、ぼくの方へと戻ってきた。
飼い主のムッシュが、濡れた愛犬を抱きしめ、よくやったな、お前は元気だね、と褒めているようなしぐさを示した。
この飼い主がその犬を愛しているのがよく伝わってきた。
ぼくも、やっぱり犬を飼いたいな、と思っていたので、自分がこの子の飼い主だったら、大事にするだろうな、と思って、思わず口元が緩んでしまった。
でも、なかなか現実的に犬を飼うことは簡単ではない。
やはり、生き物を飼うことの難しさという問題があった。
命を粗末には扱えないし、責任を果たす覚悟が自分にちゃんとあるのか、と考えてしまったからである。
でも、やっぱり、飼いたい・・・。可愛いな、と思った。
犬は人間の孤独を癒してくれる素晴らしい生き物である。
その犬の飼い主のなんと幸せそうなことか・・・。それが自分だったら、どんなに可愛がるだろう、と思った。
ところが、その次の瞬間、携帯がメッセージの着信を知らせたのである。
ぼくの周囲を走り回る犬の撮影をしていた携帯を握りなおし、画面を覗き込んだ。
パリの友人からSMSが入っていた。友人の写真家のステファンからで、彼の知り合いのブリーダーから、
「君が探していたミニチュアダックスフンドで引き取りてのいない子犬がいるんだけど、と連絡があったが、どうする?」
というメッセージだった。
ぼくはあまりに偶然で、びっくりしてしまった。
子犬の写真が添えられてあった。(可愛い子犬だけど、飼うかどうかもわからないから、安易に掲載はできない)
メッセージには、電話番号が添えられてあったので、とにかく、ぼくはそのブリーダーに電話をかけることにした。これがご縁なのか、そうじゃないのか、確かめる必要がある、と思ったからである。
「ステファンの紹介です。ツジーです。ミニチュアダックスフンドの件で電話をしました」
「ああ、聞いてみますよ。ちょっとその前に何個か質問をしたいですが、気を悪くしないでください。これは命が関わる話ですからね」
「ええ、当然です。どうぞ」
「あなたは犬を飼ったことがありますか?」
ぼくは、一瞬、考えた。しかし、嘘はつけない、と思ったので、
「ありません。犬を飼っている友人たちが周りにはいますが、ぼくには残念ながらその経験がないんです。経験がないと飼えませんか?」
と訊き返した。
「そんなことはないですが、経験があった方がベターです。犬を捨てる人が増えているので、私たちはそういう人には売りたくないのです」
「もちろんです。ぼくはずっと悩んで、今日、これは何かのご縁だと思って電話をしています。その子をうちで預かることになったら一生懸命、世話するつもりです」
「わかりました。あの、どのようなご職業ですか? つまり、犬を散歩させたり、面倒をちゃんと見ることができる時間があるか、もしくはそれが出来る人が同居しているか、ということです」
細かい質問だな、と思ったけど、逆に、安心できるブルーダーさんだな、とも思った。
「ぼくは作家ですから、一日中家にいます。犬の世話は間違いなく出来ると思います。同居人は息子だけですが、この子も犬好きで、ずっと彼も幼い頃から犬と暮らすことを夢見ていたんです。犬を育てる環境は整っていると思います」
「それはいいですね。わかりました。とにかく、一度、お越し頂けますか? 」
ということで、急な、それも計画的ではない、まさにご縁としか思えないようなタイミングで、犬を飼えることになるかもしれない大きなチャンスが訪れてしまった。
金曜日、フランス時間の午前10時に、パリから一時間ほど離れた隣の県でその子と対面することになってしまったのだ。結構、勇気のいる決断だった。
ぼくは本当にその子犬を幸せに生かすことが出来るのだろうか? 自分に問いかけ続けることになる。
先の日記で、NW9のキャスターだった有馬嘉男さんご夫妻と会ったことも、実は、この話しの流れにささやかな影響を及ぼしている。
2人はぼくと食事をした時、なぜか不意に、有馬さんが、
「最近、犬が我が家に来たんですけど、本当に素晴らしいんですよ。本当に犬がやってきたことでぼくたちはますます幸せになったんです」
と口火を切ったのだ。
何気ない言葉だったと思う。
なぜ、犬の話しをするのだろう、とぼくは思った。
ぼくが「犬を飼いたい」と日記に書き続けてきたことを読んで知っていたからかもしれない・・・。
ともかく、その時の会話が耳から離れなくなった。
有馬さんを支えているものの一つがそのワンちゃんなのだな、と思ったし、横で笑顔で頷いている奥さんの幸福そうな姿の背後に、日本から連れてきたそのワンちゃんの存在が間違いなくある、のも分かった。
息子はあと一週間ちょっとで成人(フランスでは18歳で成人)になる。
ぼくの子育ての第一段階は終わりを迎えようとしている。
それなりに頑張ったのじゃないかと思うが、心配なのは、これからの自分である・・・。
息子が、どこの大学に行くかはまだ分からないけど、もしパリの大学だったとしても、これまでとは違う時間でお互い生きることになるはずだ。
その時、ぼくに寄り添うのは、この田舎のアパルトマンで一緒に過ごすのは、もしかすると、その子犬、・・・かもしれないなのである。
それはご縁の神様だけが知っていることであろう。
ぼくは金曜日が待ち遠しくて仕方なかった。
そのブリーダーさんは、誰にでも売ることはないんです、と言って電話を切った。
それは、厳しい言葉だけど、犬への深い愛情を感じる言葉でもあった。
その人から譲り受けたいと思った。
さて、どうなることやら・・・。
ともかく、予定を変更して明日の夜にでも、パリに戻らないとならなくなった。
ぼくはそれがどんなに大変であろうと、運命とかご縁を拒まないつもりでいる・・・。
つづく。
おしらせ。
近づいてまいりました。
ムーケ・夕城(トリュフ栽培士)×辻仁成「ブラックダイヤモンド、黒トリュフの魅力」辻仁成がトリュフの聖地ドルドーニュにて、トリュフ狩りに初挑戦
2022年1月16日(日)20:00開演(19:30開場)日本時間・90分を予定のツアーとなります。
【48時間のアーカイブ付き】
※アーカイブ視聴URLは、終了後(翌日を予定)、お申込みの皆様へメールにてお送りします。
この講座に参加されたいみなさまはこちらから、どうぞ
チケットのご購入はこちらから
※ フランス南西部に位置するドルドーニュ地方の山奥に位置するトリュフ園からトリュフの魅力を御覧頂く予定の生配信を準備しておりますが、天候など様々な理由で一部変更になる可能性もあります。山奥にある、広大なトリュフ園からですので、電波が乱れる可能性もございます。最大限の状況を模索しながら、当日、トリュフ犬と栽培士さんらと力を合わせ、挑む形になります。嵐にならない限りは決行いたします。