JINSEI STORIES
滞仏日記「カイザー髭とハウルの魔女さんと3ショットを撮影しちゃった」 Posted on 2021/12/16 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、なんだろうと思って、目が覚めた。
背後が山なので、獣がいても不思議ではない。
この山に潜む恐ろしい猛獣だろうか、と目を覚ました父ちゃん、ベッドに座って耳を澄ませた。
ぐお~、がお~、ぐお~、がお~。
この一定のリズム感、獣の鳴き声ではない。
あ、これは、これは人間のいびきじゃんか。
ということで、下の階に暮らす元カイザー髭さん(最近、くるんと伸びていた自慢のカイザー髭をそって普通の髭になってしまっていたので、元が付きました)のいびきである。
豪快だ。
ぼくよりも一回りは年上であろうに、この豪快さはさすがである。
壁が薄すぎて、隣でいびきをかいているようにしか聞こえない。
眠れなくなり、ぼくはキッチンに行き、ウイスキーを舐めた。やれやれ。
翌日、パンを買いに海沿いのパン屋まで散歩をして、帰ってくると、階段の上の方に人の気配があった・・・・。
誰かおるな、と思って、上っていくと、階段の踊り場から見下ろしている元カイザー髭。
「おお、待っておったぞ」
殿様か、という古めかしい仏語で元髭さんが言った。
「窓から見下ろしていたら、君が坂道を登ってくるのが見えたものだから・・・」
ぼくは彼らのために買ったクロワッサンを手渡した。ついでだから、買ったのだ。←父ちゃんは優しいのォ~。
「おお、ありがとう。ここのはおいしいんだ」
「ええ、だから、どうぞ。マダムと仲良く食べてください。ところで、つかぬことをお聞きしますが、エレピアノの場所を海側に変えませんでしたか? そこのちょうど上にぼくの仕事机があるから、・・・昨日はラヴィアンローズ、楽しませて貰いました」
「ああ、そうなんだ。そうかそうか、楽しんだか、よかった。実はのォ、君に見せたいものがある」
「ぼくに?」
「さア、遠慮はいらないから、拙宅へ入りたまえ」
はいりたまえ、と言われても、朝ごはんが・・・。
しかし、逆らえないので、中にはいると、ハウルの動く城に出てくる荒れ地の魔女さんにちょっと似た奥様が笑顔で向かい入れてくださった。
この二人、最初は超怖かったけれど、今はほんとに優しい存在で、面倒見もよく、彼らがいなければ田舎生活が出来なかったかもしれない。
中に入ると、彼は海側のサロンへとぼくを案内した。
「これだ。わしの力作だよ」
「どれがです?」
「これじゃよ。これ。見えんのかい」
ムッシュはエレピアノを指さしていった。これ、作ったの? いや、YAMAHAと書かれてある。ぼくは身をかがめて覗き込んだが、普通のYAMAHAエレピアノであった。
「普通のピアノですけど」
「ピアノじゃない、この白いボックスっだよ。このエレピアノにあわせて、全部、わしが作ったのじゃ」
「えええ? マジですか?」
「ああ、やっとわかったか、若いのォ。あははは」
暇人か、これ、作る意味がどこにあるのか、父ちゃんにはわからなかったけれど、それを自慢したくて、階段の踊り場でぼくを待ち受けていたこの人、っていったい・・・。
「暇なんですね」
「あははは」
すると、ムッシュはオルガンモードにして、いきなり、ディープパープルのハイウエイ・スターを演奏しはじめた。老体が揺れる。
おおおおお、のぼでぃーごなていくまいかー、あいむごなれーすいっととうざぐーらーんど・・・!
でぃーぷぱー――ぷるー――。
しかし、このケースというかボックスというか箱というか、を作ってしまう、カイザー髭はやっぱりただものではない。
オルガンのセンスもさすがに元セミプロだけのことはある。
彼が下の住人だからこそ、ぼくが上で演奏をしても、怒られないのは間違いない。
「あの、ぼくの歌も筒抜けですか?」
「ああ、すごいよ、君の声、響く響く。わしのピアノもかね」
「ええ、お互い様ですね」
あはは、と笑いあった元カイザー髭と父ちゃんであった。
そこに、ぬっと顔をだした、ハウルの魔女さん!
いや、サンドリンヌさん。
荒れ地の魔女さんに似ていると思ったので勝手にそう呼んできたけど、彼女はサンドリンヌ、そして、カイザー髭さんがベルナールという名前であった。
あれ、たぶん、そうだったと思うけどな・・・。
たまに、癖で、ムッシュ・カイザーとか、マダム・ハウルとか言ってしまう、父ちゃん、やばいですね、えへへ。
しかし、ハウルの魔女さんって、実はすっごい美人なのだ。
これはぼくの見解ではあるが、ハウルの荒れ地の魔女さん、若い頃は物凄い美人だったと思うのだ。サンドリンヌも、絶対超美人だったし、今も美人だと思うのであーる。
ということで記念撮影をしたのだけど、御覧いただきたい。
ぼくの愛すべき隣人、元カイザー髭と元ハウルの魔女さん、日記、初登場だァ!!!
一時間くらい演奏を聞かされ、解放されたときはもうお昼の時間になっていた。
ぼくはコーヒーをいれ、窓際に座り、穏やかな海原を眺めて、人生を振り返っていた。
人生にはいろいろとあるので、何とも言えないけど、今年は多くの友人、知人がこの世から飛翔したこともあり、ぼくの心はずっとぽっかりと穴があいている状態なのだ。
そして、そういう時にさえも、非情な出来事がぼくにふりかかってくる。
下から、元カイザー髭さんが演奏する「ラヴィアンローズ」がまた聞こえてきた。
バラ色の人生か、・・・そういうものは心の中に描くものだな、と思った。
さて、今夜は何を食べようか。
つづく。