JINSEI STORIES
滞仏日記「自分が大嫌いになる年末のキッチンで、ぼくは自撮りにあけくれる」 Posted on 2021/12/26 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、NHKのBS「ボンジュール、辻仁成のパリの冬ごはん」の撮影がなかなか思うように進まず、気を揉んでいる父ちゃん。
制作会社社長のLさんからは「辻家のクリスマスの様子を撮影して」、というお願いは届いているのだが、昨日は地球カレッジからのお疲れ様で、イブだというのに「焼うどん」という恐るべき内情・・・。
今日は番組を引き受けた以上、何か、「パリ暮らし感が出る料理を」と思って、老体に鞭打ちながら「精一杯生きたろう」と起きあがった父ちゃん・・・。
一昨日、肉屋のロジェのところでほろほろ鳥(パンタード)を一羽ゲットしていた。
とはいえ、毎年、辻家は鳥の丸焼きなので、新鮮味がないのは事実だけど、それが一般的なパリジャンのクリスマス料理の一つなので、ま、気取らず、かっこつけず、キッチンに立った父ちゃん。
ただ、息子は出演拒否しているので、春ごはんの時のような和気あいあい感はないし、受験生だから、父ちゃん側も気を使っている中での、ひっそり撮影であーる。
でも、なんでか知らないけど、NW9のキャスターだった有馬嘉男さんにも「楽しみにしていますよ」と言われてしまい、いろいろな方が意外と御覧くださっていて、嬉しい反面、・・・悩んでいる父ちゃんもいる・・・。
そういえば、有馬さんが、こんなことを言ったのを、思い出した。
「辻さんの家がどんなか、もうみんなわかってますよ。田舎の家は階段あがって右側にキッチンがあって・・・」
と嬉しそうに、説明しているのを、あはは、と笑いながら聞いていた父ちゃんだが、日本中の人がコロナを恐れてパリから離れひっそりと生きている自分の家の間取りを知っているということに、はじめて、狼狽えた瞬間でもあった。
笑顔の有馬さんの向こう側に大勢の視聴者さんがいるんだ、と思ったその時、ぼくはレストランで、倒れそうになったのだけど、そんな気持ち、有馬さんにはわからなかった、だろうなァ・・・、笑。
昨日も、地球カレッジの冒頭、ギャラリーラファイエットの屋上に日本の方が数組いらして、記念写真とか一緒に撮ったのだけど、一人、ご年配の品のいい奥様がいらして、「主人が大学教授で一年間パリで暮らしております」と実に落ち着いた感じで近づいてきて声をかけられたので本番前だったけど、和やかなお話しになった。
撮影前なので、記念写真はご遠慮願ったが、本番中はどうぞ、と言ったのがよくなかったのか、オンエアーがはじまり、カメラマンの人がぼくにカメラを向け、ぼくの挨拶が始まったとたん、カメラマンの真横に立って、足を踏ん張って携帯でぼくを撮影はじめたその奥さんの本気度に、ぼくは不意を突かれ、冒頭の空気をつかめず、呂律がおかしくなった。(アーカイブでご確認ください。笑えますよ)やっぱり、スタート地点は言うべきじゃなかった、と反省をした次第である。
ぼくは普通に生きているつもりなんだけど、ぼくだって不機嫌になる時もあるし、仕事に集中したいこともあり、スタッフさんに、「あそこの方に、撮影控えてもらってね」と頼んっだ自分も嫌だった。そのことで「悪いことをしたなァ」といまだに心を痛めている父ちゃんなのである。
普通に過ごすって、どうやるんだろうね。
ぼくはだいたいが普通じゃないので、よくわからないのであーる。
ともかく、息子だって、こういう親の存在に巻き込まれて、いろいろと騒がしい想いをさせているのだから、申し訳ないと思って、今回の冬ごはんは誘っていない。
誘っても、絶対、出ないけどね・・・。
息子は忙しいので、ぼくはぼくで撮影をしないとならない。
今日は、ほろほろ鳥をオーブンで焼いて、解体をし、取り分けて、いつものクリスマスっぽい日常を自撮りで収録した。
一人で撮影しているので、すったもんだ、があり、ランチは、14時を超えてしまった。あはは・・・、すまん。
据え置きカメラが回っている時に、たまたま息子がキッチンに顔を出して、お菓子をぼりぼり食べて出ていったのだけど、残念ながら、気の利いたやりとりはできなかった。
家庭内別世界がそこにある。
当たり障りなく、お互い生きている感じなので、まァ、しょうがない。
今日はクリスマスだから一緒に食べたのだけど、美味しいかどうかもわからなかった。
何を出されても黙って食べる息子、食事が終わるといつも食器を片付けに行く。
その時、
「ごちそうさまでした」
と必ず、言う。
これは、二人で生きるようになってから、ずっと続く習慣なのだ。
言わなかったことがないし、彼は出されたものは残さず全部食べてくれる。
これは逆を言えば、会話はないけれど、それがぼくらの一番のコミュニケーションで、喧嘩をした後でも、ごちそうさま、という感謝の言葉がいつも家族をつないできた。
・・・と今日、改めて思った。
きっと、Lさんも「それでいいですよ、辻さん、無理はしないで」と言ってくださるはずだ。
ぼくはサービス精神が旺盛だから、つい、いいものを作ろう、頑張ろうと思ってしまうのだけど、それをもう少し、減らせると、楽になるかもしれないのに・・・。えへへ。
毎回、同じことばかり言ってるけど、「誰がこんな番組を待っていてくれるのか」と自撮りしながら、思って今日も自分の料理風景を自撮りした。
「いや、自撮りだから、いいんですよ。大丈夫です」
と、あの日、有馬さんが応援してくださった。その言葉を撮影しながら、思い出している、父ちゃん。
はたして、この自分は、いったいなんなんだ、というのだろう?
きっと、大晦日も、おせちとかを頑張って作ってるんだと思う、自撮りしながら・・・。
それなりに、笑える人間なんじゃないか。何がしたいのか、わからないアホウドリ・・・。
「自撮り上手になりましたねー」
とLさんに言われるたびに、心が引き攣っていたりするのだけど、そういうぼくのことは、誰も知らない。
十作目の映画「真夜中の子供」は中止になり、オーチャードホールのライブが三回も中止になり、日本には帰れないし(コロナの不安材料をばらまきたくないから)、そんなこんなで書きかけの小説だって集中できないし、寄り添ってくれる編集者さんもいない。
本当に、踏んだり蹴ったりなのだ。
それでも、諦めてはいないから、こうやってNHKの自撮り番組をやらせてもらっている。
しかし、そこに、本当の自分は映っているのだろうか?
本当は笑顔じゃなく、泣きたいんじゃないのか?
今日、ついにフランスの一日の感染者数は10万人を超えた。
みんなコロナに罹ってる。
それでも、ぼくはどんな希望でもつかみに行きたい。
自撮りであろうと、ぼくはそこにいつも方法を探しているのだ。自分を自分で未来へ橋渡しするための・・・。
それが自撮りということの本質なのである。
いつか、自撮りで主演映画を撮ってみるというのは、どうだろう。
オール自撮り映画だ!
あはは・・・。夢を見続けるのにはくたびれた・・・。
つづく。