JINSEI STORIES

滞仏日記「癒されたぼくはニースに別れを告げた。太陽の街が世界中の人々に愛される理由」 Posted on 2021/11/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、短いニース滞在だったけれど、落ち着かない気持ちが幾分癒されて、一時期現実を忘れることのできた滞在となった。
一つ、よくわかったことがある。
ニースがなぜこれほどまでに栄え、世界的に有名になったのか・・・。
日本人にとってニースと言えば海の、しかも夏のイメージがあるが、実は、太陽が照り付ける内陸の冬のイメージこそ、ニースが愛された理由であった。
英国やロシアの寒い国のお金持ちが求めたのは、まず、ここの太陽だった。不思議な話しだけれど、ニースの太陽は本当に大きくてぬくもりが半端ない。
なので、ニースの古い家々は、海側にドアがなく、内陸に向けて入口があったのだ。つまり、ここに屋敷を作った外国人たちは、最初、海ではなく、太陽を求めてやってきた。
あとから、海が整備されて、今でこそ、立派なボード・ラ・メールが出来上がったのだけど、寒い国の英国人やロシア人は山に囲まれた内陸のニースの光りと温暖な気候を求めていたのである。
なので、寒い冬の時期に、英国人やロシア人は南下し、ニースで寒い冬の時期を過ごすことが贅沢なあこがれとなっていく・・・、ニースはその恩恵で栄えていったのだ。
本当のニース通は冬のニースを愛する。
ぼくも、この初冬のニースがこんなに暖かく、そして穏やかだということを知ってびっくりした。(パリは今日、3度、ニースは18度なのである)
実に、今の時期のニースこそが、観光客も少なく、過ごしやすい・・・。

滞仏日記「癒されたぼくはニースに別れを告げた。太陽の街が世界中の人々に愛される理由」



午前中、ニース市の副市長さんや議長さんらと意見交換会のような朝食会がおこなわれた。
食事しながら話しをするのにぼくは慣れてないので、コーヒーしか飲めなかったけれど、日本人が好きなニースとは何かについて深く語り合える、和やかな会となった。
「ニースはとっくに世界遺産に選ばれていると思ってました」
とぼくが言うと、偉い人の一人が、
「実は、プロムナード・デ・ザングレ(有名な浜辺のストリート)だけを10年ほど前に、申請したのだけど、なかなか通過せず、ニース市全体を世界遺産に申請し直してみたら、通ったんだ。つまり、ニース全体が評価されたことになり、結果的にはみんな喜んでるよ」
とのことだった。
確かに、ここニースは、ホノルルのような、三方を小高い丘に囲まれた浜辺の都市で、大き過ぎず、小さすぎず、でも、あまり大きく開発が出来ない地政学的な魅力も手伝って、こじんまりだがその分、深い繋がりのある、歴史的にも様々な文化の複合性が素晴らしい、特別なリゾート地になっていく・・・。
アラゴンやマティス、シャガール、など様々な文化人が住んでいて、そうだ、エルトン・ジョンの別荘もあるらしい。(笑)

滞仏日記「癒されたぼくはニースに別れを告げた。太陽の街が世界中の人々に愛される理由」

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滞仏日記「癒されたぼくはニースに別れを告げた。太陽の街が世界中の人々に愛される理由」

その上、ニース人(二ソワ)の生み出した数々の南仏料理は素朴で、格別に美味しかった。
サラダ・二ソワーズ、そして、ドーブと呼ばれる煮込み料理(中にラビオリが入っている)、ソッカ(ひよこ豆で出来たお焼き)、ファルシ(パプリカとかトマトの肉詰め)などがここの代表料理になる。
その中でも、ぼくの心を強くとらえたのが、スープ・オゥ・ピストゥ(ピストゥのスープ)であった。
これは夏だと、ニンニクが結構入ったミネストローネのような夏野菜のスープの上にピストゥと呼ばれるバジルのペーストソースをかけるのだけど、今の時期だと、冬野菜、たとえば、白いんげん、ポワローネギ、人参、蕪、セロリ、ジャガイモをニンニクで煮込んで、そこに、ピストゥをどかっとかける、他では食べたことのない非常に健康的なスープとなる。
野菜だけなのに、にんにくがたっぷり入っているので、身体がほかほかする。
ピストゥは、ニンニクとバジルをオリーブで伸ばしながらすりこ木でペーストにして、最後に松の実を載せる。
これを好きなだけ、スープに載せて食べるのだけど、ぼくは大匙で、3回もピストゥをお替りした。なのに、全く、胃には凭れない!!!
なんでこれを拙著「パリの食べるスープ」に入れなかったのか、と悔やまれたほど、南仏を代表する冬の心と身体の温まるスープであった。

滞仏日記「癒されたぼくはニースに別れを告げた。太陽の街が世界中の人々に愛される理由」

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食後、ぼくらはニース市郊外にあるマティス美術館に立ち寄った。
マティスはニースに住んでいた。小説家で詩人のアラゴンと仲良しだったようだ。
とっても、こじんまりとした美術館なのだが、パリのピカソ美術館に負けないくらい、光りがあふれ、しかも緑に囲まれ、居心地がいい。
キュレーターのクロディーヌさんがぼくに、マティスの人物像について、教えてくれた。
とにかく、創作の鬼で、一日中、作品に向かっていたのよ、と解説してくれた。
マティスの美術館には、彼の初期の画家としての手順を踏んでいたころの、他では見られない丁寧な作品も展示されていて、芸術家というのは一足飛びには巨匠にならないのだな、と改めて、その長い道のりを想像させられた。
クロディーヌに、彼はどんな人だったの、ナイーブな人だったのかな、と訊いたら、
「私は、会ったことがないのよ」
と控え目な冗談を言われた。
その一言で、ぼくの愚問はあっけなく、消し飛んだのである。

滞仏日記「癒されたぼくはニースに別れを告げた。太陽の街が世界中の人々に愛される理由」

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「ツジー、ここにはアートと食と心を休ませてくれる終わりのない太陽が輝いているな」
とピエールが空港に向かう車の中で言った。
「本当に。出来れば、問題山積なパリには戻らないで、このまましばらくここに残りたいんだけどね」
「ああ、それは君らしくない。ここは、たまに来るから旅人に優しい楽園なんだよ。疲れた世界中の人たちが羽根を休めにくるところだ。また、いつか、来たらいいんじゃないのか?」
「ええ、そうよ」とアンヌが前の席で言った。
「いつでも、身体を休めに来てください。本物の、スープ・オゥ・ピストゥを食べに」
親善大使として、どこまで期待に応えられるかわからないけれど、まずは、ニースのことをこれからも折に触れ、日本の皆さんに紹介していきたいと思った。
ありがとう、ニースの皆さん、そして、ニースの太陽よ。また、会いましょう!

つづく。

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