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滞仏日記「食堂の灯りが消えて半月、光りのない食堂で食事を続ける悲惨な父子の」 Posted on 2021/11/04 辻 仁成 作家 パリ

地球カレッジ

某月某日、食堂のイタリア製の照明が点灯しなくなり、半月が過ぎた。今日、業者のジョゼさんがやってきて、再検査をやった結果、
「やっぱり、水漏れが原因で、こりゃあ、どうにもならないなぁ」
と嘆いたのである。
その場で大家さんと直談判をし、大工事が決定した。大工事…決定。
日記を長年ご愛読下さってい皆さんはご承知の通り、この家は過去に5回もの水漏れがあり(子供部屋、玄関二回、食堂、廊下&お風呂)、築120年の老朽化のせいなのだけど、そのせいで、一時期は漏電の可能性まで指摘されたが、結局、最初の水漏れから2年以上が経過しても、玄関の壁の湿度は100%という、信じられない状況・・・。
壁の染みと剥がれた壁とか、そのせいでむき出しになった照明装置とか・・・。
こんな状態でぼくと息子は二年もここで生活していて、ついでに、NHKの「ボンジュール、辻仁成の春&秋のパリごはん」などを撮影しているのだから、やんなっちゃう・・・。

滞仏日記「食堂の灯りが消えて半月、光りのない食堂で食事を続ける悲惨な父子の」



ジョゼ曰く、・・・
「現代のパリで、しかもこの中心地で、こんなことが起こるのは、異常以外のなにものでもないっすよ」
なぜ、剥がれた壁とかの工事が出来ないのかというと、湿度が低くならない限りは無理なのである・・・。
しかし、食堂の電気がつかなければ毎晩暗い中で食事をしないとならず、これはあまりにも不憫だ、とジョゼ・・・。
そこで、大工事をやることになった。
大工事!

滞仏日記「食堂の灯りが消えて半月、光りのない食堂で食事を続ける悲惨な父子の」

いったいどんな大工事かと訊いたら、
「胸を開いて肋骨を部分的に切り取り、肺を部分的に移植して、再び肋骨を戻し、胸を縫い合わせるような感じっすね」
という返事だった。
「その間、ぼくらはどうしていればいいの?」
「とりあえず、食堂は使えないから、ご迷惑をかけるけど、しかし、だんな、光りがないなかでこれからの冬時間をどうやって過ごすっていうんです?」
やれやれ。
しかし、このジョゼさんは本当にいい人なので、親身になっていつも大家と交渉をしてくれる。
水漏れも漏電も彼のせいではないのに、遠くからやってきて、出来る限りの修繕をしてくれるのだ。
「でも、ムッシュ、この玄関に今、LED以外の照明がないけど、工事までに照明器具を買っといてくれたら、あっしが設置しますよ、サービスで」
と言ってくれた。
玄関に照明がないのは、気になっていたので、それはありがたい申し出でもあった。
「ところで、ムッシュ? なんで、こんな問題ばかりあるアパルトマンで暮らし続けるんですか? この状態が2年も続いているのに・・・」
それはよく訊かれることだ。

滞仏日記「食堂の灯りが消えて半月、光りのない食堂で食事を続ける悲惨な父子の」

※ これはある日、大きな音がしたので、玄関に行くと、この四角い部分が落下していた・・。つまり、湿度で曲がって落ちた?



「最初はすぐ直ると思っていたから、我慢してたんだけど、今は、別の理由がある」
「どんな?」
「息子が来年受験だから、大学に入るまではここから動きたくない。離婚後、二回も引っ越した。息子には負担をかけすぎた。せめて、受験環境だけは整えてやりたい。彼が大学生になり、地方の大学とかに行ったら、ぼくは一人になるから、ここを速攻解約し、小さなアパルトマンにうつるよ。一人だったら、この半分以下で十分だからね」
「そうですね。ここはちょっと広過ぎますね。壁も全部塗り替えないとならないでしょ? 子供部屋、エントランス、食堂、廊下、風呂場、それにキッチンは全部塗りなおす必要がある。ざっと、まる二か月はかかりますよ。その間、ここには暮らせないから、出ていくのがいいでしょうね」
「ジョゼさんに会えなくなるのは寂しいけど、それまでは、お願いします」
「もちろんです」



ぼくは午後、玄関にぶらさげる照明を買いに、知り合いのアンティークショップに出かけた。店主に、状況を説明すると、
「それがフランスだよ」
と笑っていた。
「でも、お子さんのために、今、我慢するのは、悪くない判断だよ」
店主がぼくに推薦してくれた玄関灯はあまりにかっこよかった。一発で、これに決めた。
「特別に一割引きにする。君の息子さんが明るい光りの中で帰宅できるように」
えええ、嬉しい。めっちゃ、かっこいい照明器具だな、と思った。

滞仏日記「食堂の灯りが消えて半月、光りのない食堂で食事を続ける悲惨な父子の」

滞仏日記「食堂の灯りが消えて半月、光りのない食堂で食事を続ける悲惨な父子の」



夕方、Amazonから伸縮用梯子が届いた。
これは田舎のアパルトマン用で、持ち運びができる3メートルの梯子である。(天窓から顔を出し、遠くを眺めたいのだ。それがぼくの今の夢だ)
せっかくだから、息子に手伝ってもらって、伸ばしてみた。
ぼくは息子の反対を振り切って、上まで登って、電源が露出している個所を覗き込んでみた。
「パパ、やめてよ。感電したら、死んじゃう!」
「大丈夫、どうなってるのか、被害状況を確認しているだけだから・・・。あ、ちょっと、ポーズとるから、パパの携帯で撮影しておいてくれないか?」
「今? なんのために?」
「日記に載せるんだよ。決まってんじゃん。パパの勇姿を!」
ぼくが梯子の上でポーズを決めていると、息子が何か考えている。
「普段のこの酷い姿が勇姿? 撮ってもいいけど、めっちゃ酷い爆発頭。それによれよれのジャージ、かなり、ダサい姿だけど、読者の皆さん、軽蔑するレベルだけど、いいなら、撮るよ」
ぼくは黙って降りることにした。しゅん・・・。
仕方がないので、梯子の写真だけで、我慢頂きたい。
この玄関に、新しい照明器具が点灯する日を心待ちにしながら、夕飯の準備をしよう。

つづく。

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