JINSEI STORIES
退屈日記「また、いつか行きたい、モン・サン・ミッシェル」 Posted on 2021/12/12 辻 仁成 作家 パリ
モンサンミッシェルまで、パリからだと車で片道、5時間くらいかかってしまうので、行こうと思ってもなかなか気楽に行くことが出来ない。
でも、行くと本当に落ち着く場所である。
世界中から観光客があつまる理由がわかる。
流れる風が違う。
降り注ぐ太陽の光りが異なる。
まるで天国のような場所である。
あの独特の佇まい、生きている間に一度は生で見て貰いたいものだけど、今はコロナで不可能だ。
そこで、ぼくが2018年の6月に訪れた時の記憶を辿ってみてはどうか、と思いついた。
ちょうど、その日、ぼくはたった一人で、ギターと撮影機材を抱えて、モン・サン・ミッシェルを目指したのである。
というのは、最近はぜんぜん更新できずにいるけど、その年、ぼくはYouTube「2G」を開設した。
それも、言い出しっぺはあの息子だ。
パパ、YouTubeは誰でもやれるいわばネットのメディアなんだから、パパこそやるべきだ、ぼく手伝うよ、と焚きつけられ、はじめたのはいいのだけど、
最初の一本だけ、なんか、ちょこっと手伝って、あとは一切、無視となった。
よくある話しで、でも、はじめてしまったので、やらないわけにはいかず、ぼくはなんと車に機材を積んで、一人で往復10時間もかけてモン・サン・ミッシェルまで行ったのである。
やれやれ、あの野郎。笑。
早朝に出て昼前には現場に到着、駐車場に車をとめ、機材をキャスター付きのキャリーバックに詰めて、ギターを背負い、観光客らの間をとことこ歩いたことを今でも鮮明に思い出すことが出来る。
腹は立っていたけど、着いたとたん、ぼくは僧侶のような気持ちになった。
争ったり、怒ったり、焦ったり、憎んだりするのが馬鹿らしくなった。
そして、遠くに見えるまさに陸の孤島を見つめ、なぜか楽しくてしょうがなくなった。
この世界遺産を背景にもしも歌うことが出来たら、すごいものが出来るな、と思うと、ある種の使命感さえ起きたんだ。
凄い映像を撮ってみんなを喜ばせたいと思うと足が軽くなった。
重たいカメラや機材、そしてギターを抱えて、ぼくは一人、モン・サン・ミッシェル中心部まで向かう、砂洲の道を歩き続け。
観光客らに怪訝な目で見られながら…。
この日は、不思議なことに、いつもは海に囲まれた、モン・サン・ミッシェル周辺だというのに、み、水が無い!!!
驚き、通りすがりのおじさんに訊ねると、この時期、一週間ほど潮が引いて陸地になるのだ、とか、オーマイガッ!
知らなかった!!!!!!!!!!!
思わず、モン・サン・ミッシェルの守護神、聖ミッシェルに手を合わせてしまったのだ。
まるでモーゼが現れたかと思うほど、あるべき場所に海水がなく、海の底がモン・サン・ミッシェルを取り囲んでいたのである。
すげーーーー、というのがぼくの第一声だった。
何回とここを訪れたことがあるけれど、このような光景と出会ったのは初めてのことである。
ある種の軌跡だ。この日を選んで家を出たわけじゃなかった…。
ともかく、これを記録にとらなきゃ、と思い、ぼくは撮影ポイント探した、必死で。
とりあえず、遠くに見えるモン・サン・ミッシェルを背後に、テストも兼ねて歌ってみることにした。
だいたいの撮影画角を決めたらセッティングし、モデルがいないので、とりあえず 撮影→確認→テスト、を自分一人で繰り返した。
結構大変な作業だったけど、しかし、もっと大変なことがあった。
それは観光客だ。
大きな声で歌い始めると、モンサンミッシェルへ向かう観光客の皆さんに気づかれ、人だかりが出来てしまう。
そりゃ、そうだ。マント着て土手で熱唱する日本人がいるのだから…。気になるわな…
おい、静かにしてくれ、あんたら声が入ってしまうじゃないか!
どいてくれ、と手を振っても、手を振り返してくる始末。しかも、笑顔で、やれやれ。
でも、2020年の今から思うと、この長閑な光景は今はもうどこにもない。
あの時は邪魔でしょうがなかったけど、コロナ禍の今思うと、人がいることの有難みがそこにはあった。
そして歌い終わると、大喝采となった。
日本人だったら、そっとしておいてくれるところだけど、観光地だし、世界中からここを目指してきた人たち、みんな心が緩んでいる、だから…口笛鳴らす人や、拍手喝采が続いた。それはそれで今はとっても有難い思い出になった。
有難いことだった、何もかも…。
3テイクほどそこで撮影してから、人が集まり過ぎて、こりゃ、だめだ、となって、再びキャリーバックに機材を詰め込んでぼくは移動した。
その姿を想像してほしい。いいオヤジが、買い物用のキャリーバックにカメラ機材、スタンド、録音機材などを積んで、ぱんぱんになったバックを引っ張って歩いているのだから。
しかも、背中にギターを背負っている。
日本人観光客で、ぼくのことを知っている人とすれ違わないことだけを神様に祈り続けていた。
モン・サン・ミッシェルの入り口から干上がった海へと降りた。
警備員さんに、行っても平気ですかね、と訊くと、海が戻ってきたら戻って来な、といわれた。
なんとなく、あまりに喉かで笑顔しか出ない。
モン・サン・ミッシェルから干潟を歩き、200メートルくらい沖合? の誰もいない海底? だった干潟を撮影ポイントに決めた。
物凄い眺めであった。
周囲には誰もいないのに、正面にど~んとモン・サン・ミッシェルが聳えている。
「ここで歌っていいの? マジですか、聖ミッシェル様!」
こんな光景、信じられない!!!!!
生かされてるな、と思った。
そして、なぜか、これを撮影しなきゃという強い使命感に襲われた。
機材を設置しながら、その手が震えていた。
テストを繰り返し、なんとなくピントを合わせた。全部ひとりでやっているので、映像も音もすべてなんとなく、である。あとは神頼み…。
太陽が真上にあり、ギラギラと照り付けてきた。
物凄い風が吹きすさんでいて、髪の毛はもう手に負えない状態。
でも、気にしない。ぼろぼろでも、直しようがないのだ。自然には逆らなえない。
そんなのはもうどうだっていい!
今ぼくはここにいるんだ。
海が忽然と消えたモン・サン・ミッシェルのド正面に!
この瞬間には感動しかなかった。
カメラの録画ボタンを押し、撮影状態を確認してから録音機材のボタンを押し、それからギターを抱えてカメラの前に座って、心が落ち着くのを待った。
ドキドキしていると、不意にどこからか鐘の音が、え、マジかよ!
振り返ると、モン・サン・ミッシェルの時を告げる鐘であった。
この瞬間を逃してはいけない。
カメラは回っている。
ぼくは気合を込めて、歌い出す。
「聖ミッシェル、力をください、いつもライブで歌詞を間違えてファンの方々に呆れられているんです。でも、今日は間違えるわけにはいきません」
歌いだすと不思議なことにピタッと風が止んだのだった。凄い、と思ったけど、顔には出せない。
カメラが回っている1
真空のような、火星の沙漠に立ったような……。
もう自分の力ではないと思うとどこからか物凄いエネルギーが沸き起こっていた。
そうだ、ぼくは今、世界遺産の、しかも、軌跡がおき、海が消えた場所で一人、この地球を感じながら、歌っているのだった。
「故郷」という東北大震災の時に日本のみんなへ向けて作った曲を歌ったが、その曲が、二番に入ったあたりから再び強い風が吹きだした。
風の音もこの世界の真実なのである。
風もこの歌の一部にしてしまえばいんだ、思った。 歌い終わると、暫く動けなかった。
というのか、なんで、ぼくは今、ここにいるのだ、と不思議でならなかった。
このような場所にいったい、誰がぼくを呼んでくれたというのだろう。
なぜ、ぼくはフランスで生きているのか?
なぜ、ぼくはシングルファザーで息子を育てているのか?
なぜ、ぼくは家事と仕事を必死でやっているのか?
なぜ歌をはじめたのか、なぜ頑張るのか、なぜ自分は今ここにいるのか、と自問した。
でも、答えはなかった。
いいや、答えは今ぼくを包囲している、と思った。
目の前のカメラと目が合った。
そうだ、その答えはこの動画の中にあるのだと思い、思わず地平線に向かって、カット、と叫んでいたのである。
その時のテイクがこれである。
家に帰り、息子と動画を見てもう一度びっくり。
撮影前は誰一人いなかった干潟。
なのに、間奏になると、どこから現れたのか、ぼくの背後を大勢の人たちが通り過ぎていく……。
どこからやって来たんだろう、誰もいなかったんだよ、と息子に説明をした。
気づかなかった。これって、奇跡だ…。
エキストラみたいだね、と息子が言った。
間奏の終わりの方で、一人の男性が遠くから走ってくる犬に両手を広げて笑顔を向けている。
それがまるで映画のワンシーンのようで感動してしまった。いったい、誰がこんなものを演出したのだろう、と思った。
ワンテイクなのだ。
この動画には見えざる多くの聖ミッシェルの力が及んでいる気がしてならなかった。
動画を見てくださったあなたにも、ちょっといいことが、おきますように。父。