JINSEI STORIES
滞仏日記「フランス、コロナ感染拡大中、田舎隔離という父ちゃんの新手法」 Posted on 2021/12/11 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、フランスの感染者数が急増していて、今日一日の感染者数は56000人越えなのである。(8日には一瞬、6万人を超えた)
ただし、パリ郊外の救急病院の先生曰く、ICU(集中治療室)に入っている人の80%はワクチンを打っていない方々で、残りの20%はワクチンは接種しているが基礎疾患を持っている人らしい。
ワクチンを接種している健康な人はほぼ重症化していない、とその先生は語っていた。
ただし、フランス政府は12月8日からパリ(イル・ド・フランス)を含む6の地域でプラン・ブラン(白計画)と呼ばれる「例外的な公衆衛生状況における医療対応システム」を発令した。
これは月内に全土に広がる見込み。
感染拡大の上に、オミクロン株も出てきたことで、医療従事者はまたしても厳しい労働を強いられているようで、知り合いの救急医は、「すでに限界に達してるよ」と嘆いていた。
それでも、周辺国の人々に比べて、フランス人は比較的マスクをしっかりとつけている人が多く、(それはきちんと怖がっているということだ)、感染者数は増えているけれど、ワクチンの三回目の接種も順調に進んでいるし、ファイザー社のワクチンはオミクロンにもある程度有効らしく、2020年のロックダウン時とは違った流れになりつつある。
ぼくも今は、ひとたび、感染拡大中のパリを離れ、人に接することの少ない田舎で三回目のワクチンを打つ(来週の中旬)まで大人しく過ごすことにしている。(先のお医者さん、三回目の接種後、結構しんどかったので、気を付けて、とのこと)
オミクロンの感染者は増えている。
いつの間にか、フランスは59人もいるようだけど、あまり、神経質な報道はない。
日本と違って地続きなので、防ぎようがないというのもあるだろうし、情報が錯そうしていて、コロナ全体の危機への警戒感の方が強い印象がある。
今日から、フランスではディスコティックが閉鎖されているが、レストランやカフェなどは通常通り営業が続いている。
経済をできる限り止めない方法で、この年末年始を乗り切ろうという作戦のようだ。
高速インターのマクドナルドで昼食を食べたのだけど、徹底した消毒と、客への指導があって、マスクから鼻を出していた人が怒られて入場を拒否されていた。
ぼくはいつもフィッシュバーガーを注文する。ほっとする美味しさなのだ。
自然食のスーパーに立ち寄り、一週間分の食糧とバイオエタノールを買ってから、ぼくは田舎のアパルトマンの階段を上った。
終の棲家ではないけれど、愛しい小部屋が、主人の帰りを待っていてくれた。
先週、買った一つ目のライト君がぼくを出迎えてくれた。すでに人格がある。
デンマーク製で、一目ぼれをした一つ目君、なかなか可愛いじゃないか・・・。
暖炉に火をくべ、デロンギを温め、コーヒーをいれて飲んだ。
冬なので建物には誰もいない。見回すと、周辺の家のボレー(雨戸)が閉まっている。
寂しいけれど、仕事に没頭できるし、思う存分ギターの練習が出来るので、ぼくは寂しい冬の田舎も好き。
息子から「明日、ウイリアムの誕生日だからいつもの仲間を集めて、うちで誕生日会をやってもいいか」とSMSが入った。
彼らの友情や自由を縛るつもりもないので、「いいよ」と言った。前だったら神経質になっていたところだけど、コロナがだんだん分かってきた今、不必要な怖がりは必要ない、気もしている。むしろ、人間らしさとのバランスが大事・・・。
食べたいものがあれば、ぼくが田舎からデリバリーの注文をしてあげることもできるし。ま、うるさいおやじがいないので、のびのびと過ごせばいい。
いつまでもコロナに青春や人生を邪魔されているのも、よくない。
ぼくはそういう考え方である。
自分は還暦越えなので、罹っちゃまずいから、田舎隔離という作戦なのだ。田舎隔離、この響き、悪くないな、と思った。
暖炉と各部屋の暖房とパリから持ち込んだデロンギを二台稼働させ、一時間くらいで部屋が温まった。
コーヒーをいれて、暖炉の前の椅子に座り、炎を眺めながら、ギターを持ち出し、「黒の舟歌」を歌った。窓外に広がる英仏海峡、今日は荒れている。
人生は荒れる日もあるし、凪の日もある。ぼくの初期の小説に「母なる凪と父なる時化」という函館を舞台にした作品があった。そのことを思い出した。
いやぁ、それにしても、はるばる遠くへ来たものだなぁ。
今日は、風の音に耳を傾けながら、焼酎のお湯割りを舐めよう。
つづく。