JINSEI STORIES
滞仏日記「子育てを批判されても、やり過ぎパパと揶揄されても、ツリーを飾る12月」 Posted on 2021/12/05 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリ中心部は物凄い賑わいで、正直、「オミクロン」も、「感染者が再び5万人を超えた事実」も、何処吹く風的な今日のパリであった。
前回風邪で一回休んだ掃除係の中島君が12時少し過ぎに、やってきて、いつもの笑顔で掃除機をかけながら、時折、空咳をしていた。
昨日も、そういえば、うちに遊びに来たこの町の村長ことふぐちゃん(ヴァンサン)が時々、咳をしていた。
二人とも、口をそろえて、「何度もテストをしたから、大丈夫。陰性なんです」という。
ま、信じているけど、ぼくは怖がりなので、昨日も今日も、窓をちょっと開けて、換気を徹底し、彼らが帰った後は完全消毒もした、えへへ。
冬だから、普通の風邪も流行っていて、外にでると、咳き込んでいる人がいるのだけど、デルタなのか、オミクロンなのか、インフルエンザなのか、風邪なのか、わからない上に、全部、ワクチンが違うってのが、超腹立つ。(普通の風邪にはワクチンはないか・・・)
午後、毎年の行事通り、クリスマスツリーとオーナメントを買いにデパートへ出かけた。
結構、ぼくの周辺のフランス人は、オミクロンにはあまり関心を示していない、というか、「また、その話しかよ」「また感染者5万人突破か、やれやれ、知らんわ」みたいな状態にある。
気を付けている人は神経質過ぎるくらい気を付けているようだけど、逆に、そうじゃない人は、ワクチン打ったしもう大丈夫、みたいな人が目立っている・・・。
だから、ボンマルシェ・デパートは大勢の人で賑わい、オーナメント一つ買うのに、行列に並ばないとならず、な、なんと30分もかかってしまった。
「オミクロン」はどうしたんだろう、とぼくも他人事のようにその列の中で思っているのだから、麻痺、というか、コロナがもはや当たり前になった世の中感はある。
どういう医学的根拠があるのか(噂で感染力は強いけど、死者はほとんどいない、と記事が出回っていた)知らないけれど、フランス人は、次第にコロナを普通に受け入れつつある印象・・・。
とにかく、ぼくはクリスマスツリーとオーナメントを買って帰った。
オーナメントに関しては、前にも書いた通り、毎年、一つずつ専門店で買って集めている。それは、こうやって、家族でまた新たな一年を頑張ってきた、というご褒美の証として、なのだ。
しかし、これが結構、高いのである。
なんで、こんなに高いのか、と思うくらいに高い。今日はオーナメントを一つ買って、37ユーロも払わされた。一つ、4000円を超えている。
息子は学校が休みなので、ずっと家にいる。
ぼくが田舎に行ってる間も(学校以外は)外出せず、家にいたようだ。お皿がキッチンの隅っこに積み上げられてあった。(食洗器に入れなさい!!!)
とりあえず、冷戦状態と言えども、食事の時には声をかける。
「ごはん!」
「はーい」
お小遣いをあげないといけないので、財布からお札を出して、手渡した。
「お小遣い」
「ありがとう」
ありがとう、と言ってくれるだけまだいいのかもしれない。しかし、会話というものはない。ごはん、お小遣い、・・・以上。
受験のことにはもう一切口出しをしていない。
ぼくがうるさい父親だと思われるのも、あっちこっちで言われるのも嫌だから、もう関わらない。
自分で全部できるから、と強く何度も言われたので、ならばしょうがない。
それはほかでもない、自分の人生なのだ。ならば自分でやればよい。
ぼくは自分で人生を切り開いてやってきたし、息子よ、君だって、出来るだろう。
できないなら、それもいい勉強になる。自分で決めると言い張るのだから、もう親の出る幕はない。
ぼくは息子に食事を与えた後、秘書さんが急逝したので、今後のこととか、各契約書のサインとか事務的なことや経理とか法務とか、やらないとならないことが目白押しで、落ち込んでいる暇もないくらいに、忙しい。
この年末はたぶん、新しい体制ができるまで、今までで一番忙しい年末になるのかもしれない。
それでも、クリスマスツリーを買って、家に飾ろうとしているのは、なぜなのだろう。
たぶん、ここを殺伐とした家にしたくないからか、ずっと続けてきたオーナメントを一つ買う毎年の行事を、今年もやり遂げたかったからだろうか?
家のサロンの片隅に、今年もツリーが(小ぶりにしました)そびえることになり、電飾がキラキラと輝くことになるのだけど、それはいったい誰を喜ばせるためだ、というのであろう。
息子が10歳の時、お母さんのいないクリスマスを悲しくさせたくないので、父ちゃんはツリーにオーナメントを付けることからはじめた。
うちはクリスチャンじゃないけど、息子はカトリックの学校に通っているので、「サントン人形」というキリスト生誕の瞬間を再現した人形セットも買って、フランス人家庭に負けないように、色々と工夫して飾り付けた。(毎年、インスタにアップしていたのは、ほら、男親にだってできるのだ、と主張したかったから?)
いいや、何より、それらはすべて、息子のためだった。
よその家と比べても負けない飾りつけにするのは、息子に、みじめな思いをさせたくない、という父ちゃんなりの思いであった。
息子が小学生の頃、毎朝、お弁当作りに燃えていたのも、同じで、母親の不在をカヴァーしなきゃ、と思ってやっていたことであった。
ところが、この間、息子の友人の親御さんから、間接的にだけれど、今のぼくはどっちかというと「やり過ぎパパ」だ、と言われた。
ぼくが白けるのも当然である。悲しいけど、しょうがない。
やり過ぎパパ、とか言われてもぼくは怯まない。その子の親じゃない人間にぼくの気持ちがわかるはずはないからだ。
外野は黙っていてほしい。
ともかく、今年も、ささやかながら、ぼくは誰もいない、いなくなったサロンにツリーを飾るのであーる。
今年のオーナメントは、すごいよ、えへへ。
つづく。
※ 本文の転載はご遠慮ください。
※ これは、2019年のクリスマスの飾りつけ・・・