JINSEI STORIES
滞仏日記「20代の頃、パパはどんな人間だったの? と訊かれた」 Posted on 2021/10/27 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は、一歩も家から出なかった。息子は、昼前に出かけた。
「昼飯は?」
「いらない」
なんか、寂しい時に人に会うともっと寂しくなると思って、晴れていたけど、出ずに、ゴロゴロしていた。
仕事も調子が出ない。なんか、最近、気が付くと日記ばかり書いてる。
絶対、寂しいんだと思う。
最近、Lさんからも、野本からも、連絡来ないし、日本の人から忘れ去られた感じだ。
パリのママ友も、そういえば、連絡がないなぁ。
なんか寒くなったからかみんな体調壊しているみたいだ。
秋だから、仕方ない。
今までで一番心細い秋かもしれない。
コロナを全力で乗り越えて、一息ついた今、いろいろな反動が出ている。
まだ安心できないからか、バーとか行けないし、かといって家飲みも飽きたし、困ったものである。
午後、息子が帰ってきた。そして、
「パパは、若い時、どんなだった?」
いきなり質問された。
「なんで?」
「いや、どんなだったのかな、と思った」
たまたま、東京の写真家(大川直人)さんが、個展をやるというので、ぼくの若い頃の写真を使わせてほしい、と連絡が入ったところだった。
それで、息子にその写真を見せてやった。
「パパの25歳くらいの時」
「おお、なんか怖いね」
「ロッカーだもんねー」
「今の方がいいね」
「え? そうかな」
「なんか、ギスギスしている」
「あ、でも、そういう時代だったし」
「どんな若者だったの?」
🄫 naoto okawa
そこから、ちょっと立ち話しになった。
20代の自分のことを掻い摘んで話した。
やんちゃだったこと、すぐにカッカしていたこと、新宿でライブ活動をしていたこと、バンド間でのもめ事などもよくあったし、練習とアルバイトとライブばっかりやっていた時代の話し、とか・・・。
「バンドのもめ事?」
「うん、喧嘩? 新宿の歌舞伎町という、当時ちょっと不穏な場所があって、そこにACBというライブハウスがあってね、下がビリヤード場で、客がダンスして床が抜けそうになると、怖いおじさんとかが乱入してきて、コンセント引き抜かれていた。まだファンが少なくて、ワンマンでライブできないから、他のバンドと一緒にやるんだけど、だいたい、どこの連中も仲が悪くて、いんねん付け合うってわかる? にらみ合って、何見てんだよ、とか、唾飛ばされて、そのまま乱闘とか、普通だった。パンクとかロッカーとかいろんな格好の若者がそこに集まっていた」
「え? パパも? 信じられない」
「いや、パパは喧嘩はしない。小さいし、弱いから、仲裁したり、逃げてた」
あはは。
「若いからさ、仕方なかった。映画みたいだった。さらば青春の光と影」
「あ、スティングが出てる昔の映画でしょ?」
「昔か、ま、そうだね。でも、あんな感じだった。あの映画にあこがれて、英国のブライトンまで行ったんだ」
「へー」
「モッズ族ってわかる? ジャケット着て、ベスパを乗り回している若い連中がいてね、パンクスと乱闘していた」
「乱闘ばっかりだね」
「なんか、時代が違うんだよね。ネットゲームとかなかったし、インベーダーゲームがあったかなぁ」
「なにそれ・・・」
「でも、楽しかった。パパは、その頃、すでに小説も書きはじめていた。新宿の古いカフェに行くと、作家とか物書きみたいな人が屯していて、そこに作家の中上健次さんって大先輩がいてね、怖い感じの人なんだけど、彼の『19歳の地図』とか『岬』って小説が当時、好きで。近づいていったら、面白がってくれた。ロックやってんのかって。(笑)。お茶をして、いろいろと教えてもらったんだ。でも、92年に死んじゃった。みんな死んだ」
「へー」
「映画のシナリオも書いてた。若い映画監督とかとしょっちゅう居酒屋で議論とかしていた、くそ生意気な小僧だったよ。夢ばかり追いかけてた。今も、ずっとそれを続けてるけど、・・・。乱闘と議論だけは、やらなくなったなぁ」
ぼくらは笑った。
「なんで、そんなこと聞いてきたの? 進路で悩んでる? でも、時代が全然違う。今は人間が多すぎて、仕事を探すのが大変だ。手に技術を付けたほうがいいよ」
「なんかね、今日、音楽の仲間たちに会ってた。一人、その道で食べてる子がいてね、楽しそうだった。自分の好きなことをやって、生きていけるっていいなぁって・・・」
「そうだよね。それが理想だけど、なかなか、そうはいかない。音楽は続けていいし、続けてほしいけど、同時に、生きていくための仕事も持っていてほしい。それが、多少でも、君の好きな世界だといいね。好きなことを見つけることは大事だ。でも、あれから40年が過ぎたけど、パパはいまだに、この写真の自分が横にいる」
「え? どういう意味?」
「この写真の自分が今も、自分の中にいて、まだ何一つ、諦めてないってこと。実現がだんだん難しくなっているのは分かるよ、年齢的に、もうジャンプもできないし、身体もあちこち痛いし。音楽やめろ、とか、小説書くな、とか、映画は無理だとか、みんなに散々言われてきたけど、他人って自分に甘くて、人には厳しいよね。ただ、どんな批判を受けても、パパにしかできないことって、あるって信じてきた。絶対、あるんだ。人から言われてやめるようなことはない。やめる時は、自分の意志で終わらせる。だから、パパはゴロゴロしているし、ぐずぐずやってるけど、ちゃんと続けているんだよ。知ってるだろ?」
「うん。でも、大変だね、終わりがないんだから、休めないね、死ぬまで」
「いいこと言うな。休んだら、パパがパパじゃなくなっちゃうじゃんね」
ぼくらは笑いあった。
なんか、青空の休暇という感じの一日であった。
つづく。