JINSEI STORIES
退屈日記「最近、寂しい父ちゃん。どうしたんだろう? あ、秋だからだ!」 Posted on 2021/10/26 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、なんだか、寂しい年齢なのである。
仕方ないけど、ここんところ、毎日、寂しいので、なんでかな、と思ったら、秋だった。
秋だからか、と思ったら、思わず、笑ってしまった。
センチメンタル・ヒトナリ~。という歌が出来そうだ。
で、ここんところ、お酒もおいしくない。といって、遊んでくれる人もいない。
近所の不良フランス人たちとバカ騒ぎするのも飽きた。
夜は息子と二人でご飯だし、誰か呼んで、3人で食事をしようかな、と思って、見回したら、ちょうどいい奴がいた・・・。笑。
単身赴任男で、佐賀県出身、なんとぼくの父親と同郷、というか同じ諸富町生まれの41歳、光岡力さん・・・、通称、みっちゃん。
一風堂の欧州の責任者で、元ミュージシャンだから、気が合うし、がたいも大きく力持ちなので、進路に悩む息子に、ラーメン道を通して、人生を学ばせるのに、ちょうどいい。
呼び出し、行きつけのメイライの店で三人で夕食をすることになった。
一風堂はオデオン、レアル、レピュブリックの三か所に店舗を構えていて、ロンドンにも4軒くらいあるらしく、世界全部で200店舗展開とか・・・、そんな壮大な仕事をしている人の話しを息子に聞かせるのは、彼にとっても、かなり刺激になるんじゃないか、と思ったので、テープ回しながら、三人でご飯をしたのだけど、これが、面白過ぎたので、途中から、インタビューになってしまった。((´∀`))ケラケラ
心なしか、息子の顔つきが真剣である。
「たまに、一風堂、行きます」
と白状した。
「ああ、そうですか。それはうれしいな、今度来る時は、ぼくを探してください」
うちの子、先輩男子に弱く、父ちゃんと二人の時とはスタンスが違う。
背筋が伸びて、みっちゃんの「喰えないミュージシャン時代の話し」や「29歳の時のニューヨーク店立ち上げ参加」の逸話、それから、「パリ、ロンドン出店の話し」など、しかも、みっちゃん、「高校中退で、東大生とか一流大出た社員を動かしとる」みたいな武勇伝が息子の心をノックしている、みたいであった・・・。
「挨拶がちゃんとできる、真面目な青年ですね」
とみっちゃんに言われ、照れている息子・・・
「日本語もちゃんとしている。今時の子は挨拶ひとつでけんとです。君は佐賀弁とか喋るとか?」
「いいえ。フランス語専門です」
そこらへんで、笑いあう感じもいい。
父ちゃん、ちょっと寂しくなくなった。
うちの子は当然フランスに親戚がいないので、香港人のメイライたちが遠い親戚みたいな関係で、可愛がって貰っている。
息子を連れていくと、メイライ一家全員が出てきて、「サプタオ」と呼ばれる。
うちの子の漢字を中国読みすると、サプタオ、となる。
ちなみに、ぼくは、「ヤンセン」だ!
ヤンセン、サプタオ、親子。えへへ。
メイライに、みっちゃんを紹介した。すると、みっちゃん、中国語を喋りだし、メイライが大喜び。
みっちゃん、広東語も北京語も、両方ペラペラ。
「中国に住んでいたんですか?」と息子。
「9か月、立ち上げで行っただけ」
「それで、そんなに喋れるんですか?」
「言葉を話せないと人に自分を届けられないやろ? それが仕事だからね」
ちょっと、感動した父ちゃん。息子も瞠目している。
実はみっちゃん、英語もペラペラ、仏語もペラペラなのである。
「でも、高校中退なんすよ。語学学校なんか出てないし」
「じゃあ、どこで?」
息子の好奇心はとまらない。紹介してよかった。父ちゃん、寂しくないぞ。
「たとえば、ニューヨークは24,5の時に、会社命令でいきなり飛ばされ、一言もしゃべれない中、現地のバイトさんたちの中に潜り込んで、生の言葉を捕まえて、喋るようになったんだよ。広東語も、北京語も、派遣されたら、現地の人の中に入って生きた言葉を学び、自分のものにする。通訳さんを横につけていたら、誰も心を開かないもんね」
「すごいですね」
「いやあ、仕事だから。人間ってやっぱコミュニケーション大事だよ。ラーメン屋だもの、うまいラーメン作るのと、その土地の人と仲良くするのが、ぼくの仕事だ」
そこでぼくが途中で、口をはさんだ。
「この子が大学生になったら、一風堂でバイトさせましょう」
「いいですね。礼儀正しいから、伸びると思います」
伸びる? 何が伸びるのか、イメージがつかめなかったけれど、ぼくは息子が社会に出て、そこで何かを掴んで、自分の生きるものを見つけてほしい、と願っていた。
とにかく、そんな楽しい時間を過ごすことができた。
みっちゃんから、出来立ての新作の麺とチャーシュー一本貰ったので、明日は、自宅でラーメン、間違いなし!!!
みっちゃん、41歳は、レンタル・電動・キックボードの会員で、道に置いてあるキックボードにまたがり、颯爽と帰っていった。
「月、40ユーロで乗り放題なんです。タクシーなんて、そんな身分じゃないです。じゃあ、しつれいします」
「おおお」
ぼくと息子は手を振った。かっけー、
さすらいの佐賀県人は暗いパリ市内をぶーんと軽快に走って去っていったのである。
「まだ、人生をかけられるものとは出会ってないんです。一生、それを探しています」
席を立つ前にみっちゃんが言い残した言葉を、息子が帰り道に、いいことばだね、と絶賛していた。
よしよし、その通りだ。
ぼくは息子の肩を叩き、ふと、思った。あ、もう、寂しくなかった。
つづく。