JINSEI STORIES
滞仏日記「一難去ってまた一難からの神様のご褒美とは? 人間の素晴らしさ」 Posted on 2021/10/26 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリのアパルトマンの食堂の電気が点かないのは、やはり、水漏れの影響らしく・・・。
朝一番で、ジョゼおじさんが電気工具セットを抱えてやってきた。
感電とかはしないようだけど、こんなにあちこち問題が起きるのは、異常だよ、という結論で、11月頭についに大工事をすることになった。
大工事、やれやれ・・・。
暗い食堂で、しばらく、息子とご飯を食べることになるのだけど、NHKの撮影が終わっていて、まぁ、良かったかもしれない。
これから冬が近づくと、夕方17時には真っ暗になるので、一日も早く光りを返してほしい、と願う辻親子であった。
※ 辻家自慢のイタリアの現代風ライト。点かない・・・。
※なんか簡易で小さな電球をつけてくれたけど、これも点かない。もし、これが点いたら、壁の中の湿度が落ち着いた証拠です、とジョゼおじさんが言った。ありえない、とぼくは思っている・・・。
どうでもいいことだけど、昨日の夜、息子に、中華丼を作ってやったのだ。
「パパ」
「なに?」
「これ、なんという食べ物?」
「中華丼、知らなかった?」
「美味しいね」
そういう返事が戻って来るとは思ってなかった。
父ちゃんの得意料理の一つなのに、あれ? 作ってやったことなかったけ?
小さかったから、覚えてないんだな・・・。
「どうやって、こういう不思議な触感になるの?」
「あ、ええと、そのとろみは片栗粉で作るんだよ」
「へー、教えてほしいな。自分でも作ってみたい」
ということで、今日の昼は、ピーマンが終わっちゃったのだけど、冷蔵庫の中に野菜がまだいろいろ残っていたので、玉ねぎ、ういきょう、人参、いんげん、などで作ることにした。
肉や野菜をカットし、フライパンで炒め、適当に味付けをし、最後にミョクマムを入れる。そこに、水で溶かした多めの片栗粉を回し掛けした。
「ほら、とろとろになるでしょ?」
「すごいね」
「このとろみ感がごはんとめっちゃ相性いいんだ。日本だとうずらの卵とか入れるけど、父ちゃんは目玉焼きを載せておいてやる」
こうやって、一つ一つ、父ちゃんのレシピを息子に教えていく。
これはとっても素晴らしいことだと思っていたら、田舎の管理会社から、電話がかかってきた。ゲッ、嫌な予感、・・・
「屋根に昇れません。はしご車が急に壊れたんですよ」
という電話なのだった。なんだとォォォ・・・。
「オタク、今、いるなら、そこの天窓から上がらせてもらえないですかね」
と横柄な管理組合の人・・・
「今、ぼくはいない。パリだよ」
「じゃあ、今日、工事が出来ないから、戻らせます」
「ちょっと、待ったーーーーーーーーーーーーーーー!」
何、言ってんの???
ぼくは管理組合のマダムを必死で引き留めた。
「それは困る。これ以上、天井の染みが増えたら、大変なことになる。鍵を持ってる知り合いに頼むから、工事業者さんにそこで待機してもらってください」
ということで、ジャンの都合もきかず、とりあえず業者を引き留め、ジャンに、電話をした。
「やあ」
といつもの感じで、すぐに電話に出てくれたジャン。安心感のある声・・・。
「あのね、要点を先に言うね」
ぼくはそこから状況を大急ぎ説明した。ジャンは、黙って聞いている。
「オッケー、今、子供と浜辺でドッジボールやってるから、すぐに行ける。鍵も持ってる」
「マジか、いいのか?」
「いいも悪いも、人が困ってるのに、ドッジボール続けられるか? あの美味しい料理のお礼だよ」
彼は笑った。ぼくは泣きそうになった。
すぐに管理会社に電話をし、工事業者をそこで待機させることにした。
ジャンがいなかったら、アウトだった。
天気予報によると、週末、また崩れることになっている。
ぼくは運がいい。最悪なのに、運がいい。
そういう星に生まれたのだ。それが地球、えへへ・・・。
気を揉みつつ、数時間、家で仕事をしながら待機していると、ジャンから、写真が届いた。
「おおおおおお!」
天窓へ梯子が伸びている。これはすごい!!!! はじめてみる世界!!!
工事業者が、そこから屋根に出たということになる。
これは辻家始まって以来の大事件だ。
アポロ11号が月面着陸したくらいのビッグニュースであった。
「さっき、工事が終わったよ」
「ジャン、ありがとう。恩に着るよ」
「いいよ。彼らは帰ったので、ぼくも戸締りをしてここを出るけど、鍵、預かっといていいよね。なんか、この感じだとまた必要になるかもしれない。言いにくいことだけど、キッチンの前にある謎のスタチューも、台風で破壊されていて、そこもいつか工事が入るらしい」
「えええええ」
一応、驚いてみせたけど、もう、実は麻痺していた。
160年前の建物の彫像がいまだに持っていること自体、不思議だった。
「煙突の一部が落下した時に、ぶつかって壊れたんだ。真ん前にあった君の家のキッチンの窓ガラスまで30センチ、そっちじゃない方に、倒れただけでも、君は神に見放されてないという証拠だよ」
すごい、説得力である。たしかに・・・。その通りだ。最悪の手前で持ちこたえているじゃないか、・・・人生をポジティブにとらえよう。
「ジャン。やはり、来週くらいに、一度、顔出すよ。また、飯でも食おうか?」
「いいね。それがいいよ」
「じゃあ、ドッジボールに戻ってくれ。息子さんにも、お礼をいっといてくれ」
「ここにいるよ」
ということで、さりゅー、と声がはじけ飛んだ。ああ、元気な少年じゃないか。
10歳なのだという・・・。
「すまないね、忙しいところ」
ぼくはたくさん、お礼を言った。
夕方、田舎のアパルトマンの管理会社からメールがあり、屋根にビニールシートをかけたから、とりあえず雨風はしのげます、という内容だった。
本格的な工事の日程はまた連絡するとのこと、とりあえず、分からないことだらけだけど、これ以上の染みや崩壊は免れそうだ。
次の日曜日のパリ・ゲリラライブが終わったら、田舎に出かけよう、と思った父ちゃんなのだった。
丁寧に生きていれば、神様はきっと、味方してくれるはずである・・・。
人生を長い目で見つめてやろう。
つづく。