JINSEI STORIES

滞仏日記「誕生日に思うこと」 Posted on 2021/10/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、日本時間で、10月4日を迎えた。
また一つ、ぼくは年を重ねたことになる。
ここまで生きてこれたことを今日、一日、ある意味、感謝しながら、ずっと振り返っていた。
家のサロンの端っこにあるソファに寝転がって、床の方から見上げていた。
掃除機が重たくて、もてないのだ。
10万人以上が亡くなられたフランスのコロナ禍を生き抜いた。
受験生の息子を抱えながら、なんとか、頑張っているし、頑張ってきた。
誹謗中傷もたっぷりと浴びてきた人生だった。何をやっても、ぼくの場合、アンチの方が多い。仕方ない。こういう性格だからだ。
でも、いろいろなことを思い出し、それから天井を見上げた。
「死ぬまで生きたい」と思った。
ちょうど、日本時間で4日になった瞬間であった。
その十秒後、
「死ぬまで精一杯生きたい」
と思い、直した。
そうだ、人間はみんな死ぬのだ。その瞬間まで精一杯生きられるように自分に対して、正々堂々と生きたいと思った。
それが62歳にぼくが最初に思ったことだった。

滞仏日記「誕生日に思うこと」



そのことをとにかく、日記に記しておきたくて、今、これを書いている。
言葉にして、ここに残したい。
あとで書くことにしたら、今のこの瞬間の気持ちがきっと失われ、変更されてしまう。
ぼくは今すぐに書かなければと思った。今すぐに・・・。
「ひとなり、死ぬまで生きなさい」と最初に言ったのは母さんだった。
それの意味が、今、やっとわかったのだ。
ぼくは確かにくたびれている。今、家政婦さんを探している。もう、無理だからだ。
隣の建物の管理人さんに、今度、フィリピンの人を紹介してもらう。いい人らしい。
助かる。もうぼくには時間がない。
数日前、不意にいらだち、握りしめていた料理用のトングを壁にたたきつけてしまった。
こんなに感情的になる自分に、驚いた・・・。
ぼくにできることの限界がある、でも、ぼくは負けたくないのだ。自分に。
けれども、仕事をやりながら、息子を大学に送り出すのに、家のことまで全部出来ない。
しかも、本当にやりたい仕事がちっとも出来ないのが、ストレスの原因なのだ。
子育てのせいでか??? 違う。そうじゃない。



「私には夢がある」これはキング牧師が言った言葉だが、ぼくにも夢がある。
子育てが第一だけど、夢を二番目にはできない。
生きている限り、ぼくは自分にできる限りの作品を作って遺したい。
でも、息子を大学に入れることも大事な人生なのだ。
コロナ禍になって、絶望した時、ぼくは自分にこう言い続けた。
「今まで以上に夢を追いかけようよ。こんな時代だからこそ、諦めちゃいけない。思いつくことを全力でやろうよ。もしかしたら、コロナに罹って死ぬかもしれないのに、遠慮する必要はない。どうなるかわからない世界なんだから、臆病になる意味もないし、子育ても、創作も、可能か限りとことんやろうよ。死ぬまで生きようよ。誰の人生でもない、自分の人生なんだから」



日記に書けないこともある。
自分じゃどうすることも出きない、問題、もかなりある。身体の問題も、心の問題も。
でも、それはみんなあるでしょ。同じです。
それはそれで、置いといて、ぼくはまだ諦めるわけにはいかないのである。
自分がやっていることが正しいとも思わないけど、生き切ることはできるかもしれない。
生き切ってみたいなぁ、と思った。
それが、62歳に、最初に思ったことなので、正直に、ここに記しておきます。
「死ぬまで生きたい」

滞仏日記「誕生日に思うこと」



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