JINSEI STORIES

滞仏日記「凱旋門賞にやってきた武豊さんの自称おっかけさんと夕飯を食べた父ちゃん」 Posted on 2021/10/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、フランス版の台風(防風&嵐ですね)がノルマンディ方面からやってきて、現在、パリは雨、アイホンの天気予報には「注意、雨と洪水の混乱」と出ているのだが、その大変な時期に、2泊3日でパリにやってきた男がいる。
知り合いの知り合いの知り合いなのだけど、何しに、この時期にパリに来たのか、というと武豊さんの凱旋門賞の応援(撮影)のためなのである。
この人、仮にZ氏としておく、(職業国家秘密)、実は筋金入りの武豊ファンで、あらゆるレースを自費で見に行き、600mmレンズ付きの一眼レフで武さんを撮影しまくり、武さんにも気に入られて、武さんがたまに彼の写真をカレンダーなどで使っているようで、おっかけ? とは言えない、ある意味、ファンだが専属カメラマンみたいな存在なのである。



ぼくはもちろん、Z氏とは面識もないのだけど、その彼と食事をすることになった。
というのも、ぼくが使っている日本製のパソコンに不具合が生じ、サクサクどころかトロトロで、スイッチをつけて、文字が打てるまでに、機嫌のいい時で10分もかかるようになってしまったのである。(笑)
なので、ずっと買い替えたい、と思っていたが、コロナ禍で、国に戻れない。その上、グリーンカード(10年カード)の更新時期にぶつかり、マジで、しばらく帰れないのである。
フランスで買えば、と思われるかもしれないが、フランスのパソコンはキーボードの文字配列が微妙に異なるのだ。これがややこしい・・・。
一部の文字の配列だけが「イジメ」のように違うので、ややこしや、・・・打てない。
さすがに日本語を生業にしている者としてはやはり、日本語対応のパソコン、当然、日本製のパソコンが好ましい。
そこで、知り合いの知り合いのお母さんを介し、Z氏に日本製のパソコンをパリまで届けて頂いたのである。あはは・・・
そんな優しい、素敵な人に何もお礼をしないで、日本に追い返すことはできない。
たまたま、凱旋門賞は明日なので、今夜、夕飯ということになった。



「武豊さんのファンなのに、カレンダーに写真が使われてるって、すごいですね。どうやって武さんと知り合えたの?」
あの、と穏やかなZ氏は告げた。
「もともと、写真が好きで撮ってたんですけど、15年くらい前に武さんの写真を撮るようになって、その時期から、急激に腕があがったんです。で、毎年、自費でそれを写真集にして、ご本人に手渡していたら、ある日、カレンダーに採用されて」
「マジ?」
「なんか、武さんの奥さまがぼくの写真を褒めてくださって、それから、オフィシャルでも使われるようになりました。で、武さんの30周年記念パーティというのが東京であって、家族でお招きいただいたら、壁にぼくの写真が大きく飾られていて、それは衝撃的でした」
「凄いですね。武さん、見る目ありますね」

滞仏日記「凱旋門賞にやってきた武豊さんの自称おっかけさんと夕飯を食べた父ちゃん」

※、すげーーー、この写真、かっこええ!! 父ちゃんも感動したわ。



「それからカレンダーとか、いろいろと写真を採用してもらえるようになって」
「でも、あくまでファンなんですよね?」
「おっかけです」
「おっかけで、いいんですか?」
「はい。武さんが落馬されたことがあって、その時、ぼく、泣きました。ソファで泣いていたら、妻に慰められて、必ず復活するから、と・・・」
「・・・・」
「その時は、なんか、ちょっとファンの人も減って、悔しかったです。それでも、ぼくは武さんを撮り続けました。復活はあっという間でした。そしたら、ある日、カレンダーに採用してもらえるようになり、でも、そんなことのために、ぼくは武さんを撮影していたんじゃないんです。武さんが馬に跨る勇姿が好きなんです。だから、ぼくは今でも、武さんのおっかけなんです」
ぼくはZ氏が撮った、武豊さんの写真を見たが、どれも素晴らしった。
ただのおっかけでも、ファンでもない、この人は武豊を通して、人生を見ているのだ、と思った。
素晴らしい写真の数々で、武豊という人を知らないぼくだけど、うるっときたし、Z氏を採用する、この人は素晴らしい人だな、と思った。
「何歳?」
「武さんは52歳です」
「ずっとこれから先もファンなんですね」
「もちろんです。妻には呆れられていますけど、ファンって、流行り廃れじゃないんですよ。武豊は一生、武豊です。ずっとついていくのがぼくの仕事です」

滞仏日記「凱旋門賞にやってきた武豊さんの自称おっかけさんと夕飯を食べた父ちゃん」



はじめて会ったZ氏は余計なことは一切言わない寡黙な男だった。
今日、16区の病院でPCR検査を受け、陰性、が証明され、明日、凱旋門賞を見たら、日本に帰り、自主隔離に入る。←何者???
彼が撮った凱旋門賞の写真はまたいつかカレンダーになるのかもしれない。
「いつ、帰るの?」
「明後日の23時の便です」
「明後日、昼間は何をしているの?」
「何にもないです」
「武さんには会わないの?」
「だから、ぼくはただのファンですから・・・」
「あの、ぼくね、明後日、バスに乗って、ライブやるんだけど、写真家がいないんだよね。Zさん、もし、時間あるなら、写真、お願い出来ませんかね? 僕のおじいちゃんも豊って名前なんですけど・・」
「え?」
Z氏と目があった。次の瞬間、ぼくは笑い出してしまった。Zさんも笑った。
「いいんですか? わぁ、乗りたい。写真、やらせてください」
おお、これは最強の援軍到来である。よっしゃ、凱旋門賞じゃ!!!

つづく。



滞仏日記「凱旋門賞にやってきた武豊さんの自称おっかけさんと夕飯を食べた父ちゃん」

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