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滞仏日記「なぜフランス人は誰もが、ボンジュール、を大切に使うのか」 Posted on 2021/09/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、いつだって、パリに戻って来ると、思うことがある。
馴染みの通りを歩いていると、どこからともなく、
「ボンジュール、ムッシュ~」
と声が飛んでくる。
「ボンジュール」
とぼくは返す。
「ボンジュール、ツジー」
「ボンジュール、ピエール! サヴァ?」
わずか、百メートルを歩くのに、飛び交う「ボンジュール」率の高いこと!!!
フランス人にとって、ボンジュールというのはただの挨拶ではないのだ。
じゃあ、それが何か、今日はそれを突き止めてみよう・・・。

ひとたび、外出すると、最も多く発する言葉がこの「ボンジュール」になる。
見ず知らずの人とパン屋の列で目が合っても「ボンジュール」だし、すれ違いざまに(見知らぬ人であろうと)目が会ったら「ボンジュール」と言い合う。
日本でももちろん「こんにちは」を言うけど、なかなか見知らぬ人には使わないし、使う回数が圧倒的にフランスは多い。
ボンジュール=こんにちはではないことに最近やっと気が付いてきた。
ボンジュールは「ぼくはここにいますよ」とか「ぼくは決して怪しい者じゃないですよ」とか「なんか生きてるのっていいですよね」みたいな、共時的な存在確認みたいな合図で、それは発する相手への思いやりというよりも、自分自身に向けて、許しを与えているような、どこか宇宙的発露を持ったメッセージだったりするのだ。
イタリアの「ボンジョルノ」も似ているけど、イタリア人は自己啓発的な要素もあって、鼓舞するというか、世の中を明るくしたいという超ラテン的奉仕的精神までがそこにこもっているのに対して、フランス人の「ボンジュール」はもっと内向的でささやかに自分へ向けられた他者との距離感を保つ冷静な運動だったりする。
そうだ、ボンジュール=神への感謝、なのかもしれない。

滞仏日記「なぜフランス人は誰もが、ボンジュール、を大切に使うのか」



同じように、フランス人はやたら「メルシー」を口にする。
みんな、口癖のように「メルシー」という時がある。
ちょっとやそっとじゃ、謝らないフランス人だけど、メルシーだけは惜しみなく使う。
パンを買ってもメルシー、おつりを貰ってもメルシー、なんにもしてなくても間違えてメルシーと言ったりする。
ボンジュールとメルシーはそういう意味で似ているんだけど、あるいは、生かされていることへの根源的な感謝行動と言えるかもしれない。
これらの言葉の中に相手への思いやりが入る場合は、発した言葉のニュアンスとか音量がぐんと人間的に強くなる。
「ボンジュ~~~ル」
みたいな、両手を広げて。
ちょっと感情の籠った「ボンジュール」が聞こえてきたら、自分に向けられた友好的なボンジュールであると理解したらいい。どこに向けて言ってるのかわからない「ボンジュール」は共時的な存在確認のレベルで、敵ではありませんよ、という程度の意思表示に過ぎない。

滞仏日記「なぜフランス人は誰もが、ボンジュール、を大切に使うのか」

一番、大事なことを教えよう。
フランスでは、まず会話の冒頭に「ボンジュール」をつけないと答えてもらえないことがよくある。
渡仏間もない頃、会う人会う人に、まず、ボンジュールを言いなさい、と言われ続けた。
どうも、人権にかかわってくるのだろう、とある日気が付いた。
バスの運転手さんなどに路線のことなど聞きたい時に、いきなり質問をしても答えてくれないばかりか、ボンジュールがないよ、と逆にはっきりと指摘されたりする。ボンジュールは「あの、すいません。ちょっと聞いてもいいですか?」という意味もあるのだ。
もう、こうなるとボンジュールはボンジュールじゃない。
人間関係の潤滑油でもある。
シルヴプレ(please)、だけではだめで、必ず、ボンジュール。
これはフランスを旅行する時に非常に大事なことになるので、覚えておいてもらいたい。
逆に、ボンジュールを言わないでいきなり何かを聞いて答えてもらえなくて、差別されたと言い出す旅行者もいる。
ボンジュールはこんにちはではない、相手を敬う、人権の国の礼儀作法なのである。

滞仏日記「なぜフランス人は誰もが、ボンジュール、を大切に使うのか」



「いや、ちょっとパパはおかしい。普通、ぼくなんかには誰もすれ違いざまにボンジュールとは言ってくれない。パパは、ボンジュールを言うぞ感が半端ないから、みんな目を合わせたら逃げられなくて、変な日本人だな、という好奇心も手伝って、仕方なくパパにだけは笑顔付きでボンジュールと言ってるんじゃないか。パパはみんなに共感を押し付けているんだ。幸せをばら撒いていて、まぁ、それは悪いことじゃなくてね、面白いおじさんってことだよ」と息子に言われたことがある。
なるほど、一理ある。
しかし、ぼくにはこの誰にでも「ボンジュール」と「メルシー」を言う文化が性に合っているのだと思う。
そうしていると、一日、気分がいいからだ。
だから、
「君は朝起きたら、おはよう、くらい大きな声で言うべきだ。自分の一日を朝から台無しにしている君は、間違いなく、大馬鹿野郎だ」
と息子に言っておいた。
「ボンジュール。よい、一日を」

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