JINSEI STORIES
リサイクル日記「ストレスを抱えないための、父ちゃんが守る3つの鉄則」 Posted on 2022/07/24 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、つまり、人間はストレスに殺されるのだ。これは明らかだと思う。
人が身体の不調を抱えるのはストレスを我慢するからである。
ストレスのせいで身体が持たなくなる、とぼくはずっと信じてきた。
ストレスに殺されることくらい人間として最悪なことはないが、そのストレスを人は自ら招き入れてしまっている。
ここを改善というか、変えることが可能なら。ストレスは小さくなる。
とっても簡単なことだけど、それが簡単じゃないのは、社会との関係性の問題であろう。
でも、ストレスをなくす方法は必ずある。
ストレスのない人生を手に入れることを望むなら、多少の生活改善、人間関係の変更は覚悟するしかない。
ストレスというものは必ず、人間が持ち込んでくるからだ。
ストレスの理由は、当然、自分にもあるが、大部分は、他人である。
けれどもこの現代、他人を排除して生きることは難しい。
他人を排除して仕事をすることも難しい。お付き合いをしなければならない人たちがみんな優しい人たちであるわけがないので、必ずストレスが生まれてしまう。
ぼくは多分ストレスの少ない方の人間だと思う。
どうやってストレスのない生き方をしているかというと、三つの鉄則を守り抜くからだ。
1、
自分が我慢しないとならないことには絶対手を出さない。近づかない。
2、
頭を下げないとならない人間関係には所属しない。関わらない。
3、
自分の人格を否定されるような構造社会には絶対近づかない。
これだけ心掛けることができれば、実はストレスは生まれないのだ。
我慢しないとならない仕事の依頼、友だち関係には手を出さない。
人間には元来、頭を下げないとならない理由なんかないので、相手がそれを強要してくるなら、その瞬間に、即座に離れる。
心から尊敬できる人には自然と頭が下げるので、それは別だ。
人権を否定してくるような場所では働くこともしないし、そういう人間グループには絶対参加しない。
たったこの3つだ。
これを実践できれば、ストレスは間違いなく、遠ざかる。
この実践で人間はストレスの95%以上を排除することが出来る。
それを実践するために仕事や人間関係の変更が必要になり、お金がなくなったり、孤独になったりするかもしれない。
ぼくはそれでいい。
孤独上等である。
ストレスで自分を苦しめるようなお金や人間関係は必要ない。
多少、貧しくても、穏やかな一生を選びたい。
しがらみを排除すること、これができれば、もう大丈夫。
できなければ、ストレスは消えない。当然のことである。
割り切る力を持つ、一生をものすごく長いスパンで考えて、軌道修正をするのだ。
一生はだれのものでもない、自分に与えられた一番尊いものだと信じている。
こう書くと、必ず、あなたみたいに生きられない、と言ってくる人いるのだけど、・・・そこだよ、結局、じゃあ、なんもやらないで指くわえてるのか、っちゅうことになる。
どんなやり方でも方法はある。
卑屈になって、世の中の全否定がもっともいかん。
言っとくがぼくだって、食えなくなる時もあったし、どん底に近い時期も何度か味わっている。メディアに干されたことも何度かある。
人に言えない努力は見せないけど、自分らしく生きるために、抵抗をしているし、なんやかや、結構やってる。
日本の美徳風習だと思うが、「すいません」とまず謝ることから、物事が始まる場合がある。
「ごめんなさい」となぜか最初に謝ってから他人との関係を築いていったり。
ぼくには、出来ない。自分に非がないのに、ごめんなさい、と言って、物事を始めることができない。
自分に非がないと思うのに謝るからストレスになるだけのことだ、と気が付いたら、結局、ストレスは減った。
だから、辻は、生意気だと言われ続けてきた。でも、それが普通だと思う。
今、ネットで話題になっている、口汚い人格を否定するような言葉は、ぼくは苦手だし、ぼくから人を否定することは滅多にしない。興味もない。
他人のことをとやかく言う暇がないのだと思う。
「へりくだる」とは、「相手を敬って自分を控えめにする。謙遜 する。 卑下する」という意味を持つ日本独特の言葉だが、これに当てはまる言葉が、そういえば、欧州には、ない。
この言葉は時に自分を低くして、使われる。
自分自身を貶めることで相手をあげる言葉だけど、状況によっては自分を卑下する感じにもなる。
ぼくは若い時から、これを使わないことにして生きてきた。
相手がどんなに偉い人であっても、同じ人間なので、自分を貶めることは、相手にも失礼だと思ったからだ。
だからぼくは自分らしく生きることのできる職業を探し、その中で、控えめに生きている。
え? どこが控えめかって?
たしかに、( ^ω^)・・・。
しかし、他人の人格を否定しないところが、ぼくは、ぼくらしい生き方だと思っている。
それはいつか、いろいろな意味で、自分にも返ってくることだから、である。