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滞仏日記「今日は手巻きの日。会話はないけど、心は通じるの巻」 Posted on 2021/09/02 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、行きはよいよい帰りは恐い、ということわざ(?)があるけれど、今日、キャリーバックを引っ張って、スーパーに買い物に行ったのは先の日記で書いた通り。
行きは空っぽなので軽いから問題はないのだけど、帰りはキャリーバックが満杯になるので、死ぬほど重い上に、うちはエレベーターがないので、4階までその重たいのを引っ張り上げないとならない。
しかも、螺旋階段。(´;ω;`)ウゥゥ
これが重労働なのだ。普通に4階まで階段を上がるのも大変だけど、重たい荷物(ワインが四本も入っている)を抱えて登るのは地獄のような厳しさである。
しかし、パリのアパルトマンはまだいい。田舎のアパルトマンはもう1階上の5階で、エレベーターがない。笑うしかない。
築120年と築160年の建物に住むというのはこういう苦労が伴う。しかも、今日、壁の一部がはがれ落ちた。(大家にまた文句のメールを出した。いつかぼくはこの家の下敷きになるね、と嫌味も書いて。水漏れは3年経つけどまだ直ってない)

滞仏日記「今日は手巻きの日。会話はないけど、心は通じるの巻」



毎日、ランニングに出たり、カフェに行ったり、買い物したり、散歩したり、ぼくは一年中、階段を上り下りしているので、悪いが、足腰はその辺の還暦の方々よりもうんと丈夫だと思う。
なので、あえて、エレベーターのない家を選んでいるのだ。←嘘です。
ともかく、今日も重たいのをあげないとならないので、下から、一応、息子にSMSで「いるなら、手伝ってくれないか」とメッセージを送ったけど、返事無し・・・。
いないのかもしれないと思って、ふーふー、いいながら上まで登ると、彼の部屋から歌声が聞こえてきた。いるんじゃーん、・・・。
一昨年(?)、林真理子さんと桐野夏生さんがやってきたけど、ふーふー、言っていた。それを毎日、何往復・・・人生というのはまこと、大変なものである。
なんで、こんなに苦しい人生を選んでいるのだろう? ←???



階段の上り下りも大変だけど、家事というのはもっと大変で、これを止めることはできない。
ぼくがこうやって生きていられるのは、買い物をして、食事を作って、片付けをするから、生きていられるのである。
何にもしなければ、ぼくも息子も餓死をしてしまうだろう。
人生というものは、理屈ではない。
目の前にあることをこなして、死ぬまで生きることが、人生なのだ。
なので、ぼくは今日も頑張って、生きている。
ちなみに、今日は手巻きの日と決めて買い物をしたのだけど、手巻き寿司にしようと思っていたら、メキシカンのファリータスが目に留まり、ビールが次に頭の中に浮かび、メキシコ風の手巻きにすればいいじゃん、となった。
息子は出されたものはなんでも食べる。
彼は一度も食べ物に文句を言ったことがない。それは、偉いと思う。
好き嫌いもない。食べ終わったら、自分が使った皿は洗って、食洗器に片付けている。



しかし、会話がないのである。今日も途中まで無言であった。
ファリータスに入れるものは、チキンと牛肉をパプリカとクミンで炒めたもの、手作りの
ワカモーレ、トマトで作ったサルサソースみたいなもの、コーン、などなど。お皿にファリータスを置いて、上にこれらの具をのせて、タバスコとか、辛いのを足して、巻き巻きして食べるのだ。
ともかく、この辛さが、ビールにあうのだ。美味い。
しかし、同時に、会話のないメキシカンくらいつまらないものもない。
お皿にファリータスを置き、具をのせて巻いて食べる。
手巻きにしたかったのは、こういう料理ならちょっと打ち解けて会話が生まれるかな、と思ったからだったが、息子は黙々と食べていた。
あまりに会話がないので、ぼくは途中で食欲をなくした。
「学校、いつから?」
「金曜」
これで、会話は終わりである。

滞仏日記「今日は手巻きの日。会話はないけど、心は通じるの巻」



すると、息子が不意にファリータスを一枚皿に載せたかと思うと、立ち上がってキッチンに消えた。食べ終わったなら、新しいファリータスを載せるだろうか?
なんか、料理をしているようだ。10分が過ぎた頃、息子がビニールの袋と二枚の皿に何かを載せて戻ってきた。
それをぼくの前に置いた。一枚の皿にはカリカリベーコンが十枚くらい。もう一つの皿にはファリータスが、しかし、その中ほどでチーズがとろけている。
チェダーチーズらしいが、見たことがない。ぼくが買ったものじゃない。
袋を見ると、英国製である。
息子は、チーズの上にベーコンを載せた。
そこにサルサソースと牛肉を載せ、コーンをばらまいて、まるめて噛り付いた。
食べながら、チーズの袋を指さした。食べていいよ、という合図のようだ。
「どうしたの、これ?」
「買った」
「うまいの?」
「うん」
食べ終わると、同じことを繰り返していた。オリジナリティは認めたい。
しかし、手巻きメキシカンは親子を繋ぐ上で成功したと言えるのだろうか、とぼくは思って苦笑した。
せっかくだから、やってみようかな、と思った。
「チーズはどうするの? オーブン?」
「レンジ」
「ああ。なるほど。だから早いんだ」
しかし、会話はそこまで・・・。
息子は黙々と食べて、ファリータスを8枚くらい食べきると、
「ご馳走様」
と言って、自分が食べた皿を一枚、そして、チーズの袋も掴んで、キッチンに消えた。
ぼくは残った肉や野菜を明日、どうやって、二次使用するか、考えながら、ビールを胃に流し込んでいた。
せっかくだから息子が焼いたベーコンを一枚手でつまんで、齧ってみた。
ん? うまい。
ビールにあうじゃないか。

つづく。

滞仏日記「今日は手巻きの日。会話はないけど、心は通じるの巻」



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