JINSEI STORIES
滞仏日記「たとえ父親失格でも、ぼくだって生きてるのだ、命は洗濯する」 Posted on 2021/08/15 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくがキャリーバックにたくさんの食糧を詰め込んで歩いていると、
「やあ、ツジー」
とピエールに呼び止められた。
誰にも見せられない、ひどい姿なのである。
自撮りの時のすました父ちゃんじゃない、ぼろぼろ、本当にもう恰好とか気にしないから、すれ違っても誰も分からないレベルなのだ。マジで・・・。
「どこにも行かないの?」
「いや、行くけど、育ち盛りがいるからね、ぼくには自由がない」
「それじゃ、身が持たないよ」
「分かってる」
これは7月の中旬の会話である。でも、このやり取りがずっと心に残って、そのことを考えていた。去年はロックダウンでずっと家の中だった。これは、心労にもなるね。
「ピエール、君はどこかバカンス行くの?」
「娘たちは元嫁と半々で面倒見ているから、半分は自由バカンス。その点、辻は一人で全部だもんな、そりゃあ、疲れる。お気の毒に」
そんなこと思ってないくせに、なんで、笑ってんだよ。←被害妄想気味なのだ。
夏の間、ずっと家に籠っていたが、ぼくは一人旅に出ることにした。
息子は友だちと旅に出る計画を持っていたが、よく知らないけど、どうやら、それは流れたらしい。
一応、息子の旅の期間に合わせて、ぼくも旅の計画を練っていた。
二人で旅してもいいのだけど、この間の件があってしこりがぼくの中には残った。
今は一緒に旅をしたくない。
ぼくだって、生きているのだから、息子に一年中気を使って、これ以上、ぼろぼろになりたくない。
冷たい人と言いたい人はどうぞ。失格の父親だとは思うが、ぼくも人間なんだから、自分の人生を大事にしてもいいのじゃないか。
主夫だって、休んでもいいんじゃないか、と思うことありません???
※赤ワインをいっき飲みしているおじさん。豪快であった。店に立ち寄って、わずか一分の出来事。
もう、あの子は大丈夫だ。ここまでちゃんと育てた。
あの子はグレないし、きちんと自分の人生を考えている。
何より、自分で判断をする。
ちょっと子育てと家事からぼくも解放されたい。
来週、パリに人が戻って来る。田舎が静かになるので、地球カレッジが終わり次第、ぼくはパリを離れ、夏休みに入る・・・。
ぼくは料理担当じゃないし、この家の掃除係でもない。
料理の仕方などは、だいたい教えたので、学校もないのだから、自分でやればいいのである。ぼくにも、魂を洗濯する休暇が必要なのだ。わかります? 命だって、洗濯しないと、汚れていくものなんですよ。
「青空の休暇」という小説を思い出した。そう、あの世界・・・。
ただ、彼がここに一人残ると、管理人もいないし、今は建物に住人がいないので、ちょっと防犯という意味では危険かな、と思い、最新の防犯システムを買った。
今日、それが届いたので、古い監視カメラ2台は引退させ、最新鋭のに付け替えてみた。これが凄かった。
まず、誰かが玄関のドアをあけると、ぼくの携帯が鳴り、通知が来て、携帯の画面に映し出される仕組み。しかも、その部分が録画されている。
しばらく画像が残る仕組みで、過去を遡って、監視できる。
カメラの周辺を通過するだけでも、録画もされる。夜で真っ暗でも、鮮明に映るし、カメラを通して、不審者に警告を発することが出来る。
「泥棒さん、やっほー。こっちだよ。あなたは録画されているよ。警察に通報すっからね」
と言えば、逃げていく。
自分でカメラの前を、こそこそ歩いてみたり、扉を開けて泥棒の真似をしてみたり、いろいろとやったけど、マジ、完璧であった。
証拠は警察に提出できる。きっと、日本でも売ってるとは思うけど、これはアレクサンドル君の家や、息子のクラスメイトたちの家では標準装備となっている。
ママ友のリサは、それで、この間、遠方にいたのに、泥棒を追い返すことに成功している。
ところで、行きたいところは特にはないのだけど、人のいない集落とかを車で巡ってみたい。運転は好きなのだ。
岬の突端にある灯台が昔からなぜか好きなので、灯台巡りとか、楽しそうだ。山に行くのもいいかもしれない。アルプスとか・・・。
デルタは怖いので、人のいないところを目指す。
ギターを弾いて、太陽が沈むのを見送る。そういう旅でいい。
この日記でも書いた通り、体重も落ちて、心労も大きいので、ちょっとぼく自身、自分の人生を取り戻す必要があるのだ。
日記には書かない、書けない問題も実はたくさん抱えている。
今、住んでいるパリのアパルトマンは息子の試験が終わり次第、解約し、小さな事務所を一つ、それから、パリには、ぼくひとり寝泊りできる部屋があれば十分だ。
すでに探し始めていることについては、昨日の日記で書いた通り。
息子は田舎の大学に行きたいそうだから、多分、地方大学を受験することになる。彼らしい選択だと思う。
そういう、未来がお互い見えてきたので、ぼくは「サヨナライツカ」じゃなく「サヨナラパリ」を目指す。田舎が自分にはあっている。