JINSEI STORIES

滞仏日記「辻君、I LOVE YOU,I NEED YOU,I WANT YOUなんだよ」 Posted on 2021/08/14   

某月某日、静かなパリ。息子と二人、何もすることがない。
息子とはその後、ま、なんとかうまくやっている、というか、当たり障りなく、過ごしている感じ。
お互い、様子を見てる???
ランチの時間になり、冷蔵庫を覗いた。何にしよう。買ったはいいけど、使わずに冷蔵庫で期限切れになっていくもの、というものがある。
今日だと、生ハム、鶏肉、卵、きゅうり、チーズ、なるほど、そんなところか、おっと、冷蔵庫には入ってないけど、食パン、しかも買ってから一度も食べられた形跡がないものもあった。
で、父ちゃんの料理部門の頭脳が考え出した答えが、アメリカン・クラブ・サンドイッチ!
息子君は、ゆで卵が嫌いなので、卵焼きのようなオムレツにすればよし。
鳥はグリルし、きゅうりは唯一の野菜なので、ふんだんに使った。で、フライド・ポテトも添えて、完成したのが、こちら! えへへ。

滞仏日記「辻君、I LOVE YOU,I NEED YOU,I WANT YOUなんだよ」



実は、アメリカン・クラブハウス・サンドには思い出がある。
ぼくが生まれてはじめて、母さん以外の人から習って、料理らしきものを作ったのが、このアメリカン・クラブハウス・サンドなのであった。
17才の時、ぼくは函館の西部地区(旧市街)に住んでいた。
観光地で有名な十時街電停のちかく、裏路地に、「銀座」という名前のレストランがあった。
結構、当時(1978年とか???)としてはかなりモダンな店だった。
ある日、その前を歩いていると、店の前に椅子を持ち出し、段ボール箱相手に、エアードラムのようなことをやっているお兄さんがいた。
シェフ帽をかぶり、料理人の格好をしているのだけど、どうも、昔、ドラムをやっていた風・・・。
目が合った。にやけた顔で、よ、元気、と言われた。
「あ、はい」
「西高の子?」
「あ、はい。ドラムやってたんですか?」
「うん、昔ね」
「ぼくもバンドやってます」
「へー、そうなんだ。ちょっと寄って行けよ。腹減ってないかい?」
と言って、店の中に引っ張り込まれた。



広い店だけど、どんつきにカウンターがあり、その向こうがキッチンだった。
夕方だったから、まだお客さんは誰もいなかった。というか、お客さん、その店で、見たことない、笑・・・。
ぼくはカウンターに座らされた。
で、シェフはなんか作り出した。
それがアメリカン・クラブハウス・サンドだったのだ。
「ほら、喰いな。お腹いっぱい食べたらいい」
「え? 凄い。豪華ですね。これ、いいんですか?」
それは背の高いサンドで、中に具がいっぱい入っていた。
アボカド、ゆで卵、チキングリル、ハム、焼いたベーコン、レタス、チーズ、なんかもっと入っていたと思うけど、どうやって食べていいのか、分からず、というか、ぼくは学生服だったし、レストランなんか一人で入ったこともなかったので、めっちゃ緊張していたのである。
「どうやって、食べるんですか?」
「掴んで、がぶっと、噛り付く。アメリカ人のように」
その人は優しい笑顔で言った。
山さんという名前だった。山さんはぼくのことを
「辻君」
と呼んだ。
パンがちゃんと焼いてあって、カリカリでベーコンやグリルされた鶏肉の香ばしさに、マヨネーズとケチャップとマスタードの三位一体ソースがやばかった。
シャキシャキのレタスとか、とにかく、その触感とボリュームに圧倒されたのを覚えている。
「美味しいです」
「だろ」
山さんとはそれが縁で親しくなった。彼は若い頃、バンドマンだったのだ。
だから、いろいろと教えてくれた。
特に忘れられないのは、
「辻君、ロックンロールの基本は、8ビートだよ」
山さんに、8ビートを教えてもらった。それはリズムなんだけど、ようは生き方みたいなもので、縦に人生を刻んでいく、まさに、人生の刻み方みたいなものだった。
「ずずちゃちゃずずちゃ、ずずちゃちゃずずちゃ。やってごらん」

滞仏日記「辻君、I LOVE YOU,I NEED YOU,I WANT YOUなんだよ」

※ 17才の時のぼく。真ん中にいる、ちょっとつっぱっているのが、ぼくなのだ。柔道部だった。ダウンタウンブギウギバンドのファンだった。宇崎さん、最高。



学校帰り、「銀座」の前の歩道で、段ボールをぼくは叩き始めた。
「8ビートが出来るようになったら、次は、I LOVE YOU,I NEED YOU,I WANT YOUなんだよ。わかる?」
ぜんぜん、分からなかったけれど、ぼくはそういう押しつけがましいパワーが好きだった。理屈じゃなく、そうなんだろうな、と思ったものだ。
でも、不意に呼び止められて、サンドイッチをご馳走になり、それがぼくの人生に大きな影響を与えることになるのだから、人の出会いというものは不思議である。
そして、ぼくはいまだに音楽活動を続けているし、料理もやっている。
今日は息子に、山さん直伝のアメリカン・函館風・クラブサンドイッチを作ってやった。
「函館の味だ」
「・・・」
山さんは、函館の大きなホテルの支配人をやっていたけど、その後は連絡とりあってないので、今、どうしているかわからない。でも、きっと、
「I LOVE YOU,I NEED YOU,I WANT YOUなんだよ」
と誰かに説教をしているのじゃないか、思う。めっちゃ若かったし、いい時代だった。
8ビートは今もぼくにとって、大事な生き方なのである。



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