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滞仏日記「食いしん坊カフェとミニチュアダックスフンドにやられて」 Posted on 2021/08/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、夕方、カフェで知り合いに紹介されたK君とお茶をした。
ちょうど、昼食と夕食のあいだ、3時のおやつの時間だったので、悩みに悩んで、カフェ・グルマンを頼むことにした。
訳すと「食いしん坊カフェ」とでもなるのだろうか? 
小さな数点のお菓子とエスプレッソ・コーヒーのセットで、ぼくはたまに注文をする。だいたいどこのも一つのプレートに載っている。
いろいろと食べたいけど、ちょっとずつがよくて、みたいな贅沢な気分の時に、でも、まるごとケーキとコーヒーだと重いなぁ、という時なんかに、最適である。
そして、これが、今日、ぼくが頼んだカフェ・グルマンだ!

滞仏日記「食いしん坊カフェとミニチュアダックスフンドにやられて」



中がとろけているチョコレートの焼き菓子(モアルー・オ・ショコラ)とグラノーラがけのヨーグルトとフランボワーズソースがかかったパンナコッタとティラミスの4種類の小さなデザートとエスプレッソのセットである。
店によってセットの中身が違っている。同じ店でも、日によっても違う。
昨日も、実は別の店で食べたのだけど、ちなみに昨日食べたカフェ・グルマンは、ワッフルとクレームキャラメルとクレームショコラと生クリームがのったクレープのセットだった。
美味しかった。
値段は様々だけれど、ケーキ+コーヒーよりは少し、安い。お得だが、贅沢ということで、グルマンなのである。
K君はテ・グルマンを頼んだ。
そう、その通り、紅茶+お菓子セットで、こちらはカフェ・グルマンより更にちょっとだけ高かったりする。
ちなみに、ぼくはコーヒー党だから、カフェ・グルマンに付帯するエスプレッソだけでは足りないので、食べ終わった後に、アロンジェ(アメリカンコーヒーみたいな、お湯で薄めたやつ)を追加、注文するのだ。



で、K君は犬に詳しい友人で、ぼくは犬を飼ったことがないので、どうやって子犬を見つけて、飼えばいいのか、などなど、犬問題を相談したのだった。
彼の知り合いの知り合いにブリーダーがいるというので、情報収集を兼ねて、会うことになった。
「で、辻さん、最初に言っておきますけど、犬を飼うのは、車を買うのとはわけが違いますよ」
「もちろんです。でも、よければどう違うのか、教えて」
「犬は躾けないとそこら中で、うんちやおしっこをするし、発情期とか、去勢とか・・・。何から何まで、生き物と向き合うことは、息子さんと向き合うのと変わらないくらい大変になります。ただ、可愛いというだけだとぼくはおススメしません」
と結構、最初にガツンと言われてしまった。
想像もできず、いきなり、つまづいて、転んだ父ちゃんだった。



コーヒーをお替りし、ぼくは質問をした。
「発情期ということは、メスとかオスとかで、ぜんぜん、違うということですね」
「そうです」
「そこまで想像してませんでした」
「躾けが出来ないと、犬は家の中でおしっことかしちゃいますから、厳しく教えることが必要ですけど、甘やかせませんよ。でも、一度、躾けると絶対家ではおしっこをしなくなります。すると、膀胱炎になる子も出てきます」
「マジですか? 膀胱炎って、わんちゃんはどうやって、飼い主に自分が膀胱炎だって教えるんですか?」
「血尿が出るんです」
わ、そんなの、可愛そうで、無理だ、と思った。
ぼくはその時、すでに半分、犬を飼うことを、諦めかけていた。いや、諦めていた。
「可愛いだけじゃ、飼えないですね」
「ええ、そうです。だから、よっぽど悩んでください。だから、ぼくは最初から、いい話しはしたくないんです。毎日、散歩に連れていかないとならないし、辻さんが日本に行く時は誰かに預けないとならないし、手がかかります。大丈夫ですか?」
「自信がなくなりました」
ぼくは3杯目のコーヒーに口を付けた。

滞仏日記「食いしん坊カフェとミニチュアダックスフンドにやられて」



K君の知り合いのブリーダーさんはパリから200キロくらい離れたところで店というか犬の牧場みたいなのを経営している。
その写真をいくつか見せてもらった。
「こういう場所に行って、ブリーダーさんと話しをして、出会うためのいろいろなプロセスを通過し、ステップを踏んで、最終的に、見つけたわんちゃんが辻さんのところに来ます。で、ぼくの知り合いは頼めば、数か月、犬の躾けまでやってくれますし、そこは犬のホテルのようなものもやっているので、辻さんが日本に行く時は預けていくこともできます。ちょっとパリから離れていますけど、でも、環境はばっちりです」
「いいですね。そういう誰かの知ってるところじゃないとちょっと無知な自分には無理かな、と思ってきました。もっと、簡単に考えていたんですよ。ペットショップに行って、一目ぼれしたワンちゃんをその場で買って、サインして、引き取って、育てる、みたいな」
「うーん、ぼくは買うという感覚が嫌いで、犬を授かると考えています」
「あ、ぼくも、もちろん、そう思っていました。出会いだろうなって」



「お金で売り買いはしますけど、もっと大事なところで繋がっていくものはお金で計算できないと思うんです。でも、知りたければ、相場を教えることもできます」
「ええと、知っておこうかな」
「OK。ちなみに、辻さんが探しているような小型犬だと、1500ユーロくらいからがこちらでの相場かな、と思います。一応、現実をお伝えしておきますね」
「はー」
犬の値段とか考えたこともなかったので、現実的な数字が目の前に出てきたことで、何か怖気ずつものがあった。
「どこか、知り合いのところで生まれたワンちゃんを分けてもらう、ということもいいと思います。実はぼくが飼ってる子は、そうやって、友だちから譲り受けた子です。その子のお母さんがある日、9匹生んで、その1匹をぼくが授かることになったのです」
「あ、それ、いいですね。でも、そういう知り合いいないし、いたとしても、お互い、気が合うか、わかりませんよね・・・」
すると、K君、携帯を取り出し、ぼくに1匹のワンちゃんの写真を見せてくれた。
「これ、ぼくの知り合いのブリーダーさんのところでこの前、生まれたミニチュアダックスフンドです」
「えええええええええ!!!!!!!!!」
ぼくは息をのんだ。きゃ、きゃ、わいいいいい。

滞仏日記「食いしん坊カフェとミニチュアダックスフンドにやられて」



「この子を紹介してください」
「え? マジですか?」
「いや、運命を感じました」
K君が笑った。
「残念だけど、この子はすでに誰かに引き取られていると思いますよ。この写真が送られてきたのが、7月のことだし・・・」
「わ、そうなんだ。そうか、残念だな。全部を乗り越えても出会いたいと思ったのに」
「でも、きっとまたチャンスはあると思います。焦らず、運命の出会いを待ちましょう」
ぼくは二枚目の写真で、さらにハートを射抜かれてしまうのだった。きゅーん。

つづく。

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