JINSEI STORIES

滞仏日記「徒然なるままに、コロナの時代に、この先のことを考えた」 Posted on 2021/08/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、一昨日も昨日も飛行機やヘリコプターがやたら飛んでいて、なんだろうと思っていたが、オリンピックの閉会式に次の都市であるパリが紹介されたようで、その練習と本番だったことが今日、やっとわかった。
うちの上をジェット機が飛んでいくのが見えたのは、まさにそれだったのだ。
そして、東京・オリンピックは終わった。次は3年後、パリ・オリンピックということになる。さぁ、パリはその頃、どうなっているのであろう。
ぼくは感染拡大のことが気になったので、オリンピックの最中も応援より、その後の世界の心配ばかりしていた。
一方で、アスリートの方々の奮闘から元気を貰えたのも事実で、複雑な二週間だった。
でも、オリンピックは勝負なので戦えば結果が出る。しかし、感染症というのはその瞬間には結果がわからない。
だいたい、最近のぼくは日々のデータから、二週間後の世界を想像して生きている。

滞仏日記「徒然なるままに、コロナの時代に、この先のことを考えた」



ワクチンの接種がスムーズになってくれば、そして、塩野義製薬などが年内承認申請を目指しているというコロナ治療薬などが世に出るようになると、日本(あるいは世界)の感染は抑えられる方に向かうのかもしれない。
ただ、一つ思うのは、あまり暗く考えすぎるとそもそも自分が辛くなり、壊れるので、楽しむ時は笑い、注意すべきことにはびしっと抑え込んでいくという二重の考え方生き方で日々、しのいでいくしかない。
危険なもの(場所)には近づかず、でも、楽しいことを否定しない毎日だ。
冷静な安全確保と、自分を上手に開放するタイミングのバランスを考えて行動をする、ということに尽きるだろう。



今日、体重計に乗ったら一キロ体重が戻っていた。
昨日はきちんと食べることが出来たので、素直に身体が反応している。
よく眠れるようになったし、ちょっと吹っ切れてきたのかもしれない。
短い人生なのだから、なるようにしかならないし、思い通りにはできないのが当たり前なのだ、と自分に言い聞かせ、全部受け止めて、楽しんでいく、と決めたら、身体が喜んでいるようだった。
今日は昼過ぎ、筑前煮を作りながら、これから先、毎日、何を目指して生きていこう、と自分に問いかけて過ごした。
筑前煮はうちの両親の故郷の味なので、息子には小さい頃から作って、食べさせている。
今日は大きな蓮根が手に入ったので、蓮根を中心にした筑前煮となった。



具材を炒めはじめた頃に、醤油が切れていることに気が付き、近くのアジア食材店に醤油などを買いに走った。
火曜日だというのに、まるで日曜日のような静けさであった。醤油を抱えて家に戻る途中、高齢の老夫婦と目が合い、なぜか彼らの前で、立ち止まってしまう。
ボンジュール、と声をかけられた。なんで、立ち止まったのだろう? その時はわからなかった。
「あなたは日本人ですか?」
正直、日本って顔に書いてるわけじゃないし、中国の人も韓国の人もいるのに、なんで、そう聞かれるのか、不思議に思った。
「何で、日本人ってわかったんですか?」
「歩き方かな。私は昔、古文とか中世の日本の随筆とかを勉強して、日本で学んだことがあるんだ」
といきなり、その人は、言った。
「アジア人は腰の重心の置き方が、それぞれ違っていて、歩き方でわかる」
へー、ぼくの歩き方、今度ちょっと注意してみてみなきゃ。
言われてみたら、確かに、そうかもしれない。
「日本人って、独特の歩き方をしているんだよ。割と、徒然なるままに歩いてる」
「え? 徒然なるままに? それ、どんな風に?」
「ヨシダケンコー」
「え? 徒然草ですか?」
ほえーーーー、そんなの考えたこともなかった。
「気づかないかもしれないけど、私は歩き方でアジア人を見分けている」

滞仏日記「徒然なるままに、コロナの時代に、この先のことを考えた」



すると横にいた奥さんが、
「この人、いい加減なことを言ってるのよ、気にしないで。あなたが日本の醤油を抱えているから、言ったのでしょう」
ぼくらは笑った。でも、キッコーマンはもはや世界的な会社だから、使ってるのは日本人だけじゃないはず、・・・。
そのご老人は携帯を取り出し、たぶん、古い日本語の文を見せてくれた。研究者だと言った。
日本語は話せますか? と続けて訊いたら、読めるけど話せない、と奇妙なことを言った。彼の携帯を覗くと、あ、ほんとうだ。徒然草の冒頭である。ぼくには到底読めない筆文字であった・・・こんな街角で、・・・。何者?
〈つれづれなるまゝに、ひぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ〉

「お二人、仲がよろしいんですね」
「ああ、徒然なるままに、60年ほど一緒に生きてるよ」
ご老人がそんなことを言った。ぼくは慌てて追いかけて、写真を撮った。名前を聞くべきだった、とあとで後悔をするのだけれど、また、会うかもしれない・・・

滞仏日記「徒然なるままに、コロナの時代に、この先のことを考えた」

地球カレッジ

滞仏日記「徒然なるままに、コロナの時代に、この先のことを考えた」



家に戻り、筑前煮の続きを作りながら、さっき、自分への問いかけ「これから先、毎日、何を目指して生きていこう」の答えが、吉田兼好にあったことに気づかされた。
「とくにやることもなく退屈で、どうしていいのかわからず、一日中、心に浮かんでは消えるとりとめもないことを、なんとなく、こうやって書いていると、なんだか変なくらい狂おしい気持ちになるんだ」という訳でいいかどうか分からないけど、そういう感じなのかな。
それはまさに、毎日の自分と相通じるものがある。
なんで、あの老夫婦にあそこで会ったのかも、謎だけど、だいたいいつも、そういう出会いばっかりだから、驚くことでもない。
意味がある人はまた、ぼくに次の意味を伝えに現れるだろうし、現れなくても、ぼくは徒然なるままに書き続けるに、間違いはない。
徒然なるままに生きるとか、徒然なるままに食べるとか、徒然なるままに愛するとか、全てに、この言葉が当てはまるんだ、と思うと、いと、おかしかった。
この先のことを考えようとしている自分はそれはそれでよくて、でも、徒然なるままに、今日を生きることの中に、明日のヒントがあるのだ、とぼくは思うのだった。

追記。原爆投下から76年なんだなぁ、とそういえば、考えていました。

滞仏日記「徒然なるままに、コロナの時代に、この先のことを考えた」



自分流×帝京大学