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滞仏日記「息子はやっと部屋を片付け、ぼくには驚くべき手紙が届く」 Posted on 2021/07/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、息子にSMSで、部屋を掃除しないと虫がわくぞ、と送ったら、わかったから、という生意気な返事が戻ってきた。
「お小遣い来月いらないのか? 部屋の片づけやらないならお小遣い無し」
とSMS送ったら、
「わかったから」
と返事が来た。
昼にパスタを食べていたら、息子がぼくの顔をじっと見ているので、掃除したのか、と訊こうと思ったら、先に、
「わかってるから、もう言わないで」
と言われた。やれやれ。
「わかってるならやれよ」
小言も出る。
「だから、わかってるって、ちゃんと片付けたよ」
家族って、本当に大変なのである。
気分を変えないとノイローゼになる、ってか、もうなってるけど、散歩に出かけた。
コロナ禍だけど、世界は美しい。
いったい、何がこの世界に起きているのだろう・・・。

滞仏日記「息子はやっと部屋を片付け、ぼくには驚くべき手紙が届く」

※片付いている。ほっ( ^ω^)・・・



夕ご飯の献立、どうしようかな、とカフェでコーヒーを飲んで悩んでいたら、息子から、
「夕飯何時?」
とSMSが届いた。
あの野郎、また夜遊びする気だな、と思った。変異株が急拡大しているのに、まったく、親の心配もきかないで、ワクチン一回接種しただけじゃ効かないんだよ!
「20時」
いつもは21時半だけど、早く帰ってこさせるために、嘘をついた。笑。すると、息子から
「ウイリアムとマテオと19時半からの映画見るから家で食べない」
みたいな日本語のメッセージが戻ってきた。
「外で食べて帰る」
外でって、お小遣いないくせに、映画みたり、外食そんなにしょっちゅう出来る身分なのか、と思ったので、
「お金あるのか?」
と送ったが、返事はなし。やれやれ。
どうする気なんだろう。
頭を抱えながら、家に帰ると、郵便受けに小さなレターが入っていた。差出人は「財務省」となっている。
えええええ???? なに???



財務省からじきじきに手紙が届くことなんかないので、かなり不安な気持ちを抱えながら、ぼくは封筒をあけることになった。
あ、や、こ、これは・・・。
それは税金の催促の手紙ではなかった。
ちょっと話しを遡ることにする。10日くらい前のぼくの日記を思い出してほしい・・・。
ぼくはヴェネチアに新作小説の取材旅行に出かけたのだった。
あの日、ぼくは日本文学研究者のアンドレア夫妻と3人でサンマルコ広場近くのレストランで食事をしていた。
ぼくの横のテーブルに10人くらいのスーツ姿の紳士淑女たちがいて、フランス語で静かに会話しながら、食事をしていたのだけど、その中心の席の人と目が合った。
で、目が合ったので、ぼくは自然に微笑んだ。



ニコっとぼくがほほ笑むとさらに微笑み返してくれた。
何でかわからないけど、辻仁成も有名になったものだ、と冗談で、イタリア人の仲間たちに話して、彼らの失笑をかった。
まもなく、その男性が席を立った。ぼくらの席を通過する時に、ボンジュール、と言ってくれたので、ボンジュールと返した。
え? 
「ねぇ、今の人、フランスの経済・財務大臣のブリュノ・ル・メールさんに似てるんだけど」
とぼくが言うと、アンドレアの奥さんが、マジ? 私、ファンなの、かっこいいよね、と言い出した。奥さんは最近まで、フランスで暮らしていたらしい・・・。
「いや、でも、もしフランスの財務大臣なら、いつも怖い顔しているし、怒ってるところしか見たことないから、あんなにナイスガイだったかしらね」
とアレクサンドラが言い出した。ぼくは、確かに、と笑った。
するとそこに、優しい顔のル・メールさんらしき人が戻ってきたので、ぼくは、フランスからですか、と訊いてしまったのだ。ぼくらに向かって笑顔を向けてくれたのに、無視するのも失礼じゃないか。ぼくは不意に社交的な人間に変身した。へんしーーーーん。



ル・メールさんみたいな人が立ち止まって、ぼくらに笑顔を向けてくれたので、もしこれが大臣だったら、座って話すのは失礼ではないか・・・、ぼくは慌てて立ち上がり、
「ええと、お会いできて光栄です。こちらのマダムがあなたのファンなんです」
と、事実だけど、もの凄いことを口走ってしまった。
アンドレアは笑いを必死でこらえている。
そしたら、そのル・メール大臣みたいな人は優しい笑顔を崩さず、グーを作り、アレクサンドラに向け、そのグーを伸ばし・・・、タッチを求めた。
ええええ? 何が起こってるの???
アレクサンドラも立ち上がり、ぼくの目の前でグーとグーがハイタッチ。
アンドレアと目が合った。こんな気さくな大臣いるか???? 
やっぱ、人違いだな、こりゃ・・・。



翌日、アンドレアから、一枚のニュース記事が届くことになる。「ル・メール財務大臣、G20出席。ヴェネチアで国際課税巡りアメリカと応酬」というイタリア語の記事であった。
怖い顔のル・メールさんが首脳陣の写真の真ん中にいた。
じゃあ、あの人、ル・メールさんかもしれない???
実はル・メールさんにはもう一つの顔があり、作家なのだ。エッセイ集が出ている。小説も書かれている。なかなかシュールな作品で、日本語訳はないけど、・・・。つまり、同業者ということになる??
気になったので、冗談半分で、ぼくは財務省に拙著「白仏」の仏語版を送った。間違いなら、無視されるだろうし、ま、本物だったら、それはそれでいい思い出になるし、・・・

地球カレッジ

滞仏日記「息子はやっと部屋を片付け、ぼくには驚くべき手紙が届く」

「昨日、テーブルがお隣で、あんな忙しい中、ぼくやぼくの友人らに優しい心配りをしてくださり、ありがとうございました。とてもいい思い出になりました。私は日本の作家です」
失礼にならないように、日本とフランスの末長い友情を、みたいな感じで、締めくくっておいた。
仏語? あ、大丈夫。息子に真剣にリライトしてもらったので・・・。
ル・メール大臣から届いたレターは個人的なものだから、内容はお見せできないけれど、お忙しい方なのに、丁寧な文面、「Cher Hitonari」から始まる暖かいメッセージであった。
ぼくがヴェネチアから戻って、まだ一週間とちょっと・・・? 
あまりに律儀で、ちゃんとしていて、ユーモアがあり、世界を駆け巡っているのに、こういう気配りができる、凄い人だ、と思って思わずファンになった父ちゃんであった。
ぼくはアンドレアにSMSで、「彼は本物のル・メールさんだったよ」と送っておいた。「本当かい、びっくりだね。妻が喜んでいるよ」と返事が戻ってきた。
世界は狭いのである。

つづく。

滞仏日記「息子はやっと部屋を片付け、ぼくには驚くべき手紙が届く」



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